クワロマンティックでアセクシャルな自分のこと

現在三十路街道止まらずに行っているアラサーです。自分のことをつらつら綴ってみます。

性(sex)は女性、性自認も女性ですが、女性らしさを期待されることは苦手です。
常々、性別がもっと"ただの身体的特徴"って認識になれば良いのに、と思っています。性差による脳や身体の違いは間違いなくあるけど。でも同性間だって個人差はあるのだから、性差だって個人差じゃない、って。

少し話が逸れました。

わたしは、恋愛と友情の差をつけたくない、区別する理由が分からないので、クワロマンティックをラベリングしています。加えて他者に性的魅力を感じないアセクシャルなので、パートナーは男女どちらでも良いと思っています。わたしのいうパートナーは、「どちらかが死ぬまで互いに支え合って生きていく他者」という意味です。結婚願望はないですが、ひとりで死んでいく覚悟もないので誰かと連れ添いたかった。
今はシスジェンダー・ヘテロセクシャルの男性と1年くらいパートナー関係にあります。お互い手探り歩み寄りで少しずつ信頼関係を築いています。パートナーとのお話はまた別の機会にでも。

クワロマンティック・アセクシャルを自認したのは20代も終わりに差し掛かった頃でした。それまでにした男女関係の失敗で、わたしは人とは違うかもしれないと気付いたのです。そのときのわたしには、LGBT以外のマイノリティに関する知識はありませんでしたし、シス・ヘテロの言葉も知りませんでした。
生来人好きの気があるもので、「この人おもしろい!」と好意を抱くと、男女関係なく「もっと知りたい」「もっと関わってみたい」とグッと距離を詰める癖があります。相手が男性だと「この人は自分に恋愛的好意がある」と思わせて告白させてしまい、短慮なわたしは「好きだし付き合ってみよう!」とお付き合いするものの、打って変わって女の子扱いされたり性的に求められることにフラストレーションが溜まり別れを切り出す…ということを繰り返していました。

ちなみにアセクシャルですが性嫌悪はありません。セックス経験もあります。ことさら楽しくはないけど気持ち良さはそれなりにあり、相手が望むから合わせる…という感じです。しなくて良いならその方が良いなとは思います。同じ気持ち良いなら、スパでオイルマッサージ受けたい。
でも人によってはこれが愛情を確かめたり深めたりするツールなのだということも知っているので、ほんとにしんどいとき以外は断らないと決めています。
それもこれも好きな漫画がありまして。たみふる先生の"付き合ってあげてもいいかな"という作品なのですが、この中で性欲の多寡がテーマで扱われています。作品を読んだりコメントを読んだりすると、誘う方もかなり我慢していて勇気を出しているのだと知りまして。それからは相手への敬意と尊重を込めてなるべく断らないを実践しています。

また話が逸れました。

そんなこんなでとりあえず付き合っては嫌になって別れるを繰り返しているうちに、「これ、相手がどうとかじゃねえな!自分に原因あるぞ!」と気付きました。"原因"で最初に思い付いたのは家庭環境でした。自分が小学校高学年の頃から両親が不仲で、中学に上がる頃に別居しました。両親の不倫、喧嘩の声、静かでギスギスした雰囲気、母親から聞かされる父親の悪口、声を荒らげ物に当たる父親。愛された記憶も確かにあるのに、これらの事は思春期の柔らかい心に深く傷跡を刻みました。今は父親とは疎遠ですが、母親とは愛情と信頼関係で結ばれていると思っています。たくさんぶつかって泣いてわだかまりが消えるまで何年も掛かりましたけれど。
そういったことを考えてみれば、確かに家庭環境はわたしの人格形成に影響を与えていますが、恋愛観についてはあまり関係がなさそうだ…となりました。考えても答えが見つからず途方に暮れたわたしは「もう恋愛向いてねえわ!やめよ!」と一旦匙を投げます。その数年後にある友だちができるのですが、その子がわたしの世界を大きく広げてくれました。仮にAちゃんとします。

Aちゃんは、シスジェンダーのレズビアンでした。Aちゃんはパートナー探しのためにいろいろなコミュニティに所属していたり、セクシャルマイノリティの知人がいたりしました。その中にアセクシャルの方が居たのです。Aちゃんからアセクシャルの方のお話を聞いたとき「ん?なんかすごい共感するな」と思いました。それからいろいろ調べたり自分を見つめ直したりするなかで出会ったのがクワロマンティックというラベリングでした。
「恋愛と友情を区別できない、したくない」。だって人と人じゃない。男でも女でも年上でも年下でも国籍がどこでも、その人が好きで愛しくて尊敬してるから一緒に居たい。遊びたい。話したい。ただそれだけじゃないか。ずっとそう思っていました。そう思う人が自分以外にも居ること、その思想に名前が付いていることに心から安堵し、救われる気持ちになりました。胸にスッと落ちてくる感覚でした。

"アセクシャル"についてはこのラベリングで合っているのかな?という揺らぎはあります。わたしの場合、性欲が薄くて、その性欲が他者に向かないが性嫌悪はなく、自ら好んで行うことはないがセックスすることはできる。…といった感じです。
わたしの中で、性欲と好意は結びつかないんですよね。嬉しい!好き!ってなるとハグしたくなるけど、別にハグしたからって性欲はわかない。でも性欲のある人はハグしたらキスしたくなってセックスしたくなるんですよね?(時と場合によるとは思います。過言でしたら申し訳ない)
わたしはコミュニケーション、スキンシップのつもりでも、多くの人にはセックスアピールとして受け取られるのだと学習してから、男性とスキンシップを取るのが苦手になりました。そんな物欲しそうな目で見ないで欲しい。なにも与えてあげられないのに。って。自意識過剰かもしれませんが。

男女ともに友だちは居るのですが、長続きするのも深く仲良くなれるのも女の子ばかりです。男性はある程度警戒しなくてはいけない(恋愛的好意にならないようにとか、彼女がいればそれはそれで親しくなり過ぎないように気を遣う)ので、少し疲れます。女の子は、思考が似ていて話が合うし、怖くなくて優しいので好きです。

思考、で思い出したので"ラブ・ランゲージ"の話もしたいのですが、さすがに長くなり過ぎたので一度区切ります。
わたしの駄弁がほんの少しでも誰かの心に触れれば良いなと思います。それでは。

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