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今週の読書「生まれてこないほうが良かったのか?」

「生まれてこないほうが良かったのか?」を時間をかけて、ぼちぼち読んでいたが、ようやく読み終わった。

「ランスへの帰郷」を今年1かもと言った舌の根も乾かぬこのタイミングですが、本当に読んで良かった本でしたし、これを購入して手元に置いていた自分を褒めたいと思った。

元々の自分の興味であった、この2点。
・仏教の輪廻転生からの解脱は、反出生主義のように思えて不思議
・反出生主義の考えはかなり古いものだが、それに対する解はあるのか
仏教に関してはかなりクリアになりました。
解に関しては、朧げながら方向性を見た気がした。古代からの流れを見ながら精緻に分析されていて、今に至る流れは理解できたと思う。

ニーチェのところは、個人的にはとても感動した。
「永遠回帰」の話は正直絶望を覚えたけれど、その後に続く「運命愛」の話と、「在るところのものに成ることを欲する」、その為に実験し続ける、という話には感動した。希望を感じた。
 一瞬でも肯定できる瞬間があるのであれば、そこまでの苦難すらも肯定できる、それが何度となく繰り返されたとしても、むしろそれを欲する、というのには戸惑いを感じたが、本から離れた全く別のシーン(心理学的な意味での自分の中のとある象徴をどう扱っていこうか、といった場面でした)で、この言葉を理解できたような気がして、とても感動した。
 そして、その同じシーンで、在るところのものに成る為に実験し続けること=(ではないのかもしれないが)一瞬の肯定できる瞬間を得ることに向かって生きること、すなわち生きることの希望を見た気がして、震えた。
 期待、という言葉を自分の中で理解できたような気がした。
 あくまでも個人的なアハ体験というか、急激に自分の中に腑に落ちたという瞬間をひさしぶりに味わった。(読んでいても何のことやら、、、みたいな感じだと思いますが、うまく言語化できない。)

 この本は基本的に下記のスタンスであって、それもとても分かりやすかったし、著者の誠実さみたいなものを感じた。

「生まれてこないほうが良かった」「生まれてきたほうが良かった」という誕生の善悪を問う問題設定を、「生まれてこなければよかった」「生まれてきてよかった」という誕生の肯定否定を問う問題設定へと変換したうえで、後者の二つがいったいなにを意味するのかを哲学的に明らかにすること

 ネタバレ的かもしれないが、著者のこの言葉にも感動した。

私にとってこの問題と向き合うことはけっして知的なパズル解きではなく、私がこの限りある人生を後悔なく生きるためにどうしても必要な作業である。あるときは否定の側に寄り、あるときは肯定の側に寄りながら、生まれたことの意味を考察し続けていく作業、それが私にとっての「誕生肯定の哲学」という営みなのである。

どうしても必要な作業というところに、勝手に切実さを感じた。この問題を考えることが生きることと切り離せない者にとっては力強い味方を得たような心地がする。

 次の著書もとても楽しみにしている。この本も参考文献が山盛りなので、自分でより知りたいところも少しづつ読みたいと思っている。

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