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久しぶりの友人との再会

なぜ、こんなにも緊張しているんだろう。
まるで、好意を寄せている人と待ち合わせをしているような、でも、実際のところそうではなく、ただ単に3年越しに学生時代の友人と会うだけのこと。
ただ、久々に会う友人の情報がないだけで、どんなふうに接していたかなとか、想像以上の様変わりに身勝手に引いてしまったり、あるいは劣等感を感じてしまうのではないかと要らぬ心配をしている。
24にもなって、たかが友人と会うだけで、人見知りが浮き彫りになるなんて自分に呆れる。
もう少し大人になってほしいと、自分のことながら感じた。

いざ、久しぶりに友人と再会して、心配なんて何故していたのか疑問に思った。
以前と比較して体格やヘアスタイル、ファッションセンスなどの変化やコロナ禍でマスクをしているといえ、目元や雰囲気で友人だということが一目で判断できた。
たかが3年。
これまでの人生経験から人は、簡単に変わってしまうものだと決めつけていたけれど、案外変わらないもんなんだなと感じた。
好青年になったというか、大人びたというか、想定道理のようで予定道理のような、自分は何も成長していないと卑下して、会話を交えながらも、ほんの数秒、何とも言えない気持ちになったことを覚えている。
様変わりしたとはいえ、話し方やユーモアが感じられるところは懐かしく、自然と頬は緩み、以前の自分が思い起こされ、本当の自分にさえ戻ったような気がした。

社会人になって、納得のいかない理不尽や暗黙の了解など、起伏の激しい人間関係を常日頃味わっていると当然の事ながら、正常なはずの感覚は鈍くなる。
そうなると何が正しくて、否かを自ら判断することや自覚すること、素の自分でいることも思いの外難しくなる。
こんな世の中で生きているのだから、今回こうして再会できたことは、素の自分でいられる幸せな、ぼくにとって非常にありがたいことだ。

やはり、少しでも新しいことに手を出して新鮮な刺激を受けないと、自分のメンテナンスができないような気がする。
最近観たアニメ「よふかしのうた」10話にて

人間なんてだいたいみんな病気なんだから、それと上手く付き合うしかないよね。

人間誰しも、おかしい部分を持っているけれど、それが過度になりすぎて、世間の常識から逸脱してしまわないように、相談したり見つめ直したりして、定期的にメンテナンスが必要になってくるんだろう。

ほんの数時間だけれど友人と過ごす中で、そういえば俺ってこういう感じのものを好んでいたよなぁとか、共通点や友人のここが好きで仲良くなったんだよなぁと再認識する部分がいくつかあった。
時期に静まるだろうと思っていた緊張感は、結局のところおさまらず、どうしようもできないほどでは全くないが、緊張感は終始感じたままだった。

数少ない優しい友人だと思っているからこそ、この緊張感は治まってくれないんだと思う。
恋愛や仕事話、これから始めてみたいことなど積もる話もあったけど、どうしても会話の最中に自分の話し方や聴き方が気持ち悪いなと感じて、話したいことや聞きたいこともできず、話し足りない気持ちはあったが、それは次回改めて話そうと思った。

ここまで読まれた方からすれば、そんなに緊張するもんじゃないだろうと、好意を寄せているんじゃないかと感じてしまうような文章になっていますが、単純にぼくの文才能力が乏しいだけです。

今回から得た教訓というか、目標というか、まずは、上手く聞き手にまわること。
独りよがりな会話にならないようにしようと無意識に思った。

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