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台湾に留学しそこねた時の話 Part1

私のnoteは基本的に香港と広東語の話題ばかり書いているのですが、たまには香港以外のネタも書いてみようと思います。

ただし、今回のネタは今から30年以上前の思い出話に過ぎないので、時系列も若干いい加減ですし入試とは無関係なエピソードがてんこ盛りです。近々台湾に留学したいと思っている人にはまったく参考にはならないと思いますが、こんな経験をした人がいるんだ!とご笑覧頂ければ幸いです。

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さて、こんな私でも台湾に留学しようと思い立ったことがあるのです。
語学留学ではなく本科生として。
しかも大それたことに大学ではなく大学院に進学しようと考えておりました。

事の発端は、私が中学一年の頃にさかのぼります。
香港で暮らす私の楽しみの一つはテレビでした。
《大地恩情之金山夢》という連続ドラマで、中国人が苦力としてサンフランシスコに渡ったシーンがあったんですね。
でも、そのドラマの放送中に私が帰国してしまったので、途中までしか観られなかったのです。
最終回まで観たかったのですが、どうしようもありません。

(なんとその動画がありましたので貼っておきます。40年ぶりに観てしまった。)


帰国時には父の仕事がらみで台湾に寄ってから日本に戻ることになったのですが、その時の印象は香港と日本のミックスでした。おおむね香港に似てはいるものの、ちょこちょこと日本に似ている所があります。

例えば、当時は台北の鉄道が地下化工事中で一部はまだ地上を走っていたのですが、踏切施設が日本とそっくりで驚きました。

レストランで何度か飲んだドリンクに「黑松汽水」という炭酸飲料がありましたが、味わいは日本のラムネそのものでした。香港では「七喜(7up)」を飲み慣れていたので、一気に日本気分に戻りました。

故宮博物院にも行きましたが、一番よく覚えているのは展示物ではなく、喫茶室で食べた台湾製?プッチンプリンがおいしかったことです(子供の記憶なんてそんなもんなんですよね。笑)。香港には売っていなかったので、久しぶりでうれしかったんです。

この時点で香港でもなく日本でもない、台湾にちょっと興味が湧いたのです。また、香港から帰国する直前に「鄧麗君(テレサ・テン)」のカセットテープをたくさん買ったのですが、それも一つの要因だったかもしれません。

帰国後はフツーに中高と学校に通っていましたが、時おりテレビで香港映画を放送していたので、懐かしさもあってよく観ていました。
ちょうど家庭用ビデオデッキが普及してきた時期でもあり、テレビ放送される香港映画はすべてチェックし、録画を欠かしませんでした。今でも自室には当時のVHSテープがたくさん残してあります。

さて、とある映画の中国語字幕に「金山伯」という言葉があって、これを英語でOverseas Chineseと訳されていて「???」となったのですが、後のち「金山」がサンフランシスコであると知りました。その映画の「金山伯」とは、苦力から身を立てて商売を興した人のことでした。

それから大学に進学して専攻は中国語を選んだのですが、たまたま授業を受けた台湾留学経験のある先生にそそのかされ(笑)、台湾への興味がどんどん湧いてきて、そうだ、あの時テレビで観た苦力貿易とか「金山伯」とかその辺の勉強が出来るのはどこだろうか?と探していたところ、台北の「政治大学」が良かろうという結論に達しました。

もっとも、その手の勉強がしたいなら米国の大学のほうが資料も環境も整っていると助言してくれた人もいたのですが、費用が高いのと英語力にまるで自信がなかったので私には無理と判断しました。

とりあえず現地に行ってみましょうということで、大学三年の夏休みに後輩と一緒に台北を訪れたのでした。大学三年と言えば周囲はそろそろ就職活動を意識する頃ですが、台湾に行くものと勝手に決めていた私は、なんにもせずのんびり過ごしていました。
ちなみにその後輩は後にエバー航空の日本人第一号社員となったのでした。今どうしてるかな?

件の政治大学を訪問し、入試要項をもらいに行ったところ笑顔で「歓迎します」と言われ、いよいよだな〜。という感じでした。
滞在中はバスに乗っていたら高校生くらいの女の子から「日本人ですか?」と声をかけられたりして、一週間くらい楽しい時間を過ごし日本に帰りました。

帰国してから、今度は留学ビザ取得のため亜東関係協会を訪れ、窓口の女性に説明したところ、「私も政治大学卒業生です。」と告げられてテンションは爆上がり。
もっとも、まだ入学もなにも決まっていないのでとりあえず観光ビザを取得し、入学が決まり次第留学ビザに切り替えるということになりました。
(この辺ちょっと記憶があいまいなので、決して参考にしてはいけません。)

要項に記載されている書類はほとんど準備できたので、あとは決行するのみです。四年生になってもまわりの友人たちのような就職活動もせず、大学卒業後の四月に出願のため台北行きの片道チケットを取りました。
健康診断書だけは現地のものでないとダメだったので、着いてから用意することにしました。

続く。



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