アンチ
最近、SNSをみていてとても胸が痛くなるのはアンチコメントである。
タレントの本性を知ったかのように書かれるコメントたちが私の胸には突き刺さる。
当事者の私でなくてもこのような状態であるのだから本人たちにはどれだけつらいものなのだろうと想像するが、想像の域をでないのは言うまでもない。
アンチについて、今までは嫉妬心からくるものだと思っていたが、その考え方に違和感を覚え、ネットで調べてみた。調べてみると自分の中で納得できる答えを得た。
それは
正義感
である。
嫉妬心からアンチコメントをしている人がいることも間違いないが、これよりずっとたちが悪いのは正義感から書かれるアンチコメントだ。自分は正しいことをしているという感覚からでてくる言葉の凶器は強さがちがう。
しかも、だいたいのことに絶対的に正しいといえる正解がないことが問題である。正しいか判断するための情報量があまりにも少ないのである。そのあまりにも偏った情報の中で身勝手に判断し、正義感を振りかざすのだ。不快にもほどがある。
こんなにも、不快な気持ちになるのはSNSが発展したことで、今までだったら見えなかったいろんな人の発言が目に見えるようになったからだろう。そして、アンチ・アンチでない人の両者の過激な思考が飛び交う世の中にうんざりするのだ。アンチでない人の中でもアンチに反論するなら言ってしまえばアンチのアンチになるのだ。
どんな時代にも偏った思考はあるし、逆に偏らなければ大きな決断はできないのかもしれない。しかし、それを他者に向け、非情なまでに批判することが正しいとは思えないのである。
言葉は時に凶器になる。
これを理解してコメントをしているアンチもいるが、もはやそれは殺人行為とも言える。
言葉で人を傷つけていいのか
自分の正義感を見直してほしい。心からそう願う。
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