産休に入って、1番したいこと。
ついに、産休に入った。
毎年この時期は、さあそろそろ2学期が始まるぞ、と気を引き締める時期なのに、それがないなんてまだ夏休みが延長されているような不思議な気分だ。
約1か月前にあった終業式は、明日から夏休み!と1年で最も開放感に溢れた喜ばしい日のはずなのに、目の前の子どもたちと会えるのも、もしかしたらこれが最後かもしれない、と考えると無性にさみしいような悲しいような気持ちになった。
まるで、翌年異動が決まっている前の3月の修了式のような。
ただ、異動のときと違うのは、事前に子どもたちには産休に入るので2学期からは会えない旨は伝えてある。
子どもたちの中には
「さみしい…。」と泣く子や別れを惜しむ子もいたけど、
無邪気に、
「産んだらすぐ学校に戻ってくるやんね!」
「待ってるね〜!」
といったわりとあっけらかんとした反応の子も結構いた。
また、保護者の方や同僚も別れを惜しむというよりも、
「復帰、待ってます。」
「弟が来年、入学してくるのでまたよろしくお願いしますねー!」
「また、一緒に働きましょうね。」
「きっと碧魚先生は、すぐ戻ってきますよ。(笑)」
なんて言われてちょっと拍子抜けしたし、折角だし最低2年か3年は育休を取ろうかなという考えが、ゆらゆらと揺らいでしまった。
わたし自身、実際に経験してみないと、最大限我が子との時間を過ごしたいと思うのか、早く仕事に復帰したいと思うのか、未知の部分が多すぎて想像もつかない。
また、制度上最大3年間、育休を取得することができるとはいえ、1年目以降は完全な無給になってしまう。経済的にも可能かどうかなども熟考する必要がある。
ともあれ、いろいろ仕事を引き継ぎ、学校に置いていた荷物を整理してわんさか全て持ち帰り、無事に産休に入ることができて、ほっとしている。
大手を振って働かないでいられるこの期間、まめちゃん(わたしが付けた赤ちゃんの愛称)を迎える準備や通院はもちろんあるけれど、自分がしたいことにたくさん時間を割くことが出来る格好の機会でもある。
この産休期間、何をしたいかと問われれば、様々あるけれど、まず一番に頭に思い浮かぶのは、ただただ書きたいということ。
このnoteというフィールドでエッセイを書き始めて、約4年。
その期間中、書くことが滞った期間もあるけれど、そのほとんどがずっと書くことに対する熱は冷めず、楽しい!という気持ちで書き続けることが出来ている。
(この4年間で投稿したエッセイは、130弱にもなるらしい。)
投稿は週1、2回ペースだけど、ほとんど毎日何かしら書いたり、書きたいことを考えたりしている。書くことは、もはやわたしにとってライフワークだと自信をもって言える営みになった。
これまでは、週末にまとめて書き上げることが多かった。というのは産休に入る前、小学校の先生として働いていたときの平日はまとまった時間を書くことに充てるのは、なかなか難しかったからだ。
時間さえあれば、もっと書けるのに…!!
そう歯がゆい思いをしたことは数知れない。
書きたいネタを見つけペンを走らせ、あるいはキーボードを叩くものの、最後まで書き上げる時間と心の余裕がなく、下書きに途中のまま眠る文章たちも数多い。
先日、何気なく見るとなんと下書き数だけで130弱あった…。
その中には、書きかけた当時の熱がすっかり失われてそのままになった文章もあるけども、あともう少し推敲・修正だけ…という文章もそこそこある。
他に、「書きます」と宣言したものの中途半端になってしまっている文章もあるので、そちらもいい加減手を付けて、完成させたい。
働いていた頃よりも格段に時間ができた今、書いて書いて書きまくるぞ!と密かにわくわくと胸躍らせている。
しかし本当にわたしは、毎日何時間も存分に書くことができるんだろうか、という疑問もちらりとよぎっているのも事実。
時間がない中だからこそ、趣味として夢中になれていたのか。
それとも膨大な時間の中でもいくらでも楽しんで書き続けられるのか。
この産休中の約2か月間で、わたし自身の「書く」ことへの人生における優先具合みたいなものが見えてくる気がする。
いずれにせよ、投稿頻度は恐らく今より上がるはずなので、お付き合いいただけると幸いです!!
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