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「ザ、退職前」私が私であるがゆえに❗️

47歳で耳の不調に襲われて、その後ドクターストップがかかり数回休職したり、体重30キロ代になるまで激痩せしたり。学校退職までの6年間これまでに経験しなかった日々が続いた。

ドクターストップは、耳鼻科だけでなく、精神科からもかかった。

今思えば、自らの完璧主義(自分では自覚はなかったのですけれど)からのストレスと何でも断れずやってしまう「仕事を集めるタイプ」が招いた結果、心身が悲鳴をあげたのだろう。

突発性難聴が先か精神的ダメージが先か、今は分からないと思っている。

卒業式のピアノ伴奏を取り上げれば、卒業生は当時流行った曲を選曲する時代だった。

「未来へ」、「栄光の架橋」、「15への手紙」などなど、、、、、。

栄光の架橋は、頻繁に調が変わりシャープやフラットがたくさんでてきて難関だった。もちろん、未来へも長い間奏があり私の腕の見せどころといった曲。

アーティストさんの曲はそれぞれの世界観があり、全てを表現することは大変な作業だった。

当時の私は、せめてミスをしないようにと、家族が寝静まってから、電子ピアノで何度も何度も弾きまくる。ピアノに近いタッチの電子ピアノだったが、やっぱり本物のピアノとは感覚が違う。

次の日、中間休みや放課後の隙間時間を使って本番弾くピアノを弾きまくる。子ども達が近寄ってくる。練習したいフレーズは後にして、子ども達のリクエストに応える。心は、焦る。時間がなくなると。

例えば、ピアノ伴奏に関しては、卒業式が近づくと毎年この繰り返しだった。
もちろん、教員は本来の仕事がある。ピアノはほんの一つの例である。

そこで、以前に「つぶやき」で書かせていただいた「芸は身を助けるか?」の疑問にもどるのである。

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