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壁打ちの壁(聴く側)はこうじゃないと成り立たないのよ…!

こんにちは!
パーソナルコーチ・動画クリエイターで

最近約10年ぶりにテニスをした
長野佐友里です。


「テニスの話が始めるの?」
って思いましたか?


今回したいのはテニスの話ではありません。



今回のテーマは
人との対話、会議、会話について。
(なんか似てる言葉が3こある!)




ご存じの方も多いかもしれないのですが、

コーチングという対話も
よく「壁打ち」と例えられることがあります。



正直、

う~ん、、コーチングって
もっと本質的な変化を起こすコミュニケーションだったりするから
壁打ちってなんかちょっと違くない…?


と私は思っているところがあったんですね。

なんか「壁打ち」って聞くと、
"アイデア出し"とか"整理"みたいなイメージもあって。




しかーし!

最近
コーチングが「壁打ち」って例えられる意味や
「壁打ちの重要性」ないしは
「壁打ちの壁ってこうじゃないと成り立たないよな…」
と身に染みることが続きました。


タイトルにしたやつです。


結論から書いてしまうと

壁打ちの壁は
フラットである必要があるんです。


学生時代テニスをしていたので、
実際に壁打ちもすることがありました。


それを思い返しても、やっぱり
壁はフラットでなければなりません



ちょっと想像してみて欲しいのですが…

もし波打っている壁だとしたら、球は
予想できない方向にいってしまいますよね?


もし壁に穴が開いているとしたら
球は壁の向こう側にいってしまいますよね?


だから、壁がなみなみだったり穴あきではなく
フラットである必要がある


っと、、
テニスの話はたとえ話なので
本題の対話の話に戻します。



対話も同じで
相手がフラットな姿勢・在り方であれば
球は自分が打った通りに戻ってくるように
そのまま跳ね返ってきます。



でも、、
相手の姿勢・在り方がフラットではなく
違う方向を向いていたり、
穴が開いていたとしたら…

どこか違う方向へ行ったり、
意見がなかったかのようにスルーされたりするんですね。




「そんなの当たり前じゃんっ!」
と思う方もいることでしょう。




確かにそうなのですが、

私の場合、
自分もコーチングを受けていたり
コーチ仲間とのコミュニケーションが多かったり…

という環境で、
自然とフラットな在り方の人と一緒にいることが多くなっています。
(プライベートな友達や、ママ友なんかも)





だから
ちょっと忘れていたんですよね…!


本来いろんな壁があって、
フラットに返ってくる人ばかりではない
ということを。
(もちろん、自分だっていつもフラットなわけではないですしね)



今回、
コミュニケーションで感じる違和感の正体って
多くはコレなんじゃないかな?

とも思ったりもしました。




会話はよく「キャッチボール」に例えらますよね。

キャッチボールは
フラットである必要はないです。

キャッチしたボールを
投げるコントロール力や腕力(スキル)は
必要なんでしょうけれども。

割と、投げる側の好きに投げてOK

もちろん、受ける側の反応は見る必要ありですけど…!
その緩急や軌道を楽しむのもひとつかなと思いますしね。



だからちょっとした「たわいのない会話」では
相手がフラットな姿勢かどうかというのが
あまり気になっていなかったのかもしれません。




でも、会議となれば話は別。




それなりの熱量で話し合う場なので、
フラットな人とそうじゃない人の差を感じざるを得ない…!


ということに最近気づきました。
(遅い…!)




これが会議で感じる違和感の正体なんだな、

フラットな在り方で打ち返されると自然と気づきに繋がるものなんだな、

フラットな在り方であるからこそ「壁打ち」と呼ばれるし
価値を感じる人がいるということ
なんだな、

そんな風に思いました。





「いやいや、会議はみんなの意見を言う場でしょ!
フラットな在り方とか関係なくね?」

という声も聞こえてきそうですよね。



私の会議のイメージは、

ひとりの発言者に対して、ほかのメンバーは一旦壁になる
発言者と壁がローテーションする
感じ。

参加者は何かしら発言した方が良いとは思うのでローテーション。
(誰かが発言している最中に割り込む・自分の話にすり替えるのは論外です。お話しは最後まで聞こうね!)



でも、
「壁打ちじゃなくてキャッチボールしようよ!」
というメンバーがいると、場はまとまらないというか


もはや発言者以外のメンバーみんなが
キャッチボールを始めたとしたら
発言者はすごく大変な思いをすることに…
(スピードも軌道も全然違う球が飛んでくる…)


なりますよね?


同じく、壁がフラットじゃなかったら
どこにいくか分からない、、
発言者は結局大変な思いをすることに…
(球がどこに行くかも予測できない、返ってこないかもしれない…)



こうなると、何が起きるか?




会議で発言する人が減る、
活発な会議にならない、

ということが起きる。


そういう会議、数えきれないほど経験しています。
(そしてやっとその違和感を言語化している…!)




発言者側も、守備範囲を広げて
対応スピードを上げて、、
と努力の余地はありますが


発言者ではない聴く側の姿勢・在り方の重要性は変わりません。








改めて
人との対話、会議では
フラットな在り方でいること
忘れないようにしたいなと思いました。

それが自分の望むコミュニケーションだから。



長くなってしまったのですが、、

自分にとっては大事な気づきだったので
書き留めたかった…!


ということで、
ここまでお付き合いくださりありがとうございます!

対話、会議、会話について
テニスの壁打ちと絡めてイメージ湧いていたら嬉しいです。



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