月の裏側、の話。
月の裏側は、地球側からは決して目にすることはできない。
普段誰にも見せるわけでもないけれど、確かにその人に存在する辛さ、しんどさ、劣等感、孤独、といった負の感情やそれらを感じた過去。
見えないけれど、誰しもに必ず存在するもの。
それらのことを先程挙げた月になぞらえて、わたしは「月の裏側」と呼んでいる。
自分で言うのも手前味噌であれなんだけど、結構この表現を気に入っていて、これまでのエッセイの中で二度使っている。
(もし、あ、あのエッセイとあのエッセイに出てきたな、とぱっと思い浮かんだ人がいるならば、かなりわたしの文章を読み込んでいるのだろうと思う。そんな人がいらっしゃるのなら、握手を求めにすっとんでいきたい…!)
↓参考までに
結婚について赤裸々に綴った1万字超えの自分の中では大作エッセイ。
書くことについて今の気持ちを表したエッセイ。
普段誰にも見せずとも、確かにその人を構成する一部である「月の裏側」。
どんな明るい人だって、面白い人だって絶対にあるもの。影があるからこその光だ。
楽しくて、うれしくて、幸せで。
生きてればもちろん、そんな明るい側面ばかりでなく、みんな何かしら折り合いをつけつつ、そして様々な過去を踏まえて生きている。
けれど、みんな普段はそれらを微塵も見せずに過ごしているから、そうであることを忘れてしまう。だからこそ、わたしはたまに垣間見える誰かの「月の裏側」にすごく惹かれる。すごいなと思うあの人もこの人も、「月の裏側」を乗り越えて、あるいは共存して生きているんだな、と励まされるから。
そして、それを言葉にして落としこんで、外に発信できる人は強いのだとも思う。
このnoteで著名なエッセイストである夏生さえりさんにしろ、岸田奈美さんにしろ、潮井エムコさんにしろみなさん、この「月の裏側」を表現するのが秀悦だ。
あと名前を出すのは控えるけれど、何人ものnoterさんにもこのエッセイはそうだな、と思えるエッセイがあって、そういったものを読むたびにこれを書いてくださってありがとうございます、という気持ちになっている。
そういった文章たちは、よりあらゆる思いが詰まっているので、胸に迫るような気迫さえ感じる。
実は先日投稿したエッセイ、「あの日、死のうとした元彼へ」が「月の裏側」の塊のようなエッセイだった。
ずっとずっといつか書こうと思いながらも、なかなか手を付けられずにいた記憶たち。
書きながら、当時を思い出して一言では言い表せない感情が沸き出てきて泣けてくるし、書くのに時間と膨大なエネルギーも費やすし、なんでわたしはそこまでして書くんだろう、と思いながらも筆を進めた。
これまであまり感じたことない、苦悩の執筆だった。しかし、長いトンネルを抜けてみると、これまでにない開放感というかやり切った感があった。
特に最後の一文、たった一人に向けたメッセージを書き終えたときの何かがすっと昇華されてゆく感覚は、どこか心地良くもあった。
悲しい、悔しい、やるせない、不快感、憤怒、嘆き、不安。
そういったほの暗い、一言で表しきれない感情も全部包み込んで表現できる書き手でありたい。
当時は、絡まりに絡まって身動きできないような負の想いだって、時間が経つ中で、学びや優しさに変えていくことができると信じている。
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