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「すべて真夜中の恋人たち」

 川上未映子さんの「すべて真夜中の恋人たち」。海外でも評価が高いと聞いて、翻訳の壁を超えて評価される作品ってどんなだろう、と思い読んでみた。

 この作品は「夏物語」ほど長くもなく、つっかえることなくすらすら読めた。
 どこかで恋愛小説と聞いていたので、恋愛を真正面から取り上げた小説を読むとか、いったいいつぶりなのか。宮本輝の「錦繍」以来ではなかろうか。

 ちょっとネタバレが入ってしまうし、本当にこの本の感想なの?と言われてしまいそうだ。


 主人公が、すべて成り行きで、自分で選んでこなかった、と考えるところがあるのだけれど、私も全く同じだった。先日読んだ河合隼雄さんの「心の処方箋」で書かれていた「私が生きた」という言葉を思い出した。ものすごくグサりと何かが心に刺さった。

わたしはこれまで、何かを、選んだことがあっただろうか。

「すべて真夜中の恋人たち」

この仕事をしているいまも、ここに住んでいることも、こうしてひとりきりでいるのも、話すことのできる人が誰もいないことも、私が何かを選んでやってきたことの、これは結果なのだろうか。

「すべて真夜中の恋人たち」

私は自分の意思で何かを選んで、それを実現させたことがあっただろうか。何もなかった。だからわたしはいまこうして、ひとりで、ここにいるのだ。

「すべて真夜中の恋人たち」

でも、と私は思った。それでも目のまえのことを、いつも一生懸命にやってきたことはほんとうじゃないかと、そう思った。自分なりに、与えられたものにたいしては、力を尽くしてやってきたじゃないか。いや、そうじゃない。そうじゃないんだとわたしは思った。わたしはいつもごまかしてきたのだった。目のまえのことをただ言われるままにこなしているだけのことでなにかをしているつもりになって、そんなふうに、いまみたいに自分に言い訳をして、自分がこれまでの人生で何もやってこなかったことを、いつだってみないようにして、ごまかしてきたのだった。

「すべて真夜中の恋人たち」

 自分で選んで初めて行動してみる。それがハッピーエンドだといい。でも現実は甘くない。人との距離をつめたり、関係を深めたりすることがなかった中で、いきなりそれがうまくいくことはまずない。
 何事も一足飛びにいかず、小さな一歩から積み上げるしかない。少しづつ、少しづつ。それがまた哀しい。勇気を出して一歩踏み出してもそれはほとんどがうまくはいかないのだと思う。
 それでもそれをやり続けられるのか。変われるのか。
 その先のことは分からないけど、友達とクリスマスを過ごすシーンを読んで、ちゃんと変わっていってるのかな、と少し明るい気持ちになる。 
 大きく変わらなくても、少し変わることでまた見える景色が違うのかなと。

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