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第7志望の大学に通った私から、この春なんだか前を向けないあなたへ



「合格まであと3点でした」



第1志望の大学から届いたハガキをめくって見えた文字たち。

(日程的に)これで最後にしようと決めていた私に届いた最後の通知。


「いや、それわざわざ教えてくれなくていいよ」

とか

「え、あそこ1問6点配点とかだったよね?」

とか、いろいろ考えることはあったけど、

やっと受験が終わった開放感とやっぱり上手くいかなかった喪失感でごちゃごちゃ。


でも外に見せるのは開放感だけ。


喪失感、確かにあった。

あったけど、頑張れなかったのに喪失感だけ出すのはなんだか気が引けた。

頑張れなかったんだからそりゃ受からないよなとも思った。



決して頑張ろうとしてなかったわけじゃない。

行きたい大学がなかったわけでもない。


でも高校に進学して少しした頃からなんか変だった。


やってもやっても勉強が頭に入ってこない。

苦手な日本史はもちろん、大好きな現代文にも影響が出た。


文章を読んでるつもりなのに、しばらく読み進めてふと思い返しても内容が思い出せない。

「読んでる」というよりは「ただ目で文字を追ってる」感覚。


文章をじっくり読み込んで咀嚼するのが大好きな私にとって「読めない」ことは結構なストレスだった。


こうなった原因はよく分からないけど、今でもやる気でメラメラすることの方が圧倒的に少ない。

(でも1度スイッチが入ると寝るのも忘れて進めちゃう。今これを書いてるのも夜中です。)



勉強しても勉強したことにならなくて、

勉強に時間を費やす意味がだんだん分からなくなって、

でも大学には行きたいからちょっと無理やり勉強する。


高校最後の1年間はずっとそんな感じ。


だから「頑張れなかったししょうがない」と思うようにした。





私が通っていた高校は中学受験でしか入れない「中高一貫校」。

当時の私には入学できなさそうなほど偏差値の差は開いていて、電話で合格を伝えた塾の先生は耳が痛くなるほど大きな声で喜んでくれた。


早慶上智への進学は割と当たり前、学年の3分の1が上智の合格をもらってたし、GMARCHの合格をセンター利用でもらう子もたくさんいた。

医学部に進学する子も、学校の補習だけで国立大学に行った友達もいる。



そんな中で私が進学を決めたのは、いや、留年するつもりのない私が進学せざるを得なかったのは、第7志望の大学だった。

抑えの抑えでセンター利用に申し込んでいただけの、全く通うつもりのなかった、行ったこともない大学。


とっても正直な母校は(褒めてる)合格・進学実績を正直にぜーんぶ公開するもんだから、当然私の実績も載ってるわけで。

第1志望だったかはさておき同級生たちが名の知れた大学への進学を決めている中で、私のそれだけが悪目立ちして見えた。


「1人だけめちゃくちゃ失敗しました」

と言われてるみたいで嫌だった。

いっそ消してほしかった。

本気では言わなかったけど。

言えなかったけど。



中学受験の奇跡のような合格も知ってしまっていたせいか、この結果は私をより深い底に落としたような気もする。


頭の片隅では
「いくら勉強ができてなくても、なんやかんや上手くいくこともあるんじゃないか」
とか思ってたし。

そんな訳ないのにね。

あと3点、どれかの科目であと1問正解していたら、そこそこ有名な大学に…







あーーーーー、やめやめ。

もう終わったこと。

過去は戻ってこない。


勉強はしようとしてもできなかった。

できないなりにちょっとは勉強した。


進級前に提出した履修登録も、高3になってすぐ変更書類を書いてまでほぼ変えた。

なんか嫌な予感がしたから。


受験科目を限界まで絞るために日本史と漢文を捨てて数1Aの勉強に専念した。

そのせいで上位校はいくつか受験できなくなったけど。


まあでも、できることは結構やった。



勉強する意味こそ見出せなかった受験生生活。

でも進学はできる。

もうそれでいいじゃん。


私のゴールは大学に入ることじゃなくて、
教員免許を取ることなんだから。

それはこの大学でも叶えられるんだから。


それでいいじゃん。


それでいいって、自分でそう思えば、大学生活も少しは充実させられるかもしれないじゃん。


超余裕で入った大学なら、授業でなんか楽できるかもしれないじゃん。


その分そこでしかできないこといっぱいチャレンジしたらいいじゃん。


そう、そうだよ。そうしよう。





…とあれやこれやを言い聞かせて、

まるで最初からそう思っていたかのように自分に染み込ませて、

入学式の前日に初めてキャンパスまで行ってみて、

私はそのまま4年間その大学に通った。





実際「授業で楽できるかも」の予想は大当たり。笑


英語系の基礎科目はいちばん上のクラスなのに信じられないほど初歩の文法から始まった。

テスト勉強をしたのは教科書の本文がそのまま出るときと、スピーチ原稿を覚えなきゃいけないときだけ。

それ以外はぶっつけ本番で充分だった。


高校までは単語が覚えられなくて成績もギリギリだったのに。


いや、そもそも全員が受ける授業で早慶の過去問やるのがおかしかったんだな。(褒めてる)



学科の専門科目もそこまで苦労しなかった。


なにせ専門は小学校教育。

小学校のテストだいたい100点だったし、そもそも中学受験ができる程度の余裕もあった。


小6の1年間は私が人生でいちばん勉強した1年。

10年以上たっててもその時の記憶は意外と残ってた。


子どもの発達とか教育方法とか、大学で初めて学ぶ内容はもちろん大変だったこともあったけど、

それでもbe動詞の使い分けとか分数の割り算ができない同期よりは分からないことも少なかったはず。





そんな余裕をいいことに私は「そこでしかできないこといっぱいチャレンジしたらいい」をとことん突き詰めてみることにした。


私のいた学科は大学に通ってないんじゃないかと錯覚するくらい授業内外でいろんなイベントをするのがお決まり。


イベントがあるってことは運営がいるわけで。


学校ばれそうなので詳細は伏せるけど、募集があったイベントは結構な割合で運営に立候補した。

教授からご指名もらって参加したのもあったっけ。


行事があるとその裏側がどうしても気になっちゃう私にはぴったりすぎる経験。

参加する人がつまづきそうなところを探したり、資料つくったり、教授と話し込んだり…

楽しかったなあ…運営に回るからってお金も単位も増えるわけじゃないけど、私の思う価値はそこじゃないから問題なし。





それからSNSでプロフィール見たことある方はご存知かと思いますが、

中学国語の教員免許を追加で取ったのも「そこでしかできないこといっぱいチャレンジしたらいい」で決断したことの1つ。


小学校教育が専門の学科にいるのに。

そしてその頃の私はもうとっくに教員にならないことを決めていたのに。



それでもチャレンジしようと思ったのは小学校の卒業アルバムに書いてから4年くらいは本気で目指していた「母校で国語の先生をする」という夢を、

「免許を取る」ことで叶えてもいいんじゃないかと思ったから。


あと普通に国語が、言葉が好きで、もっと知りたかったから。


教員としてプラスになるから決断したであろう同期とは違う理由だけど、


わたしはわたし、あなたはあなた。


別に違う理由だっていいじゃない。

私には私の目的がある。


周りに流されてる場合じゃないの。

この4年間は1度しかないんだから。





あと学外だと小学生が参加するキャンプの運営ボランティアした。


また運営だと思った人います?

そうなの、また運営なの。

どんだけ運営したいのってね。笑



最初に参加したときは1回きりのつもりだったのに、気付いたら4年やってベテランに。

ラストの冬キャンプは同じように4年間続けた数人の友達とわざわざスケジュール合わせて、

「これ4年間の集大成にしようよ」とか言って、

帰り1人になったら達成感と充実感と寂しさで泣きながら歩いた。

結構しっかり青春した感じ。





…とこんな具合に大量の単位とたくさんの経験をGETした大学生活。


ところどころでふと「私は落ちこぼれ」と思っては、

それを振り払うように当時の生活に集中して、

でもまた思い出して。

そんな4年間。



あの3点が私に与えた情けなさと喪失感はコンプレックス…とまではいかなくても、

今も確実に傷として残っていて。


でもそれもまた今の私の一部であるのも間違いない。


そう思えているのは「過去は戻って来ない」と潔くいい意味で諦められたから。


ちょっと無理矢理でも「そこでしかできないこといっぱいチャレンジしたらいい」っていう別の目的を自分の中で作ったから。





あなたは今年の春にワクワクできていますか?


楽しいはずの春が来なくて喪失感でいっぱいになっていませんか?



成功は正しいベクトルで頑張ればできるけど、

失敗・挫折・苦労は誰にでもできるものじゃない、望んでできるものじゃない、私はそう思っています。


確かに散々だった。

後悔もちょっとした。

でもね、今となっては「1回くらい失敗しといてよかった」なんて思うことも1度や2度じゃないよ。


「失敗は人を強くする」って言うけどさ、

きっとそれを言えるのは強くなれた人だけで、

あの頃の私みたいに失敗とか挫折とかに押しつぶされそうな人だってたくさんいると思うんだ。


落ち込んでるときの気持ちの沼ってびっくりするくらい深くて、なんとか抜け出そうとしてもズルズルっと引きずり戻されるから。


私を知ってくれてる人かその周りにそんな深い沼で苦しんでいる人がいるなら、

いやまあいないかもしれないけど、

いないに越したことはないけど笑、


「節目に失敗するってほんと嫌だよね〜」

「ここにも似たような人がいるよ〜」

って伝えたくて、

このふたことだけでも別によかったのにせっせと4000字ほど書いてみました。





これが何かを考えるきっかけになったら、

あわよくば誰かを沼の底から引っ張り上げる…までいかずとも、

下を向いてばっかりだった人がつい上を向いちゃうような光を照らせたら、いいなぁ。



言葉の力は無限大ですからね(突然の日本語好き発動)。





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