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僕はそこに目指すべき社会の姿を見た

ススキが広がる曽爾高原(奈良県)赤い屋根の施設は国立曽爾青少年自然の家

これは僕が奈良フォルケ運営メンバーとして奈良県曽爾(そに)村で開催した、日本版フォルケホイスコーレのショートショートコース(SSコース)の体験記です。

はじめに

 僕は子どもと大人が世代で分離されず、同じ場所で学ぶことができる学校を創ろうとしている。
詳しくは別途記事にするのでここでは簡略して説明するが、
個人と社会とのかかわりを重視したカリキュラムを通して、自分の生き方や幸せについて自分で考えられる人を増やしたい。
そして誰も孤立しない社会を創っていけたらと考えている。
今はそれを「人生の学校(仮称)」と称している。

そんな折、デンマークに同じようなコンセプトの学校「フォルケホイスコーレ(成人教育機関)」と「森のようちえん(幼児教育)」があることを知った。
更に日本でフォルケホイスコーレを創ろうとしている団体(奈良フォルケ)に出会い運営メンバーとして参加することになった。
ちょうど奈良県の曽爾村で曾爾ホイスコーレ ショートコースを開催する準備を進めていたところに僕が合流した形だ。
僕が運営側としてかかわってみたいと思った理由は、
SSコースのテーマ「子どもから大人が学ぶ」というコンセプトに共感を覚えたからだ。
僕が考えていた“子どもから大人まで同じ場所で学ぶ“という構想とぴったり重なっていた。

SSコース2泊3日のコースは下記の通り
森のようちえん ウィズ・ナチュラ(奈良県天理市)と曾爾保育園(曽爾村)との合同保育視察
デンマーク人講師(デンマーク フォルケホイスコーレ経験者)による、音楽でコミュニケーションを深めるカリキュラム
曽爾村を巡りながら地域を体験するカリキュラム

 国立曽爾青少年自然の家で開催したこのSSコースは、本来5日間にわたって実施する予定でSコースとして企画していたが、当初予定が平日5日間の開催ということもあり一般参加者定員が埋まりきらず、日程と内容を縮小凝縮した形でSSコースとして開催した。
参加者は我々運営関係者と一般参加者、大人・子供合わせて12人。2泊3日を国立曽爾青少年自然の家で寝食を共にした。

1日目は森のようちえんとフォルケホイスコーレを知る

 最初は森のようちえんウィズ・ナチュラ(奈良県天理市)と曽爾保育園の合同保育を見学。
自然の中で1日を過ごし自然とのつながりを通して子の成長を徹底的に見守る“森のようちえん”スタイルで、日本の一般的な保育園児と一緒に過ごすという形で合同保育を実現した。

朝の会は歌を歌うことから始まる(フォルケホイスコーレと同じだ)

火起こし(森のようちえんでは火起こしを日常的に行っているそうだ)から始まって、山の中を自由に使って過ごす。ある子は木や石をぶん投げて遊び、ある子は絵をかき、ある子は折り紙で遊ぶ。
何をするかは子どもたち自身で決め、先生(大人)は介入しない。
徹底的に子の動きを見守るのが森のようちえんスタイルだそうだ。

やりたいことを自分たちで決めてそれぞれで過ごす
思い思いに絵をかいて遊ぶ園児たち

例えば、火起こしの時も火口の枯葉を集め、薪を割ってくべ、マッチを擦って火をつけるのも園児自身が行う。
どうすればうまく火が付くのか、火を大きくできるのかを先生は教えない。もちろん初めての火起こし体験の子もいるので、グループによっては最初からマッチで大きな薪に火をつけようとしたり、まだ青い木の葉を火口にしようとしたり、マッチにうまく火はつかないし、火傷しかけたり、たくさん失敗している光景が繰り広げられる。
マッチが何箱も一瞬で空になっていた(笑)
それでも子どもたちは何度も何度も挑戦するうちに、青い葉っぱでは火がつきにくいし、大きな薪にはいきなり火がつかないことを自身の体験から学んでいく。

火起こしに挑戦するが中々うまく火がつかない

子どもたちが仲間と試行錯誤を繰り返して学んでいる光景を目の前にして、僕はうらやましく感じた。
たぶん世代が近しく共に歩める仲間が周囲に見当たらず、日々孤独と不安を感じている今の自分に重ねたのだと思う。
森のようちえんの先生による事前レクチャーで「親は子に自分の姿を重ねる」と仰っていたが、
自分の子でなくともそれを経験した形となった。
この森のようちえんの教育内容についてはまだまだ学び足りないと感じているので、今後もっと時間をとって研修などの形で理解を深めるつもりだ。
そのことについても今後記事にしたい。

みんなで森の妖精に感謝して一日を終える

 合同保育が終わった後はフォルケホイスコーレ要素のカリキュラム。
デンマークのフォルケホイスコーレ卒業生二人(デンマーク人)を講師に迎え、フォルケホイスコーレについて学んだり、音楽を通じてコミュニケーションを形成する内容となった。
音楽は全員で歌ったりボディパーカッションしたり、ダンスをする。
本国デンマーク国内に70校以上あるフォルケホイスコーレでは、毎日朝会で歌唱が行われているそうだ。
その場(基本的に全寮制)を共有している人たちがコミュニケーションを図り関係を深めるための手段として歌を歌うということらしい。
要は「今日は声出てないけど大丈夫?」とか、「楽しそうに歌ってるね!何があったの?」とか、お互い“顔が見える関係”を構築するために設けられている時間ということだ。
デンマーク人の二人は英語でのレクチャーで、言語を理解できる人と苦手な人色々だったけど、さすが音楽は共通言語でみんな難なく楽しむことができた。

ボディパーカッションとダンスのカリキュラム。慣れないリズムで大変だった(笑)

僕自身は参加メンバーのほとんどの方々とオフライン初対面だったが、この時間を通して一気に距離感が短くなったと感じている。
言語の違いに関しても僕は大雑把にしか英語を聞き取ることができないけど、英語が得意なメンバーが意味や発言の背景を踏まえて訳してくれたので不自由することはなかった。

夜はみんなで焚火を囲む。デンマーク語で「Hygge(ヒュッゲ)」という時間。自分たちが心地よい時間・空間をヒュッゲというのだが、一日の生活のうちでかなり重要視されている時間になる。
僕らは焚火を眺めながらおやつを食べたり、雑談したり、歌を歌ってみたりという形で過ごした。
施設の消灯時間の関係もあり、管理員の方にそろそろ切り上げてね~と言われてちょっぴり物足りなかったかな(笑)

焚火を囲んで歌をうたってみる

日本で似た表現は沖縄方言の「ゆんたく」だろうか。ゆんたくは“ゆんたく(おしゃべり)しよ~!”みたいな感じで使われている。
こういった時間を“贅沢な時間だ”と思うほどに日々あれもこれもとせかせか過ごしていて、生活の中に余白が少ないのを今これを書いていて思い知らされている。
特に僕は意識を途切れさせることが苦手なので、物事に取り組むときは思考が際限なく加速していって自己制御できる範囲を超えて崩壊することが多々ある。
有意識的にこういった余白時間を設ければうまく自己を制御できるようになるのかもしれないなと感じた。

こんな感じであっという間の1日が過ぎていった。

2日目、曽爾村のことを知る(はずだった)

 朝会のあとはあえて事前に何も決めていなかった時間を設けていた。そこでちょうど村内で開催されていた「MIND TRAILMIND TRAIL 奥大和 心のなかの美術館 ( 当初の予定では、次のカリキュラムの予定があるので当初は3時間程度で滞在施設に戻ってくるはずだったのだが、結果的に6時間近くをコースで過ごし1日の時間をすべてここで使ってしまうことになる。
そして僕はこの体験の中で、今後僕らが目指すべき社会(僕が創りたい学校)の姿を見る。

 MIND TRAILは自然の中を歩きながら各所に配置された芸術作品を鑑賞するのだが、その道には登山道も含まれており、ぬかるんでいる場所もあれば崖のような道を上り下りしなければならない箇所もあった。大人でも気軽に挑むとくじけそうな道だった。
手元の資料にはそんなことが書かれていなかったように思う(苦笑)

 参加メンバーは子どもが2歳と3歳、そう!小型犬もいた(笑)。かなり多様なメンバーがそろっていた。
コース序盤、ちょっとこの先もしかしたら小さな子には厳しいんじゃないか、ここで引き返すか、引き返さないかという話が出た。
でも、子どもたちはこのまま行く!というし、そのお母さんも子どもがいけると言っているから進むということでそのまま進むことに。

すっかり仲良くなった小さな相棒

 そのあとのコースが想像を絶する道の連続だったのだが、子どもが歩けないときや危ない場所は周りの大人がかわるがわる抱っこして、もちろん小型犬も抱っこして進んだ。
メンバーも多かったので先頭と最後部が目視できないほど離れることもしばしば。
ただ、それでもお互いの存在を気遣いながら進んでいった。
終盤、予想以上に時間がかかっていたのでショートカットできる道を進んだのだが、道を間違ってしまいなぜかほぼ山頂の行き止まりにたどり着いてしまった(笑)
MIND TRAILの出発/ゴール地点に戻った時にはあたりは薄暗くなり始め、足もガタガタでみんな疲労困憊状態だった。

道じゃなくてほとんど崖のようなところを進む(笑)

 本来なら3時間程度で戻ってくることができるコースだったが、多様な人が集まった“集団”として進んだ結果6時間の時間を要した。
誰かこの結果に大きな不満を持ったか?いや、持っていなかった。(僕は他人の不快感を察知するセンサーが人一倍敏感なのだけど、それは反応してなかった)

それは何故か。
お互い顔が見える関係の距離感で、何かあっても自分のできることをして助け合えるという集団の意識が形成されていた。
だから、泥だらけになったけど、6時間かかって一日の予定が変わったけど、みんなはその結果に腹落ちしていた。
端的に言い表すとこういうことだと考えている。

MIND TRAILで自然の中を歩く

曽爾で僕らが作ったものと僕が創りたい学校の正体

 今回のMIND TRAILの体験を通して、個としてパーフェクトな解ではないが、集団としてベターな解であることの重要性に気付くことができた。そしてその状態に腹落ちするかは、お互いに顔が見えている関係かどうかが重要な要素であることも気付くことができた。
今盛んに言われている「誰ひとり取り残されないインクルーシブな社会」をその場所にいたメンバーで創ったのだと考えている。

 僕が「ダイバーシティ&インクルージョン(多様性の包摂)」という世界にかかわり始めて数年たつのだが、多様な性、多様な身体的特徴など、多様性の“認知”までは容易だった。
しかし、それを包摂し、誰ひとり取り残されない状態というのは具体的にどういう状態なのかモヤモヤしていた。
今回はその部分についても明確になった気がしている。

 人間は一人では生きていけないから互いに支えあうために社会(集団)を形成する。自分がかかわる社会の規模が大きければ大きいほど個人感覚と社会感覚のバランスの保ち方が難しい。
だから“自分はこの社会を形成する一個人である”という有意識をもって、いかに社会とのかかわりを創り、いかに保っていくのかが、誰ひとり取り残されない社会を実現するうえで重要な個々人の心もちだと考える。
そういった心もちを醸成できるような人生の学校(仮称)を僕は創りたい。

子どもたちから、犬から、そして自然から、自分の思いを言語化する機会をもらえたことに感謝しかない。

曽爾高原にて

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