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4年半ぶりの香港と33年ぶりの台灣 8日目(おまけつき)

本日は旅行最終日。
旅行と言っても家に帰るだけで、台灣のどこかに行ったわけではありません。ただの移動日です。
一応家までの旅程を書いておきます。アクシデントもありましたので、参考にしていただければ幸いです。
7日目までの記事を読んでいただいた皆さん、ありがとうございます。

あと、最後にちょっと重い話を載せておきます。


空港到着から自宅まで

まるまる1週間の旅行でしたが、いよいよ最後の移動です。
友人は仕事があるので、ホテルは早々にチェックアウトしたようです。
私はと言えば、すぐに出ようと思えば出られたのですが疲れもありまだウトウトしていました。
しかも前夜のうちに飛行機はオンラインチェックインしてあったので、空港には2時間以上前に着かなくても大丈夫かなあと。
それでも何とか9時前には起きて、ホテルのチェックアウトを済ませました。カウンターには昨日とは別の中年女性が座っていました。日本語は通じない人みたいですが、皆さんお世話になりました。

スーツケースを引きずり西門駅まで歩きます。MRT入口ではどうしても階段を降りなければならないけど、これはしょうがない。

しかし、改札口の前で私は血の気が引きそうになりました。悠遊カードに100元チャージしてから乗ろうと加值機に紙幣を差し込むのですが、何度やっても受け付けないのです。おかしいと思ってよく見ると、その赤色の紙幣は香港ドルだったのです!

悠遊カードの残高は50元もあるかどうか。うーん、どうしよう。特急に乗れないかも…。ということは飛行機にも乗れないかも…。手数料払ってキャセイに予約変更頼むのか…?今ごろ頼んでも席が空いているのか…?そもそもチェックインしてしまった後に予約変更出来るのか…?最悪だ…。

しかし左のポケットに10元玉がジャラジャラしていることに気づき、窓口で「硬貨でもチャージできますか?」と聞いたところ「いくらですか?」と聞き返されたので、手持ちの全額(80元くらいか)を出したところ問題なくチャージしてもらえました。もしかしてあまり細かすぎだとダメなのかもしれません。今回の旅行で最大の危機でした。

悠遊カードで改札を出る時、残高が不足していてもマイナス60元までなら出られるそうです。ただ事前に残高を把握していないと、マイナスが60元を超えた場合の不足分が改札で引っかかります。今回の私のケースではなんとかOKでしたが、残高不足には要注意です。
(いや、香港ドルに気づかないのが問題)

ホッとしてMRTに乗り、北門駅で降りてから機場快線台北駅目指して歩きます。
途中にインタウンチェックインのできるエリアがありましたが、私は海外でのそういったシステムを信用していないので、そのままスーツケースを引きずります。
その時は何も考えずにスルーしたのですが、あとでこの判断は正しかったと思いました。なぜかって?もし西門駅でチャージせずMRTに乗り、残高不足に気付かず台北駅の改札出口で引っかかったら、荷物だけ日本に行ってしまう可能性だってあったわけですから。

ところで、機場快線へのルートは非常に分かりづらいのです。行きは大丈夫だったのに…。案内矢印のとおりに歩いてきたら、駅の外に出てしまいそうになりました。迷いながらも下りエスカレータを見つけて、桃園機場駅行の特急になんとか乗ることができました。おそらく10分以上ロスしたと思います。

空港に着いてキャセイのカウンターを探します。オンラインチェックインは済ませてあるので、荷物を預けるだけです。
ここにも自動チェックイン機が並んでいますが、ちょっと勝手が違う。というか、パスポートのスキャンがうまくいきません。どうしたものかと思ってチェックイン機をじ~っと見ていたら、職員に声をかけられたので直接有人カウンターに持ち込みました。
これ、もし将来的に100%自動チェックイン機を使うようになると、トラブルの時面倒だなぁ。

借りていたWiFiを返し、出国ゲートに向かいます。ボディチェックが結構混んでいて、思いの外時間を要しました。
新東陽でカラスミを買い、搭乗口に着いたのは15分前でしたのでギリギリです。空港に着いてからここまで来るのに、おそらく1時間ちょっとかかっています。もう少し早目に出発すれば良かったと反省。
後ろの席を選んだせいか、搭乗はビジネスクラスのすぐあとで早目に乗れました。

帰りのキャセイは機内がかなり寒く、脱ごうと思っていたコートは着たままでした。でもハーゲンダッツはうまい。

ほぼ順調に成田到着。
手荷物検査では、台灣の時と同様レコードの入った袋を「それは何ですか?」と聞かれました。やっぱりレコードを買って帰る人は珍しいみたいです。

スーツケースは宅配にお任せすることにしました。帰りの電車は2時間以上すべて在来線での移動になるので重いし邪魔ですし、何より大事なレコードに気を使いたいからです。早くリムジンバスの運行再開してくれないかな。

今回はキャセイの旅でしたが、JALの宅配サービスのカウンターを探します。JCBカードを提示すると、料金が15%引きになるのです。プラチナ・ゴールドなどプレミアムなカードだと、利用明細を見せれば1つだけなら500円とのこと(2個目からは15%引き)。私はプロレタリアートなので、その恩恵にはあずかれません。
カウンターは結構フロアの端っこで、公式サイトの案内だと分かりづらいです。出発ロビーまで探しに行ったら、あったのは結局到着ロビーでした。

身軽になり京成線の改札口まで来ましたが、大変な混雑です。この駅は海外との窓口なのに、この状態で訪日外国人がスムーズに切符を買えるとは思えません。路線や列車の区別(急行とか各停とか)もややこしいし、券売機の使い方も戸惑いそうです。
ちなみに私はSUICAとか持っていませんので、券売機上の路線図をガン見し、券売機の料金をガン見し、乗り換えに心もとなさを感じつつ切符を買いました。

その後電車を2回乗り換え、夕方遅くにやっと家にたどり着きました。
明日はスーツケースが届きます。スーツケースを受け取るまでが遠足です。

旅の総括

今回の旅の印象です。あまり細かく書ききれなかったことをメモで。もっとも私が回った範囲の話ですので、参考程度にしてください。

香港

・マスクの人は東京よりちょっと少な目
・香港はまだ香港だった(いつまでかな…)
・円安を差し引いても物価は2019年の3割増し、プラス円安で5割増し!
・景気は思ったほど悪くなさそう
・道行く人の服装は半袖から厚めのブルゾンまでバラバラ(気温が参考にならない)
・彌敦道を走るバスが意外に待たされる(バス減ったのか?)
・物乞い(特に音楽とかやらない人)は減った
・チャリンコのデリバリーが増えた
・屋台含め串焼き屋が増えた
・商業ビルにはラーメン含め和食系レストランが当たり前にある(長いこと日本に旅行できなかったから?)
・夜出歩く人が減ったかも?でも飲み屋街は意外と盛況
・歩行者が信号を守るようになった(東京と大差ない)
・店に貼ってあるクレカ会社のマークがあてにならない(2枚以上必須)
・地下鉄の乗客の90%はスマホを見てて、しかも音出しする人がいる
・八達通はカードよりスマホアプリ
・両替屋が減った(尖沙咀はまだ大丈夫)
・意識高い系(?)の親は子供との会話が英語

台灣

・思っていたより寒かった
・マスクの人は香港よりちょっと多かった
・ホームレス&物乞いも香港より多かった
・街中のビルは昔の唐樓っぽい造り(騎樓)が多い(香港は激減)
・台北の某駐車場にはパトカーが月極?で何台も泊めてあった
・街中の一方通行が面倒
・場所にもよるが台北の繁華街は日本の店大杉(外国に来た気がしない)
・相変わらずバイクが多くて、まだ3人乗りしてる人もいた
・屋台をあまり見かけなくなった
・魯肉飯は昔の値段で頑張ってる(これすごく驚いた)
・香港企業(屈臣氏とか)も頑張ってる
・街中で両替しづらくて詰む
・香港よりコンビニが広くて品揃えがいい
・台北とその周辺だけでも3泊はしたい、2泊だとあまり遠出できない

ちょっと重い話

さて、ここからは重い話です。

実は、台灣への移動前日にある友人の訃報を受けました。

例の友人からメッセンジャーが来て、学生時代からの共通の友人が亡くなったことを知りました。56歳の若さでした。
大学を卒業してからも、仕事(中国関係)で世話になったことがある友人です。

その半年くらい前にも香港日本人学校時代の同級の親友が亡くなり、「なんでこんな若くして死ぬんだよ…」と、脱力してしまったばかりでした。

帰国の翌々日の午前、なんとかギリギリで最期の面会に行きました。眠っているようにしか見えませんでした。

私は霊安室の椅子に座って、頭を抱えてしまいました。
かなり好き勝手な暮らしをしている私でさえやりたいことが残ってて、まだ死ぬ訳にはいかないと思っているのに。
思い残したことがたくさんあっただろうな。

これだから神も仏も信じられないんですよ。
彼がそんなに悪いことでもしたの?
今これを書いていても込み上げてきます。

このnoteの旅行記事1日目にも書いたのですが、「いつでも行ける」「いつでも会える」などとタカをくくっていると、悲しい結末が待っているということをあらためて実感することになりました。

いくら交通が発達し、国内だろうが海外だろうが飛行機でひとっ飛びでも、「行きたい場所」「会いたい人」が失われたらなんにもならないです。

香港は、4年半の間に「行きたい場所」が次々に失われました。

台北は33年振りです。街並みはすっかり変わりました。かつて寝泊まりした宿は、もう私の記憶の中にしか残っていません。当時お世話になった薬局も見つからず、臭くて嫌だった臭豆腐の屋台でさえも自分の中ではよい思い出です。

円安はツラいかもしれませんが、私の感覚では30年前に戻っただけです。
当時はLCCなんて無かったんですよ。それでも私はバイト代を貯めて、香港に行きました。

今回の旅行では、行きたいところはほぼ回りました。家庭の事情で当分行けなくなるかもしれないと思ったからです。

もちろん満足しましたが、帰国して一段落した今、また行きたい場所が出てきちゃいました。
行けるといいな。いや、行かなくちゃ。

皆さん、古い友人に会いに行きませんか?
行きたい場所に、行ってみませんか?
生きている間に。

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