待ち人ゆく
昨日から落ち着かない長い時間を過ごしていた。
何かの間違いではないのかと、どこかで信じながら。でもほぼ間違いないだろう、と思いながら。
相変わらず、LINEも既読にならないし、電話もおりかえってこない。
今朝早くにいくつか続報なのか詳細記事が出ていて、SNSから入手したのか顔写真が出ていた。
これはもう抗いようがない。まさしく友人だ。
驚き、悲しみ、後悔、怒り、とさまざまな気持ちが去来する。でも一番強く感じるのは、気持ち悪くて吐きそう、という体感だったりする。不思議なものだ。
吐く、という行為は、受け入れられない、ということの身体なりの表現かもしれない。心と身体は繋がっているのだなと、感じる。そして、やはり身体なりの表現というのがあるのだな、と。
周辺の人をもっと教えてもらっておけばよかったな、と思う。なんの情報もない。今はコロナでもあるし、お別れまではできずとも、お花だけでもと思い、住んでいたと思われる場所周辺の葬祭場に片っ端から電話をかける。どこも予定はないと言う。
web記事を載せていた新聞社にもフォームから問い合わせる。一社から割とすぐ電話がかかってきて、結果分からなかったけれど、とても丁寧に対応してくれた。こういう時の優しさはとても嬉しい。
結局何も分からないままだ。そうなることは自分でもわかっていたけれど、動かずにはいられなかった。
動くのをやめ、少し時間が過ぎる。悲しみと、後悔と、怒り、というのがループするのが喪失を取り巻く感情のようだ。それはもう何度か経験済みのもので、時が解決してくれることもなんとなく知っている。
しかし、やはり予告されていない喪失というのは堪える。なんとなくいつかは来るけれど、今ではないという漠然とした予告のあるものはいくつか経験してきた。こうも突然ぷつんと切れて、その先がないと言うのは初めてだ。
先月会ったときにも、コロナどうよ?これからどうするかね〜、持続化給付金申請した?なんて話をしたばかりだ。
突然の喪失をとりまく感情は、無力感、虚無感だろうか。体感的には疲労感だ。私は無宗教だが、なにか絶対的なもの力を感じる。誰も敵わない、なにかだ。
友人には本当に感謝している。昔、死んだらどうなるのかな?なんて話をした気がする。案外幸せな感じらしいよー、と無責任に友人は言ったけど、そうだと良い。もっと話したかったよ。
ようやく長い長い2日間が終わる。
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