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サンチャゴへの道 巡礼エピローグ 【2023年夏】

巡礼36日 地の果てまで

7月15日に出国し、36日に渡って巡礼を続け、昨日8月30日に帰国した。こんなことに挑戦することができること自体、様々な面で自分は恵まれていると思う。巡礼の初日の7月18日、まだ暗いうちに宿を出発し、ピレネーを越えてアルベルゲに疲労困憊してたどり着いたのが遠い昔のように思える。8月18日の朝にサンチャゴ大聖堂にたどり着いた時はひょっとして興奮のあまり落涙するのではないかと思っていたが、存外冷静な自分に驚いた。勿論安堵と嬉しさはあり、就中達成感もあった。はしゃぐには歳を取ったということだろうか。

大聖堂

巡礼開始前日にサン・ジャン・ピエ・ド・ポーの巡礼事務所で対応してくださった女性スタッフが、折角日本からはるばるやって来たのだからサンチャゴ到着後には是非ともフィニステレまで行くよう強く勧めてくれた。当初、身体を気遣い休養日を数日予定していたが、パンプローナで休養日を過ごして以降は休まずに歩き続け、更には1日に歩く距離を伸ばして、予定より1週間早くサンチャゴに到達した。そのためフィニステレまで4日、さらにムシアまで1日かけて歩くことができた。「地の果て」を意味するスペイン西端のフィニステレも、そしてムシアも、巡礼の最終地点としてふさわしい場所だった。ずっと内陸部の山道を歩いてきて眼前に海が広がった時の感激はとりわけ忘れ難い。共に印象に残る美しい海辺の町だった。勧めて下さった巡礼事務所のスタッフに感謝したい。

フィニステレ 0.000km
西の果ての十字架
フィニステレ岬
大西洋に沈む夕陽
ムシアの海岸沿いの教会

荷を背負って歩く

当初の目標、サンチャゴまで約780キロに加え、フィニステレ経由ムシアまで約120キロ、合計900キロを歩き通すことができた。人それぞれに巡礼の形はあるが、自分のこだわりは、配送サービスを使わずに自分で荷物を運ぶことだった。その荷を背負って歩く巡礼のイメージは映画「ミッション」の一場面から来ている。話は逸れるが、この映画はエンリオ・モリコーネの音楽が秀逸大好きな映画の1つだ。

映画「ミッション」では18世紀南米に布教をするイエズス会の宣教師の元に女性をめぐって弟を殺してしまった奴隷商人ロドリコ(演ロバート・デニーロ)がやってくる。彼は何故だか重い金属の荷を引きずり滝を登る。何度も落下しながらようやく登り切った時、先輩修道士が剣でその重荷をつなぐ鎖を断ち切り、荷は滝の下に落ちていく。ロドリコは自分の罪が赦されたかのように嗚咽する。ロドリコの荷が象徴するものを何となく自分の巡礼の荷物に重ね合わせていた。8キロほどの荷物を背負い、歩き通すことができたのは、そんなイメージに対するこだわりがあったからだ。

 「ミッション」の一場面

カミーノを歩き終えて

地元の人たちの親切さには本当に助けられた。道を間違えた時、わざわざ車を止めて教えてくれたり、あっちだよと道を示してくれたことは数知れない。会釈をしたり挨拶をすると、「ブエン・カミーノ」と言って励ましてくれる人がほとんどだ。また、アルベルゲのオスピタレーロの方々には本当にお世話になった。ボランティアでお世話をしてくれているにも関わらず、愛想良く巡礼のために対応してくれる姿は今思い返すと感謝しかない。

若者と違って交流を目的として巡礼に出かけたわけではないが、世界各国の様々な年齢の巡礼者と出会い、話をし、「ブエン・カミーノ」と言って励ましあったこと自体はいい経験となった。表面的な交流ではなく、短くても意義深い話ができた人もいた。いろんな場面で出会った、そんな巡礼者の数多くの顔が思い浮かぶ。人見知りの自分が知らない人に自分から話しかけることができるのも、カミ−ノのマジックのひとつかもしれない。

毎日ひとりで歩き続けると、いろいろなことを考える。過去のこと、今のこと、そしてこれから先のこと。些細なこと、どうでもいいこと、考えても仕方のないこと、そしてとても大切なことまで。勿論目の前のこと、その日の宿、食べ物についても気を煩わすこともある。そんなことを続けていると、自分の考え方や行動の癖、自分の性格がとてもあらわになり、それを意識するようになってきた。そして自分は60年以上も生きてきて、まだこんなにちっぽけで、取るに足らない人間だということを思い知る。これから残りの人生、少しはマシな自分になれたらという思いを持った。

カミ−ノを歩き終えた後の風景は、今までの日常と変わりないように思える。ただ、何か変わったとすれば、取るに足りない自分のような人間でも、気づかわれたり、大切にしてもらっても良いのだと素直に思えるようになった。もっと言えば、嫌なところも含めて、自分を肯定する気持ちが強くなった気がする。この歳になって変な自信をつけてしまったとすれば、これもまたカミ−ノのせいに違いないのだ。

サンチャゴ・デ・コンポステラの道標

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