子どもを泣かせた、ベテラン先生の一言。
「すみません、まだ子どもが帰っていなくて・・・。」
ーまた?
電話で保護者からのその知らせを耳にしたとき、正直そう思って心がざらついてしまった自分がいた。
ちらりと職員室前方の時計に目をやる。
時計の針は、16時を過ぎたところ。
1年生の下校時間からは、もうすでに30分以上過ぎている。
クラスのれおくん(仮名)は、少し前にも同じように下校時間を過ぎても帰宅していないということがあった。
そのとき彼は家に帰らず、ランドセルのままで直接友だちの家に遊びに行っていたのだ。そして度々、寄り道しながら帰っていることも母親から耳にしている。
きっと今回もまた友だちの家に行ったか、どこか寄り道しながら帰ったりしているに違いない・・・。
内心そう思いつつも、学校帰りに何かあっては大変だと他の先生たちと近くをぐるりと自転車で捜索することになった。
「すみません。うちの(クラスの)子が・・・。」
「いいよいいよ、仕方ない。」
謝るわたしに、そう言って周りの先生たちは笑ってはくれるものの、ずんと気が重くなる。
今日は久しぶりに会議などがない、各々の仕事を進めることが出来た日。
今日のうちに定時までにやっておきたい仕事があった先生だっていたはずだ。
それぞれが多忙な中、きっとどこかに遊びに行っているであろう児童の捜索に駆り出されるだなんて申し訳なさ過ぎる。
しかも、つい先日わたしはれおくんに
「お家の人が心配するから、直接友達の家に遊びに行きません。いったん必ず家に帰りましょう。」といった指導をしたばかりなのだ。
あの指導の時間は何だったのだろう。
ため息が出た。
近くの公園など、いくつかれおくんが行きそうなところを回った。しかしそのうちのどこにも彼の姿は見当たらない。
同じクラスで仲の良い、ともくんやしょうちゃんの家に電話してみるか・・・と思っていた矢先、携帯電話に「れおくんさっきお家に帰ったそうです。」と連絡が入った。
近くにいた主任のベテラン先生である村田先生(仮名)と共に、そのままれおくんの家に向かう。
ーああ、また叱らなくてはいけない…。
さあ、なんて言おう。
玄関のチャイムを押す。
既にお母さんにこってり叱られたのだろう、ふてくされた顔のれおくんが玄関から顔を覗かせる。
わたしが口を開きかけたと同時だった。
ー村田先生が飛び出して、がばっとすごい勢いでれおくんを抱きしめたのは。
「ああ、良かった。良かったよ・・・!
あなたの身体がいつものように温かくて。」
急なことに目を丸くしているれおくんをそのままに、村田先生は彼の背中をさすりながらこう続けた。
「あなたがどこにいるのか分からなくて、いろんなところを探したのよ。大きい道路があるから、車に轢かれたんじゃないか、悪い人に連れ去られたんじゃないかってそりゃあそりゃあ、心配で。良かった、あなたの身体がこうやって温かいままで良かったよ。」
村田先生のふくよかな手が、わしゃわしゃとれおくんの背や頭をなでる。
みるみるまに、彼の顔はくしゃりとゆがんで真っ赤になった。
ほろほろと頬を流れるのは、大粒の涙。
そしてその後、文字通りわんわん声をあげて泣いた。
さっきのふてくされたような顔の面影はどこにもなかった。
自分の軽率な行動が周りの大人を心配させたことによる、心からの「ごめんなさい」の顔だった。
わたしはというと、一連の村田先生の言動に言葉にできないほどの衝撃を受け立ちつくした。
またどうせ遊びに行っているのだろう、とさほど心配していなかったわたしに比べ、村田先生は本気でれおくんの身を案じた。
そして指導より先に、かけがえのないあなたのことを大切に想っているからこそ心配した、という愛あるメッセージをがつんと全力でぶつけたのだ。
「心配したんだよ。」という言葉だけでは伝わらない迫力だった。
先生としての指導力云々の前に、人としての器の大きさを目の当たりにしたような気分だった。
学校に戻ってから、わたしは村田先生に
「先ほどは、ありがとうございました。」
と頭を下げた。
「まあ、あそこまで言われたら、れおくんも懲りるやろ~。ほんまもう勘弁して欲しいわ~。はー美味し。」
そう言って村田先生はどっかり椅子に腰を下ろし、淹れたばかりの熱いお茶をずずっとすする。
・・・全力で心配していた、と言うのはもしかしたら村田先生の演技だったのかもしれない。
しかしそんなことは些細なことである。
大事なのは彼にどう伝わったかのか、ということなのだ。
どちらにしろすごいな・・・改めてさすがこの道40年弱である、ベテラン村田先生に尊敬の念を感じた出来事だった。
もちろんこの日を境に、れおくんに三度目はなかった。
それどころか、よくしていた寄り道すらせず、素早く家に帰るようになったという。
数年後、村田先生は周りに惜しまれつつ定年を迎え、退職された。
同じようなことで、子どもを叱らなければいけない場面に立ったとき、あのときの村田先生の姿が今もたまによぎる。
指導力とは、咄嗟にどれだけ相手の心の奥底に届く言葉を放てるか、ということなのかもしれないな、なんて思いながら。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?