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わたしにとって書くことの意味、あるいは青いワンピース。


遅ばせながら、新年明けましておめでとうございます。

年末年始よく寝て、美味しいものを食べ、とのんびりしていたら、もうお休みが終わってしまった。


生活リズムを崩さず、規則正しい生活をしましょう。」
学校で、終業式に配った「冬休みの決まり」に書かれてあった一行目、一番守れてないのは何を隠そう、このわたし。

仕事が始まるのは、別に嫌ではない。
嫌ではないけれど、3時寝11時起床が、スタンダードになった昼夜半逆転してしまった身に、明日から朝7時前に起きるとか、不可能に近い気がする。
しばらく、午後からの授業じゃだめですか、
あ、はい、そうですよね、、。

頼んだぞ、我が目覚まし、
スヌーズ機能5分間隔8回セットよ。



昨年を振り返ると、初の異動やら引越しなど何かと変化が多かった年だが、noteで文章に触れたり、書いたりすることが習慣になったというのも大きな変化だ。

noteさんが出してくれた記録によると連続投稿はまだ9か月らしい。もっと書いてきた気がするんだけど、まだ9か月かあ。

書くことで、わたしは、自分の感情の解像度が上がる。書いているうちに、そうか、わたしはこんな気持ちだったのか、とすとんと心に落ちていく。


そして書くことは、連想ゲームみたいだな、とも思う。
○○といえば、○○。書こうとしていたことから、どんどん言葉が連なっていく。楽しくなってきて、たまに遠くまで行ってまた帰ってこなきゃいけなくなるときもあるけれど。

言葉を、選ぶのってこれまでの積み重ねなんだな、って改めて思う。
使ってしっくりきた言葉は、ついつい無意識的にまた使ってしまうんだな、って最近気付いてしまった。

そして、他の人が紡いだ文章に触れるのも、
また面白い。

自分の気持ちをぴたりと代弁されたように感じることもあれば、へえ、そう感じる人もいるんだ、と自分にはない感じ方や捉え方に感心することもある。


そして、これはわたしの持論だが、どこか惹かれる文章を書く人や素敵な表現をされる人に、悪い人はいない、と思っている。

言葉にこだわるって、自分の思いや感性に向き合うってことだから。
ちゃんと自分の言葉を大事にしている人は、
誰かの言葉も、ないがしろにしようとは、しないはず。

「身だしなみ」は、内面の1番外側、なんて言うのだから、出てくる言葉だって、内側の1番外側に違いない。



そして、自分の書いた文章への反応、これもまた楽しい。
スキをつけてくれる方や、コメントをしていただく方。ああ何か届いているんだな、ってうれしくなる。



そういえば、やり取りは、スキ、やコメントなど画面上での文字が主だったけれど、
一回だけ参加してみた、オンライン雑談会、ああいうのにもまた参加してみたいなあ。
(わたしが、参加したのはちゃわんさん主催の雑談会。ありがとうございました)

顔が見える、声が聞こえる、ってああ確かにそこにいるんだな、って強く感じられるから。

話したのは、たった一回だけれど、それ以降参加されていた方の文章を読むと、声が聞こえてくるような感じがしている。

もうちょっと贅沢を言うならば、普段noteでやり取りを重ねている方と会ってみたい。
オフ会、みたいな?

というかわたし、オフ会、的なものに、参加したことないんだった。 
でもたくさん人がいすぎたら、誰と話せばいいか分からなくなっちゃいそうだな。

少し前から、一つ決めていることが、ある。

もしもnoterさんの誰かとお会い出来る機会があれば。

名前も碧魚だし、「ああ、ぽいな〜。」ってって思ってもらえるように、大好きな青色か青緑色の服を着よう。遠くからも分かるようにワンピースがいいかもしれない。

あとそこに、魚モチーフのアクセサリーでもつければ、完璧だな。
あ、それは持っていなかった。

初めてな感じがしない気がするんだろうけど、
「初めまして。」
ってその時は、お互い挨拶をするんだろうか。

考えるだけで、ちょっと心が跳ねる。


引き続き、楽しく書き続けられるといいな。
みなさま、今年もよろしくお願いします。








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