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初 1人海外旅行 バリ島①

人の記憶に残ることより、人の心に残ることを大切にしなさいというようなこと言葉があったような気がする。
今まさに、その言葉の重要性を実感している。

高校の修学旅行で台湾に行って以来の海外旅行であり、およそ10年ぶりになる。

そして、初のひとり海外旅行だ。
あらゆるアクシデントに対して、臨機応変に対応できる力があるのかを知るためのひとり旅でもある。日本での生活では、アクシデントを作り出すことはできるが、突発的なアクシデント、頼ることが難しい環境に身を置くことは難しい。

日頃からインドネシア語を勉強しているし、インドネシア人の友達が住んでいる国を知りたいという理由もあって、今回はバリ島へと向かうことにした。
インドネシア語を勉強しているとはいえ、流暢に話せるわけでも、瞬時に言葉が出てくる会話力を持っているわけでもない。
何となく聞き取れて、何となく簡単なフレーズを使えるというだけだ。
それに対して、英語に関していえばインドネシア語よりも話せない。
ぼくにできることは、OKやSorryを駆使した身振り手振りの受け答えが精一杯だ。

そんな現状で、海外へと飛び出していいものなのかと思いながら、宿泊施設や航空券、観光税ビザなどの手続きをすべてスマホ1つで済ませた。
これだけでいいのかと不安になりながら、手間があった方が、海外旅行への壮大さが増すのにと少し思っていた。

バリ島への滞在期間は4日。
この約4日間は、これまでの人生で最も英語とインドネシア語に触れた期間になった。

福岡空港からフィリピンのマニラへ行き、そこで乗り換え、マニラからバリ島のデンパサールへ向かう。
これが、今回の旅行のルート。

マニラに到着すると、これまでの機内にいた日本人の存在は薄れ、英語と聞き馴染みのない言語が空港内を行き交っている。

様々な言語の音の波に囲まれるというのは、想像していた以上に快感だった。不安よりもどこか興奮しているような感覚に、自分のこながらよくわからなかった。
そして、英語という言語は同じでも、その土地の独特な英語を感じることができた。
中国人が話す英語の発音は、滑らかさよりは、意思の固さ、自己の強さが口調と態度から感じることができた。
日本人が想像する典型的な中国人だ。
それとは真逆に、おそらくヨーロッパ系であろう方々の会話からは、ゆったりとした滑らかで聞き取りやすい波長を感じとることができた。
当然のことではあるが、話す人によって感じとる言葉の重みが違う。

言葉は立ち居を表すということ。
それを、肌で感じることができた。


マニラ到着後、早速イベントが発生。

乗り換え場所に関しては、Where is the 7 gate?という非力で稚拙な英語力にて場所を特定することができた。そして、7番ゲート内にいる空港職員に再度確認した後、搭乗時刻まで待機していた。
しかし、いざ搭乗ゲートに向かいチケット手渡すとスタッフから「gate 15」と発しながらチケットをぼくの手元に押し返した。
その一言だけだが、搭乗場所が違うことを理解できた。
15番ゲートは、7番ゲートとは反対に位置している。そのときには、搭乗時間が差し迫っていたため、小走りで15番ゲートに向かいながら、脳内で7番ゲートの担当スタッフに対して「何のために確認したんだ」と少し苛立っていた。
英語ができないぼくが悪いのだが…
それでも何とか、指示されたゲートに無事たどり着くことができた。

こういうアクシデントが、旅行の醍醐味というのだろうか。

余談
福岡からマニラ向かう機内で、カップルと同席した。ぼくの右隣にいた女性が恋人である男性と席を変わっていた。
席を変わりながら、男性が彼女に対して「Aちゃんは可愛いから、他の男から俺が守らないと」というふうなことを言っていた。
そんなキザな台詞を、実際に使う人がいるんだなぁと思い、物珍しくその2人を拝見していた。
それと同時に、何かダサいなと思ってしまったぼくはダサいのだろうか?
彼らの独自の世界があるのだから、気に止めなければいいのだけれど、それができなかったぼくは大人げない。







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