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今週の読書 6/16「その後の不自由」
引き続き、「その後の不自由」。
これら6章で本は構成されている。
1.「私たちはなぜ寂しいのか」2.「自傷からグチへ」3.「生理のあるカラダとつきあう術」4.「その後の不自由を生き延びるということ」5.「生き延びるための10のキーワード」6.「対談では援助者はどうしたらいい」
今、3章まで読み終わった。気になったところをいくつか。
「自傷からグチへ」。子供に一方的にグチを投げつけた親は元気で、子は境界を壊されて病んでいく。ここから、グチには「グチを言う人を支える機能」がある、と発見し、自分が元気になるためにもグチを言っていこうという発想は興味深かった。ところで、なぜ親は元気なのか。それは、グチには自分を正当化できたり、自分が生き抜くストーリーを作っていたから、という。
たかがグチとは言え、子供に背負わせられないグチ、SOSを子供に押し付け、何もできないと子どもに無力感を与え、エネルギーを奪うのは単なる親の虐待だと思う。そうしてグチに侵された子供はグチが言えなくなる。グチがわからなくなる。外に対して閉じていく。それでグチを「日常の小さな不満」と再定義し、グチを言えるようにする。それを積み重ねることで、次第に外に開いていったり、人に相談できるようになったりするようだ。
「生理のあるカラダとつきあう術」。境界を壊されて育った人は自分の体にも無自覚になるようだ。徹底的に自分が大事じゃなくなるというか、自分より他の人の方が価値があると思うからだろうか。自分の体のバイオリズムが自分の感覚と繋がらないようだ。「痛い」「しんどい」「つらい」を言えるようにしよう、まず気付こうってことがまず一歩、そのためにも自分の体を知ろう、と言う感じ。「しんどい」「つらい」「痛い」は自分が弱いことではない、と。
何もかもがつらい。何度も思うが、被害者の側が常につらい。これはしんどい。なぜ被害者ばかりが苦労を強いられるのか。
みんな、何かしないとそこにいちゃいけないと思ってるんです。何もしなくていいからそこにいる。それはすごいつらいことなんですが。
これは「居るのはつらいよ」でも似たような話があったな、と思い出す。
次は「その後の不自由」を生き延びるということ。今まで出てきたような被害者が、その嵐から抜けた後、どうなるのか。どう生き延びるのか。
それはまた。
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