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気にしすぎだけど、集中できていないわけじゃない

30分のアニメですら、まともに見れない。

酷いときは、30分の作品を1時間かけて見ることもある。

集中力が乏しいというよりは、読解力が欠けている。
この場合、読解力ではなく見解力と言うのか、それとも洞察力、見解くとも言うのだろうか。
なんとなく伝わればいいなんて思うのは、いい過言な気もするが、本筋ではないので今回は読解力としておく。

今のは、どういう意味だ?
さっきのは、そういう意味だったのか。
似たようなものが、他の作品でもあった気がするな。
あの置物、何て名前だったかな。

そんなことばかり気になって、リラックスして見ることができない。
だから、リアルタイムの視聴は苦手だ。
ほんの少しの思考の間、物語の重要な場面はあっという間に過ぎ去っている。
ほんの少しだと感じている時間は、実際のところ長いみたいだ。

気になる場面がある度に何度も巻き戻したり、各場面で感じたことを忘れないように、一時停止して紙に書き出すようにしている。
内容の難しい濃い作品ほど、本来の時間の倍ほどの時間を要してしまう。
(攻殻機動隊の時は、何度再生したことか‥‥それでも理解できてない)

リアルタイムで視聴する時は、放送の数分前から紙とペンを用意し、万全の状態で待ち構えている。

再生を止めてまでメモしているとはいえ、その全てが何かを生み出すきっかけになることは稀だ。
こうして記事にすることもできるのだが、今の僕の技量では思うように表現できない。
表現したいものがあるのに、技術不足によって書けないというのは、存外歯痒いものだ。

たくさんあるメモの大半は、何でこんなこと書いたんだって思うようなものが殆ど。
使えるのかもわからない、書き出した気持ちが嵩張っていて、その置き場に困っている。
だから、必要ないと思うとすぐに処分するのだが、後になってメモした内容を思い出したくなる時が結構ある。
そのため、1週間ほどはバインダークリアファイルにメモ用紙を保管している。

その時の環境によって感じたことだから、今後も同じものを見て、同じようにように感じるとは限らない。
メモを取ることは、過去の自分を客観的に見れるもので、意外と大切なことのように思っている。





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