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【岩波文庫300冊読む企画】第一回:121~125冊目

 岩波文庫を120冊読み終えた段階(2023年末)に300冊読む企画を開始、5冊読むごとに読書メモがてら一冊ずつ寸評を行おうと思い、本稿より記録を開始することにした。ただし、のんべんだらりと記録と感想のみでは、平凡で面白くない。どうしたものかと考えたが、この道の先達に門谷建蔵という人がいることを思い出した。氏は『岩波文庫の赤帯を読む』『岩波文庫の黄帯と緑帯を読む』という著書で、岩波文庫を大量に読み込んでいるのだが、それを続けるモチベーションの一つとして、ランキングを作るという目標を設定している。つまり、長編小説ランキング、戯曲ランキング、あるいはフランス文学ランキングなど、いろいろな角度で岩波文庫のランキングを作っていて、これがなかなか愉快なのである。読んでいて面白いのだから、作る方はもっと楽しいに違いない。だからこれを参考にしようと思った。けれどもまるっきり同じでは、これまたつまらない。
 結局あれこれ思案した末、私の企画では、ランキングではなく、一冊ずつに点数をつけるという方式をとった。といっても、0~100点だけではちょっと味気ないから、大学の評定基準を参考に、以下の通り点と評定をつけることにした。

100~90点 優上 (上位の1割に限る)
89点〜80点 優 (上位の3割に限る)
79点〜65点 良
64点〜50点 可
50点未満 不可

 よほどひどくない限りは基本的に50点以上になる。また、大学に倣って優3割規定を適用することとした。優上に関しては上位1割にしか出さない。相対評価だから、80点以上つまり優と優上を合わせて基本的に3割前後になる。本家は実にくだらない制度で、一日も早い撤廃を願い続けているのだが、こうして遊びで利用するにはなかなか悪魔的な愉快さがある。良いと思った作品でも、上位3割に入らないと思えば容赦なく79良になってしまう。そういう残酷さが面白い。
 無論、私の文学への鑑識眼は平凡人以下、まるでなっていないから、評価基準としては決して当てにしないでもらいたい。もとより岩波文庫を数百冊読もうという、およそ時代錯誤的な企画をしているのも、大学に入るまで文学、哲学を全く読んでこなかったことに対してコンプレックスを抱いているからに他ならない。だから優れた作品を不可にすることもあれば、月並みあるいは拙劣なものに優上を与えていることが、あるいは多いかもしれない。ひとまず断り書きはこれくらいにして、早速本編に入るとしよう。

【121冊目】 フーケー『水妖記』 (赤415-1)

 均一棚から拾ってきて、4年くらい積んでいたのを読む。日本でもウンディーネで有名で、読書メーターでも登録数731件だから、ドイツ文学の赤帯の中ではかなり人口に膾炙している部類と言えるだろう。事実、古本屋の店頭でもよく見かける。ドイツ・ロマン主義の作品、グリム童話を思わせるような、フォークロア的幻想小説で、語りと組み立てともにかなり好みである。本書を読み終えた直後に、古本屋の均一棚でジロドゥの戯曲『ウンディーネ』(光文社古典新訳文庫)も発見し、積んである。本作の翻案とも言える内容らしく、そのうち読んでみようと思っている。(評定:80優)


122冊目 ホフマン『黄金の壺』 (赤414-1)


 フーケーに引き続いてのドイツ・ロマン主義を読もうと思った。とりあえずホフマンだろうか。ホフマンは一冊も読んだことがないが、初めて読むならば『ホフマン短編集』だろう。あれならもう買ってあると思い、書庫を探したのだが、一向に見つからない。店頭では何度も見かけたのだが、そのたびにもう持っていると勘違いして、買っていなかったのである。仕方がないから、持っている『黄金の壺』を読む。読書メーターの登録件数は339件、まずまずの有名どころといえる。こちらもフーケー同様、幻想小説なのだが、雰囲気を大きく異にする。何より視覚的イメージが目まぐるしい。これをどう捉えるかは人によりけりながら、私には目が回るような感じがして、ついていくのに大変だった。色使いとして原色が多用されているのも印象的だが、これもベタベタ塗った油絵のような感じでちょっと苦手である。私はこの一編を読んで、大手拓次の詩を連想した。共に現れる蛇のモチーフに引きずられたものと思われるが、拓次はボードレールに影響を受け、ボードレールはポーに、そしてポーはホフマンに傾倒したというから、私の連想もあながち突飛なものでもないのかもしれない。ただホフマンの本作品と拓次の詩を較べるならば、後者の詩境の方がずっと美しく、幻想的であると思う。まぁ贔屓目だろう。(評定:64可)

123冊目 アンドレ・ジイド『田園交響楽』 (赤558-5)


 『狭き門』だけ読んで数年来敬遠していたジイドを読む。最近は一般にジッドと言うらしいが、どうしてもジイドという呼び方の方に馴染みがある。読書メーターの登録数はわずか16件、かなりマイナーな部類と言えるだろう。破局に至るまで、日記体で緊密な構成を保っているのは見事で、雪に閉ざされたスイスの山奥の村の空気感もまた、本作品の透き通るような美しさを演出するのに、大きな役割を果たしている。ただ、結末は急ぎすぎた感が否めない。視力を回復したあとのジェルトリュードをもう少し引っ張って、長編にしていたらかなり面白いものになったのではないか。もっともそういう展開はゴテゴテすること必死だから、前半までの美しさを損なうと思ってジイドはあえて書かなかったのかもしれない。ともあれ結末がちょっと物足りないのであるが、全体的に見れば『狭き門』よりもこちらの方が好きである。 (評定:70良)

124冊目 鷗外 『舞姫・うたかたの記 他三篇』 (緑6-0)

 これまで表題作しか読んでおらず、初めて他三篇含めて通読。「舞姫」もいいが、「うたかたの記」に最も鷗外らしさが出ているような気がする。「そめちがへ」は「解説」で斎藤緑雨が失敗作と言ったそうだが、私も同感で、鷗外の新しい表現への模索は評価できるけれども、この作品の鷗外の花柳界の描き方は(比較対象とするには酷だが)一葉に遠く及ばない。最後に翻訳の「ふた夜」が入っていて、これはなかなか良いと思う。文語調に慣れておらず、ちょっと油断するとたちまち何が何だかわからなくなってしまうこともあったのだが、文章の端正な美しさも、多少ながらわかったような気がする。 (評定:85優)

125冊目 鷗外 『雁』 (緑5-5)

  舞台の無縁坂は上野駅から本郷への通いなれた路とあって馴染みあり、一気に読む。無駄を極力省いた構成でありながら、深い余情を残していて、久しぶりに良い小説を読めたと思った。「僕」という語り手を、回想という形式を生かすことによって神出鬼没に操っており、その点でもなかなか面白い。これは漱石の作品にも言えるが、同時代の本郷・上野界隈の風物もうまく描き込んでいて、そういう意味でも読み甲斐があると思う。(評定:100優上)


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