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「明日が楽しみ」を忘れていた

明日が楽しみ。
早く明日が来ないかな?
こんなふうに、ワクワクを感じることが、今は全くないなと他の方の記事を読んで感じた。

明日が楽しみの一文を読んだとき、ハッとさせられた。
明日が楽しみって何だ。
どういう意味なのか、頭の中で繰り返し唱えても、数秒理解できなかった。
それほど、明日をわくわくするような生活ができていないみたいだ。
子供の頃は、明日が待ち遠しくて、わくわくしながら生活していた気がする。
それは、明日のことを想像して胸を躍らせることのできる力が、今よりも豊かだったように思う。
周りなんか気に留めず、自分がやりたいこと、楽しいことを純粋に、真っ直ぐに生きてた。

いつからその純粋さがなくなったのかは、考えてみると意外と明白だったりする。

※下記から少し暗い内容になります。

中学生になってから、周囲を気にするようになり、何をするにしても相手の顔色を窺ってばかりいた。
いじめの経験もあって、思うように自分が出せず苛立って、卑下して、どんどん自分のことを嫌いにもなった。
好きな部分なんて微塵もなかった。
優しくされても、どうしてこんな僕に優しくしてくれるんだろうと疑問に思っていた。
だから、優しく接してくれる人に対しても邪険な対応をしてしまって、その度に逃げ出したくなった。
そんな態度をしたくてしているわけではないのに、勝手に身体が動いてしまう。

学生生活の殆どは、そんな感じでいたけど、今は違う。
友人と会う約束や好きなドラマ、アニメの配信が待ち遠しかったりと些細なことばかりだけど、昔と同じくらいわくわくすることはある。
そうなれたのは、自分を変えたくてアニメやドラマ、エッセイや自己啓発などを読んで、他人や自分を知り、目を背けていた部分に焦点を当て何度も考え、向き会ってきたからだと思う。

八軒勇吾や夏目貴志のような、友達思いな思いやりのある人になりたい。
星野源さんや神谷浩史さんのような、優しくてユーモアのあるような人になりたい。
若林正恭さんや山崎怜奈さんのような、自分とちゃんと向き合えるような人になりたい。

こうなりたいと思える人と出会えて前に進めたことが、明日の楽しみに繋がってる気がする。


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