短編小説:新淀川橋梁
それは、阪急十三駅を降りて商店街の本通りを一本入った路地にある小さな居酒屋だった。
一階がカウンター席だけのごく小さな店内は、奥にある矢鱈と急な階段を上がると六畳間の客席がある、常連客はそこを「座敷」と呼んでいた。座敷には折り畳み式の古い座卓が置かれていて、窓辺の半畳程の板の間には、高く積まれた座布団と、その隣にガラスケース式の冷蔵庫があった。客はそこから、瓶ビールや日本酒を勝手に取って飲む
「これ絶対、ごまかす人がいると思うけど」
僕がそう言うと、店の主のひとりであるママ①は「そんなひと、うちのお客さんにはおらへんのよ」と言って笑った。当時もうぼちぼち還暦が来ると言っていたママは、それにしては随分と若々しく、ちょっと脂肪がつきすぎている風ではあったけれど、それでも「この界隈の店では一番の美貌のババアやな」と、これは僕の同居人であるしーちゃんが言った。
しーちゃんは、親しい相手に対して口が悪い、一番は僕だ。
そんな口の悪いしーちゃんは、もうひとりの店の主であるママ②を「スタイリッシュババア」と綽名していた。全体的に上品でふんわりと優しい印象のあるママ①とは違い、背が高くすらりと細身のママ②は、いつもサイケデリックな柄のスカーフを頭に巻き、濃い藍色のデニムと白いシャツ姿で店のフロア全般を担当していた。気が強く弁が立ち、客が飲みすぎて他の客やママ①に絡み始めると「あんた飲みすぎや、もう帰り」と言って、容赦なく店から叩き出した。
台風が来ると吹っ飛びそうな古い店構えは、一見で店の扉を開けるのにやや勇気を要するが、三千円も出せばビールはママ②が「もうやめとき」というまで飲めるし、厨房からママ①の安くて旨い料理が魔法のように出てくる、その上僕らのような金のなさそうな学生には焼飯が大盛りとか、唐揚げがひとつ多いとか、そういう感じで出てきた。
あの頃、僕としーちゃんは、十三にある古いアパートの一部屋を家賃を折半で借りて一緒に暮していた。モップの洗い桶みたいな風呂が申し訳程度についていて、洗濯機が外置きで、ちょっと壁を触ると茶色い砂壁がザラザラ剝がれる当時築四十五年。その上僕としーちゃん、双方の通う大学のキャンパスからも絶妙に遠い、家賃が破格に安いことと交通の便が良いことだけが取り柄の、古くて汚い部屋だった。
そんな部屋の六畳と四畳半を分け合って暮らす僕としーちゃんは大体いつも金欠で、ひどい時はそれこそ夜中に自動販売機の釣銭を漁りに行くような有様だった癖に、バイト代が入るといつも実家帰るような気安さでママ達の店に行き、勝手知ったるという顔で二階に上がって冷蔵庫からビールを取り出して栓を抜き、皿うどんを二人で分け合って食べていた。
店に通ううち、僕はちょっとした世間話の端々から、ママ①がスミレさんで、ちょっとした会社を経営している人の妻として香櫨園の広大な屋敷で暮らしていた人だということ、ママ②が桐子さんで、以前は中崎町や曽根崎で飲食店を何軒か経営していた人だということ、そして二人が今はこの店で一緒に暮らしているということを知った。
「うちらの部屋、ここの二階の座敷やねん」
「えっ、ここに住んでるって、じゃああの僕らがいつも飲んでるあの座敷で寝起きしてるってことですか?」
「そうや、せやから、あんたらが長っ尻になったら、うちいつも急かすやろ、早よ帰りて」
「…そう言ってくださいよ、自分らが寝るから帰れって。えっ、じゃあお風呂とかはどうしてるんですか、この店の奥にあるんですか?」
「ううん、近くに夜一時までやってる銭湯があるねん」
「えっと…そしたらキッチンとかは?」
「厨房も冷蔵庫も、テーブルも店にあるやんか」
かつて、社長夫人としてなに不自由なく暮らしていただろうスミレさんと、実業家として羽振りの良い時期があったはずの桐子さん、二人はどういう訳か、一緒に小さな居酒屋を営み、住居としてはかなり使い勝手の悪そうな店舗をそのまま自宅にして暮らしていた。当時じきに還暦だと言っていた二人のそんな暮らしぶりを、僕もしーちゃんも少し不思議だとは思ったけれど、殊更それを「どうして」とは、聞かなかった。
人には、それぞれ事情というものがある。
そもそも、僕としーちゃんだって当時、同級生達が次々と大学を卒業して就職し、早いものは結婚して所帯を持つような年齢になっていたのに、ずっと学生のまま、西日のきつい2DKのアパートでしーちゃんと暮らしていたのだし。
どうしていつまでも学生をしているのか、なぜいつまでもしーちゃんと一緒に暮しているのか、この先一体どうするつもりなのか、そんな個人的なことを、僕自身誰かにいちいち聞かれたくなかったし、自ら話したいとも思ってはいなかった。ママ達も客とあけすけな世間話をしているようで、立ち入ってはいけないことは決して聞かない人達で、僕が聞かれたのはせいぜい、猫は好きとか、食べ物の好き嫌いとか、あとは「マサキちゃんて大学で何をしてんの」ということくらいだ。
「えーと、家族とか、婚姻とか、そういうものはこれからどう変容して、それの社会的役割自体はこの先どうなるのかなって、そもそもそこには意味なんてものあるのかなってことを…考えて、研究してるって言ったらわかる?」
僕がスミレさんに自分の研究のことをごく簡単に説明すると、スミレさんはふっくらした頬にえくぼを作って「スゴイなァ、うちそんなん考えたことないわ」と言った「一番好きな人と一緒にいられたら、それが結婚で家族てことやないの」とも。
でもしーちゃんの方は、自分がどこの出身で、実家がどこにあって、どういう来し方の人間であるのか、そういうことを人に話して聞かせることに頓着がない様子で、割と色々なことを、自分が愛知県出身であるとか、僕が高校の後輩であることとかを、店で瓶ビールを飲みながらよく桐子さん達と話していた。
「えっ、しーちゃんあんた大阪の子と違うん」
「そうや、だって俺あんま関西弁ちゃうやろ」
「全然、全くこっちの言葉やんか、いやァ、あんた口は悪いしいちびりやし、絶対この辺の子やろて思てたわ」
「違う違う、俺の実家、名古屋市の瑞穂区の南山町てとこ、て言うても桐子さんは知らんわな」
「うちの知り合いで、お医者さんと結婚した子がそのあたりに住んではるわ、あの子、なんて苗字になったんやったかなァ…」
「え、そうなん、俺んちも親医者やで、ていうか一族郎党ぜんぶ医者やねんけど」
「ああ、そんでしーちゃん、医学部なんか」
「まあそやけど俺再受験組やねん、最初は地元の大学の法学部に行ってたんやけど、まあ色々あって途中で退学して再受験して、そんで今に至るんやわ」
「そうかァ、人生は色々やなァ」
「せやせや、色々や」
しーちゃんはそう言って、大学を再受験している話をさらりと笑って流したけれど、その『色々』が医療への崇高な志とか、諦めきれなかった夢の類とは全く違うものであることを僕は知っていた。
かつてしーちゃんには、三つ年上の兄がいた。
その兄が自宅近くのマンションの屋上から転落して亡くなったのは、しーちゃんが大学二年生で、僕が高校三年生の時だった。しーちゃんの兄は僕らと同じ高校の陸上部の先輩で、成績は常に学年上位十番以内、地元の国立大の医学部にストレートで合格し、卒業後も大会前には他のOB達と大きなクーラーボックスにアイスを詰め込んで激励に来てくれる、笑顔のとても優しい人だった。
一体どうしてしーちゃんの兄が突然死んでしまったのか、その理由を僕は知らない。でもしーちゃんの兄の死後半月も経たない内に、今度はしーちゃんが死んだ兄のスペアとして医学部の再受験をすることが決まったことと、しーちゃんがその時在籍していた大学の退学手続きが本人の意志と一切関係なく行われたことは僕も知っている。しーちゃんは本来口の悪い男だし、ひとことに対して百、言い返してくるタイプの人間だったのに、この件に関してだけは
「そういう親なんや」
ひとこと、そう言うけだった。
そのしーちゃんを「一緒に大阪に行こう」と誘ったのは僕だ。同級生が皆、医学部や東大や名大、もしくは慶応か早稲田に進むタイプの高校に通っていた僕は、その空気と流れに背を向けて、同級生ができるだけ希望しない土地を進学先に選ぼうと思っていた。僕は皆と同じようにはできないんだから。
そこに、僕は医学部への再受験を命じられていたしーちゃんを巻き込んだ。いや、しーちゃんと一緒に知らない人ばかりの土地に行きたかったというのが本心だったのかもしれない。インターハイ予選が終わり、陸上部を引退してすぐの夏、密葬という形で荼毘に付された先輩に、世話になった後輩としてせめてお線香をあげたい言ってしーちゃんの自宅を訊ねた僕は、白い骨になった兄の前で呆けたように正座しているしーちゃんに、こう言った。
「先輩、僕と一緒に大阪に行きませんか」
二十三歳で時間を止めてしまった人の遺影の前で、僕の唇はずっと小刻みに震え、目の前の人にだけ聞こえる小声は「受けませんか」のあたりで裏返った。あの日、あんなことをしーちゃんに告げる勇気が自分のどこにあったのか、それは今もわからない。暑さで吹き出したのではない類の汗が、自分の背中を伝ってゆくのが判った。
しーちゃんは僕の顔をじっと見つめ、少し考えてから「そうしようかな、まあ、お互い受かったらの話やけど」と言い、僕の頭をそっと撫でて笑った。
その日から七年の歳月が流れた頃、医学部の再受験の準備に一年を要したしーちゃんは、二十七歳で医学部の六回生になり、僕は大学院の博士課程の学生になっていた。親の言う通り医学部を目指し、一浪の後に無事合格を果たしたしーちゃんには、はじめの頃実家から十分すぎるほど仕送りがあったし、大学生が一人暮らしをするにしては随分と広くて豪華なマンションが与えられていた。僕も遊びに行ったことがある、エントランスホールに紺色の制服を着たコンシェルジュがにこにこして座っている、そういう類のマンションだ。それが二回生の時、
「俺は、二度と名古屋には戻らん」
しーちゃんは「自分は将来医者にはなるが、実家の病院を継ぐ気はない」と両親に宣言した。しーちゃんは誰の説得にも恫喝にも一切応じることなく、激昂したしーちゃんの父親は息子への仕送りを止め、江坂にあった自分名義のマンションから息子を叩きだした。
しーちゃんは死んだ兄に代わって無事に医大に入り、優秀な成績で一年目を終え、両親が安堵した瞬間に反旗を翻した。ずっと兄の代替品でしかなく、この先もそれ以上にもそれ以下にもならないしーちゃんの、しーちゃんなりの復讐だったのかもしれない。
家を無くしたしーちゃんは、ひとまず僕の下宿に転がり込んだ。
たった一年の準備期間で法学部から医学部への再受験を踏破したしーちゃんは、当たり前だが抜群に頭が良かった。その上必要に応じて人当たりと愛想が良く口もよく回り、親から仕送りを打ち切られても割の良いアルバイトを上手く見つけ、最低限の生活が維持できる程度の金を稼いでいた。だから僕は引っ越し先と費用の目星がついたら、しーちゃんは僕の部屋を出ていくだろうと思っていた。
それがその予想に反して、しーちゃんはそのまま四年間、僕と一緒に十三のボロアパートで暮らし続けたのだった。
ただ日々、淡々と聞き取り調査をして記録し、英文と独文を翻訳して要約し、それらをまとめ、論文をこつこつと書き続ける、隙間を縫うようにアルバイトをする生活に一向に終わりの見えない僕とは違い、六回生になればしーちゃんには学生生活のゴールである国家試験の季節がちゃんと巡ってくる。それが無事に終わるとしーちゃんは研修医として臨床に出ることになるのだ、そうしたらこのふわふわと宙に浮いた半端な生活とはお別れだ。
しーちゃんは、まともなマンションを借りて、そのうち車なんかも買って、もしかしたら結婚とかもして、まともな人間としての生活を送るようになる。
ーそうしたら、そこで僕ともお別れだ。
「そうだよね?」
とは聞けないでいたその年の夏の初め、部屋に一台しかないクーラーの利きの悪さに音を上げ、「あかん暑い、外行こ、外」と言ったしーちゃんの誘いに応じて、僕らは深夜の淀川に向って歩いていた。あの頃の僕はいついかなる時も大体金欠で、しーちゃんもこの時は実習と試験で忙しくてアルバイトどころではなく、僕同様金欠で、だからどこに行くにもよく歩いた。
「し、しーちゃんはさ、晴れて卒業したらどうする?あのボロアパートを出て、もう少し綺麗でこマシで、病院の近くの、便利な所に引っ越す?」
僕はこの時、コーラを飲みながら隣を歩くしーちゃんに、この先のことをやっと聞くことができた。河川敷の暗闇がしーちゃんの表情を隠してくれて、多分それが良かったのだろうと思う。
「まあ、考えてはいるけどな」
「そっか」
「だってなァ、今のアパート夏めっさ暑いし」
「そうだね」
「あと、風呂の追い炊きがでけんやろ」
「そうだね」
「それと、隣のオッサンが夜にエロビデオ見てる音がなァ」
「そうだよね…」
会話はそこで終わって、そのあと僕らは淀川をぼんやりと眺めていた。阪急梅田駅から十三駅へ向かう京都線と神戸線と宝塚線の三つの路線が淀川を渡るための巨大な阪急の新淀川橋梁、そこを走る電車の灯りが暗い川面に反射して見えた。十三駅の終電は各線大体0時すぎ。すべての電車が過ぎ去ると、そこはしんとして、並行する一七六号線の十三大橋に赤いテールランプがまばらに流れる。
物事には何事にも始まりがあって終わりがある。僕らのこの生活は、しーちゃんが卒業したら、それで終わるのだ。
そうして秋が終る頃、しーちゃんは実習と試験で来春の引っ越しの話どころではなくなり、僕も研究のために東京方面に足を運ぶことが増えて、もうじき確実にやってくるだろうこの生活の終わりについて、しーちゃんと話しあうことはなく、それどころか、一緒の家に住んでいるというのに、顔を合わせることも少なくなっていた。
その年の十一月の末、僕が調査のために東京に二泊して大阪に戻ってきた日、僕は十中八九しーちゃんのいないだろう部屋に戻るのがなんだか嫌で、そうかと言って残りの一、二割の確率であの部屋でしーちゃんと顔を合わせて「あ、マサキ、来年のここの更新のことやけど」と切り出されてしまうのもまた嫌で、僕の足は自然とスミレさんと桐子さんの店に向っていた。
まだ準備中の札の出ている時間ではあったけれど、常連として開店前の店に顔を出すことは時々あったし、この時はスミレさんが好物だと言っていたどら焼きを上野で買ってきていた、それを渡しに来たと言えばいいだろう。僕は『準備中』の札の出ている店の引き戸を開けた。
「こんにちはー、すいませーん」
すると、いつもなら厨房からエプロンで手を拭き拭き「あら、マサキちゃんいらっしゃい」とにこやかに出てくるスミレさんの気配はなく、代わりに桐子さんが二階から転がるように降りて来た。
「なんや、マサキちゃんか」
「あ、ごめん開店前なのに、僕今日まで東京に行っててさ、これお土産」
「ああ、ありがとうな、気ィ使わしてしもて。ほんであの、すーちゃん外にいてへんかった?」
「え、スミレさん?いなかったけど、どこか行ってるの?」
「うんまあ、すーちゃん今日あれなんよ、結婚式なんよ」
「え、スミレさん結婚するの?」
ここで僕は、桐子さんに軽く頭を叩かれた「アホなこと言わんで」。
「すーちゃんの息子さんのや」
「あ、スミレさんて、子どもいるんだ」
「まあ、ずっと別々に暮らしてる息子さんやけどな」
「じゃあ、親権は取らなかったの、あれって大体女の人が持つもんだって思ってたけど」
「ちゃうねん、すーちゃんが離婚した時、息子はもう大学生で、成人しててんよ。でも仮に息子が赤んぼやとか、幼稚園の子とかやったとしても、しーちゃんは子ども連れであの家を出られへんかったと思うけど」
「えっ、どうして?」
「…まあ、旧家ってそういうモンなんよ。離婚かて、すーちゃんがそれを言い始めてから、届けを出すまで随分かかったし」
「でも、結婚式には招待されたんだね」
「それは、息子がどうしてもすーちゃんに来てほしいて言うたんよ。すーちゃんも最初は離婚して苗字の違う母親が、息子のハレの日に顔出すやなんて外聞が悪いやろとか、一番恥をかくのはあの子やとかぐじぐじ言うてたけど、結局一番地味な色無地着て、半分宙に浮いてるみたいな足取りで、今朝でかけてったわ」
僕と話しながら、桐子さんは僕が手渡したどら焼きの包み紙を破かないようにきれいに剥がし、中身を見て「いやァ、これすーちゃんの大好きなやつやないの」と言って嬉しそうに笑った。
「スミレさんと桐子さんて、いつからここで一緒に暮してる?」
「なによ、マサキちゃんは藪から棒に」
「いや、スミレさんくらいの世代の人ってさ、離婚したらひとまず実家に帰るもんかなって思ってたんだけど、そういうんじゃないっぽいし、だったらずっと桐子さんとここで暮らしてるのかなって」
「そうやな、すーちゃんが香櫨園の家を出た日から一緒におるから…もう十五年くらいになるんかなァ。うちとすーちゃんてな、高校の同級生やったんよ、あんたとしーちゃんは陸上部の先輩と後輩やろ、うちらは同級生」
「じゃあ、長年の親友だ」
「そや。あんなマサキちゃん、すーちゃんてな、高校生の頃はもうホンマにお姫様みたいな子やったんよ、うちらの通ってた高校の前には放課後毎日、すーちゃん目当ての男の子らが並んでたもんや。あの頃からすーちゃんはうちの親友で、宝物なんや」
「じゃあ、桐子さんはこの先もずっと、スミレさんとここで暮らすの?」
「すーちゃんが、それを望んでくれるのやったらな」
―桐子さんは、僕だ。
僕は、駅前商店街の裏通りにひっそりと建つこの店に通い始めて、随分と時間の経ったこの時、やっと桐子さんと僕がとてもよく似た、同じ種類の人間なんだということに気がついた。僕らは、同じなんだ。
「スミレさんは、このままずーっと桐子さんと一緒にいるつもりだと思うよ」
「そやろか、すーちゃんはそう思ってくれてるやろか」
「うん、僕はそう思うよ」
僕が確信をもって頷くと「だたいまァ」という明るい声と共に、店の引き戸ががらりと勢いよく開いた、スミレさんだ。
「あら、マサキちゃん来てたん?うち今日息子の結婚式やってん、お嫁さんすごく綺麗な人やったわ。二人でこれからしばらくマレーシアやねんて。あの子なあ、うちに訳知り顔で、桐子さんにくれぐれもよろして言うんよ、それでほらこれ」
薄い藤色の着物を着たスミレさんは、いつもより饒舌で、僕に今日が息子の結婚式だったことを早口で説明し、桐子さんに白い花束を差し出した。それは今日の花嫁が手にしていたもので、披露宴のあと、人目につかないようそっと帰ろうとしていたスミレさんをその人が「おかあさん」と呼んで引き留め、直接手渡してくれたものなのだそうだ。
白いリボンで束ねられた花の名前をひとつも知らなかった僕に、スミレさんは一つ一つを指さしてその名前を教えてくれた「これがラナンキュラス、これがトルコキキョウ、これはバラ、このまあるいのんはピンポンマムていうねん」。
「キレイやなァ、孝太郎君にありがとうて言うといて」
「桐ちゃん、これくれたんはお嫁さんの方や、孝太郎なんかお花はなに見てもぜーんぶ『これチューリップや』って子なんよ、ホンマに情緒もなんもない子なんやから」
「あの子はそういう子やったなァ。…なあすーちゃん、これ、マサキちゃんにあげてもええ?」
白い花束を、赤ん坊を抱くように大切に愛おしそうに抱えていた桐子さんは突然、その白い花達を僕の方に差し出して、スミレさんもそれに同意した。
「そやね、マサキちゃんにあげるのがええわ」
「そんな…いいよ僕、大事なものだし、花瓶とか持ってないし」
「そんなん、洗面器でかまへんねん、これは、マサキちゃんが貰うとき」
「いやでも…」
突然、花嫁の印を僕に譲ると言い出した二人に、僕はそれは貰えないと首を横に何度も振った、でも「まあええから」と言う二人に押し切られ、結局僕は花束どころか、引き出物のマカロンまで持たされて帰宅することになった。この時初めて知ったけれど、花束を持って往来を歩くのは結構恥ずかしい、この姿であんまり知り合いに会いたくないというか。でもこういう時に限って僕は知っている人に会う。
「マサキ、おまえ何してんの?結婚でもしたんか」
僕らが三日に一回はコロッケを買う、即ち店の女将さんや店主が僕の顔をよく知っている精肉店の前を、できるだけ顔を伏せて足早に通りすぎようとした時、店内からよく知っている声が僕を呼んだ、しーちゃんだった。
「結婚…はしてない、これはもらった、スミレさんから」
「ああ、息子さんの結婚式やろ、昨日店に行ったらスミレさんが、行こかやめよかってずーっと言うてたわ、やっぱり行ったんや。で、なんでマサキが花束貰うん、これってウェディングブーケやろ」
「本当は息子さんの奥さんになった人が、スミレさんにって渡したみたいなんだけど、スミレさんも桐子さんも、僕が貰うのが一番いいって」
「へえ…」
帰り道、空腹に耐えかね、近くの高校の男子高校生に混ざってコロッケを買い食いしていたらしいしーちゃんは、最後のひと口をぽいと口に放り込むと、コロッケを包んでいたハトロン紙の袋をクシャっと丸めてポケットにねじ込んだ(あ、洗濯の時に出せって言わないと)、そう思ってしーちゃんの手元をじっと見ると、しーちゃんは左手に不動産屋の封筒を持っていた。
―あ、もう問題を先送りにはできないんだ。
僕は深呼吸をした。
「それ、不動産屋の封筒、引っ越し先、もう決めたの?」
「これ?いやまだやで、だって俺マサキに何も聞いてへんし」
「僕に?なんで?」
「え、じゃあオマエ、この先もあのボロアパートに住むん?俺は嫌やで」
「わかってるよ、だからしーちゃんは風呂の追い炊きができて、新しいエアコンがついてて、隣の生活音が聞こえない部屋に引っ越すんだろ」
「そうや、マサキと一緒に」
「えっ?」
「えっ?」
僕が十八歳でしーちゃんが二十歳で、お互いが同じ高校の陸上部の先輩と後輩で、僕がまだしーちゃんに敬語を使っていたあの夏、僕の「一緒に大阪に行きませんか」という言葉の中に詰まっていたものの正体を、しーちゃんはとっくに知っていた。
「あれに俺は救われたんや」
しーちゃんはそう言った。
色んな気持ちが沸き上がって、色んなことが思い起こされて、なんだか訳がわからなくなり、僕らは精肉店の前で爆笑した。
「そういうのはさ、早く言ってよ」
「はァ?俺についてこいて言うたんはマサキで、俺は実際そうしたやんけ」
「だって、しーちゃんの気持ちなんて、言ってくれなきゃわかんないよ」
「マサキの察しが悪すぎるんや、ほんまに、アホか」
結局、僕らはその次の年の春、大学病院の近くの賃貸マンションに二人で引っ越した。ちゃんと風呂の追い炊きが出来て、エアコンがぴかぴかに新しくて、ドラム式の洗濯機が洗面所に置けるところに。
それから、僕は間に休学を挟んで博士課程に4年在籍、後半はしーちゃんに食わせてもらって博士号を取得し、いくつかの大学で細々任期付きの講師をやり、やっと京都の大学でテニュアトラックになることができた時には四十歳になっていた。その間にしーちゃんは研修期間を終えて二つの専門医試験にパスし、大学病院の助教になった。
その四十歳の年に、僕は初めて昔の教え子の結婚式に出席した。
新郎新婦ともに僕の教え子で「先生に是非」と言われて出席した市内のホテルでの披露宴の途中、輝くように美しい新婦が幸せそうな新郎に見守られ、持っていたブーケをメインテーブルの前に集まった女友達に向けて放り投げるという場面があった。空中でくるりと一回転したブーケを受け止めたのは新婦の友人のひとりだ、わあっと歓声が上がる。
「ねえ、アレってなにしてたの?」
皆が着席した後、僕は自分の席の隣の、これもまた自分の教え子である新婦友人に訊ねた。するとその子は心底驚いたという顔で僕にこう言ったのだった。
「えええ、センセイ知らへんの?あれブーケトスって、花嫁が投げたブーケを見事キャッチできた子が次の花嫁なんですよ、あっ『花嫁』って言い方が家父長制的で封建的でジェンダー的にどうとか、結婚の社会的意義とかそういうことは今は言わへんといてくださいよ」
「へえ、そうなのか…ブーケを貰った人が次の花嫁…」
「そうですよー、ほんまに知らんかったんですか?なんか大学の先生って、なんでも知ってそうで実は変なこと知らへんてこと、割とありますよねー」
「そういえば先生、くまモンとかも知らんかったでしょ」
「えーセンセイって、結婚式とかあんまり出たことない人なんですか?」
「やっぱレヴィ・ストロースとか読んでると、そうなるんですか?」
「違うと思うけど、まあ、僕自身結婚はしてないし、周りもあんまり…そっかなあ、まあ、そうか…」
元教え子から「先生ヘン」と笑われながら披露宴はつつがなく進行し、デミタスカップに入ったコーヒーと小さくカットされたウェディングケーキが運ばれてくる頃、僕は昔あの十三の店で「これはあんたが持って行きなさい」と真っ白い花束を押し付けるように手渡してくれた二人のことを思い出していた。
―あれって、そういう意味だったのか。
それを確かめるために店に立ち寄りたくてもあの店はもうない。桐子さんは三年前すい臓がんで亡くなり、ひとりになったスミレさんはしばらくあの店で一人で昼だけの商いを続けていたが去年、箕面にあるケアハウスに引き移った、もう昔のことはまだらにしか覚えていない。
もう二十年近く一緒に暮しているしーちゃんと僕の関係に名前はない。あえて何かの手続きをしようとか、それを人に宣言しようとか、そういうことはやめようと僕らは話し合って決めていた。僕らの関係を人に理解してもらいたいとは思わないし、第三者から解釈という名の歪曲をされることも僕らは好まない。
それはスミレさんと桐子さんも同じだったんじゃないか、二人は僕らの微妙な関係と距離感を見て分かっていて、あの日、半ば強引に僕にあの花束を持たせてくれた。
華燭の典の後、もう証明しようのない仮説と引き出物の大きな袋を抱えて自宅に戻り、三日ぶりに病院から帰宅してキッチンで立ったまま焼きそばを食べていた同居人に、僕は聞いた。
「ねえ、花嫁のブーケってさ、それをもらった人が次の花嫁なんだって、しーちゃん知ってた?」
しーちゃんの答えはこうだ。
「当たり前や、そんなことも知らんと、ただ花束もらったーってぼーっと歩いてたアホの子なんか、俺が知る限りマサキくらいや」
四十二歳になったしーちゃんは、相変わらず僕に対してすごく口が悪い。
多分この先もずっと、ずっとだ。
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