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小説:グリルしらとり 3

前作、前々作はこの中です。よろしければ。
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3『エビグラタン』


暮れに洋一さんが予言していた通り『洋菓子・青山堂』の美乃梨さんが二人目の子どもを妊娠した。

「北斗もいよいよお兄ちゃんか、で北斗はどっちがいいんだい、弟か妹か」

「弟!弟!ぜーったい弟!」

「へぇ、どうしてだい?」

「だって、ウチはさ、パパとじいちゃんと俺が男で、おばあちゃんとママとニコちゃんが女だろ、だったら次は男が産まれてきてくれないと、男が負けちゃうじゃん」

「別に勝ち負けなんか競わなくてもいいと思うけどさ、でもそうか、北斗にとってニコちゃんは家族と同じか」

「あたりまえじゃん。俺、ニコちゃん大好き」

「そんなん言うてくれんの?うちかてホーちゃんのこと大好きやでー」

届けもののついでに北斗君のお供をして一緒に店に来ていたニコさんが柔らかな冬の午後の光の中で北斗君に頬ずりした。北斗君は「やめてよう」と身をよじって笑ってからクリームソーダに取り掛かった。小ぶりのフロートグラスにメロンシロップを指関節ひとつ分、それを炭酸水で割って文乃さんのお手製のバニラアイスをぽこんと浮かせた南国の海の色の飲み物は北斗君用のとっておきだ。『グリルしらとり』にやってくると北斗君は祖父で『洋菓子・青山堂』の社長で洋一さんの五十年来の親友であるタケさんがいつも座るカウンターの端の席によじ登るようにして座り

「洋一おじちゃん、いつものくださーい」

元気な声で自ら厨房に注文を通す。笑うと猫のように弧になる愛嬌のある二重の目も、やんちゃそうな眉のカーブも、ちょっと形の良い鼻梁も、額の形まで顔の造作の何もかもが祖父のタケさんにそっくりだ。北斗君が産まれた六年前、お腹から出てきたばかりの北斗君と対面した美乃梨さんが「ヤバイ、お義父さん産んでしまった!」と分娩台の上で大笑いしたというのはこの辺では割と有名な話らしい。

土曜日の午後の昼と夜の間、準備中の札のかかった『グリルしらとり』の店の中で、今年の夏頃にお兄ちゃんになる予定の北斗君はカウンター席のスツールの上で足をブラブラさせながらメロンソーダの上で溶けてゆくアイスクリームをニコさんにひとくち、自分にもひとくちと、仲良く分け合って終始ご機嫌だった。

「でも、つわりで『エビグラタンなら食べられる』ってことも起きるんですね、僕妊婦さんてあんまり身近にいたことなくて、なんか漠然とレモンとか梅干しとか、酸っぱいものばっかり食べるようになるんだと思ってた」

洋一さんが焼く直前まで仕上げたアルミケース入りのグラタンに僕はラップを掛けた。美乃梨さんは今回北斗君を妊娠していた時にはほとんどなかったつわりにかなり翻弄されているらしい。妊娠が分かってすぐの頃は水さえ受け付けず、元々やせ型の人なのにさらに痩せて「ひとまわり小さくなってしもた気がする」と言うのは美乃梨さんと毎日一緒に厨房に立つニコさんの言葉だ。それで美乃梨さんの生活圏内半径三㎞の人々は僕も含めて皆心配して一体何なら食べられるのか、果物はだめなのかうどんならいけないかそれともプリンかゼリーかと試行錯誤していた時、洋一さんが

「変にあっさりしてるもんじゃなくて、グラタンとかいけんじゃないかい、意外に」

と言ってそれが大当たりし、ここの所しばらくニコさんはコーヒーや紅茶に添える小さなお菓子、プチフールを『グリルしらとり』に納品に来るたびに受け取りのサインと一緒にグラタンを店に持って帰っている。美乃梨さんは暫くの間時短勤務になり、ニコさんは美乃梨さんの代打として看板商品のひとつであるロールケーキを任された。

「大阪におるウチのイトコのお姉ちゃんも妊娠した時、マクドのポテトしか食べられへんて言ってたからアレかな、こう…はっきりした味の方がええってことなんかな」

「あたしもね、妊娠中カキフライがすっごく食べたかったの、でもここのお義母さんが『文乃ちゃん、牡蛎なんて食べて当たったらどうするの』って言って食べさしてくれなかったの、ここのお店で立ち仕事するのもダメよいけませんって言うし、あたしは丈夫だから平気なのよって説得すんのが大変だったわ、元麻布のお家のお嬢様だった人でね、おっとりした優しいお姑さんだったんだけど、まあ超のつく心配性で」

レジで予約表を確認していた文乃さんがカウンター席にやってきて北斗君の唇の端についているアイスクリームを紙ナフキンでぬぐったついでに僕らの会話に口を挟んだ。

「おふくろは、当時にしては随分遅くに子どもを産んだ人だったし、それのせいじゃないだろうけど結構な難産だったみたいだから心配だったんだよ、大体牡蛎なんか令和の今も妊婦が食うモンじゃないんだろ」

「生牡蛎食べるって言ってんじゃあるまいし、カキフライには火が通ってるんだから別にあたりゃしませんよ」

三十年以上前の小さな食べ物の恨みで文乃さんが少し膨れて、ニコさんがアハハと笑った。

「おばちゃんの積年の食い物の恨みなんや。あのさ、六十ウン年前の高齢出産って、何歳くらいのこと言うの?おじちゃんはお母さんがいくつの時の子?」

「えーと…いくつだったかな、俺を産んだのが三十二で、弟が…俺の四つ下だから三十六か」

洋一さんがそう答えた時、僕とニコさんは同じタイミングで同じことを叫んでいた。

「洋一さんて弟いたんだ!」

僕もニコさんも一人っ子だし、以前文乃さんからも「あたしはちょっと訳アリなの、最初から母子家庭で一人っ子」と聞いていたので僕は勝手に洋一さんも一人っ子なのだと思っていた。人間というのは、というより僕はとても単純で短絡的な生き物なものだから、つい自分の世界と近しい他人の世界との境界をすぐに取り払ってしまう、自分と同化してしまいがちだ。洋一さんは僕とニコさんが声を揃えて驚いたのを見て、面白そうに笑った。

「なんだい二人しておかしな声だして、うちなんかまだ二人兄弟なんだから当時からしたら全然少ない方だよ、タケちゃんなんかアイツは…七人だっけ、イヤ八人兄弟だろ、もういいかげん下の方はいくつだったか名前は何だったか忘れそうになるよってよく言ってるよ」

「ううん違うねん、いやウチとこの社長の八人兄弟はすごいなって思うけど、うち勝手に洋一さんもうちらと同じ一人っ子やと思ってたもんやから。ね、航」

「あ、ウン僕も。なんか勝手に洋一さんは一人っ子なんだと思ってました、そこの写真にも子どもは洋一さんしか映ってなかったし、あでも、四つ下の弟ならまだ生まれてなかったのか」

「そうだね、あの時弟はちょうどおふくろの腹ん中だ」

「フーン、じゃあ先代と奥さんは結構遅くに結婚したってこと?先代はそこの写真の人やろ、おじちゃんにそっくりな男前。ねねねどんな人やったん、なんで二人は一緒になったん、うちそういうの大ッ好きやねん、なんて言うのかな、朝ドラ的な?うちホラおばあちゃん子やったから」

ニコさんが興味津々って顔をしてレジカウンター側の壁に掛けられたモノクロ写真を指さしたので洋一さんは笑ったけれど、『グリルしらとり』はもう夜の支度の時間で、ニコさんの勤め先の『洋菓子・青山堂』は夕暮れから夜に差し掛かる時間帯が結構忙しい。それは会社を出て家路を急ぐ人達の家族への贈り物だったり、これから向かう取引先への手土産だったり、夜のお店のお姉さんへの差し入れだったりとにかく色々らしいけれど生ケーキが一気にはけるのだそうだ。洋一さんはニコさんと北斗君に紙袋に入れたグラタンを持たせて、あんまりここで油売ってるとタケちゃんに俺まで叱られちゃうからねと言って二人を送り出した。

🦢

先代が十四歳で遠く八戸から東京に出てきたという話は、この店の面接にきた日に僕は聞いていた。本州の北の果てからやってきた少年が銀座の小さな洋食屋の追い回し、雑用から始めて、次の千代田の東京會舘、そして帝国ホテルでこつこつと研鑽を詰み、さあこれからという時に丁度時代は第二次世界大戦、戦地に赴くことになった話、厨房を離れて大陸に渡り、終戦後は囚われて帰国が叶わず極寒の異国の森の中でばたばたと同輩が倒れて死んでゆく生活に何年も耐えて生還、帰国してこの店を一から始めた、映画のような物語。

「おふくろはね、小学校から白金台にあるお嬢さん学校に通って最後は、高等専門だっけ?いや、女子専門学校って今でいう女子大の英文科みたいなとこに通っておたお嬢さんだったんだ。じいさんがこれからの時代は娘でも上の学校に通わせて、英語のひとつくらいできないといけないって、当時にしては随分先進的な考えの人だったらしくてね。だけど卒業間近に海軍の軍医だったじいさんが勤務中の事故で死んで、おふくろは一人娘だったもんだから、頃肋膜炎をやって以来ちょっと体の弱くなってた母親、だから俺のばあさんを自分が食わしてやらなきゃならないんだって、帝国ホテルのタイプ室に就職したんだ。俺の親父とはそこで出会ったんだよ」

蕗子さんという名前の洋一さんのお母さんは、文乃さんが言っていた通り育ちの良い、おっとりとした気の優しい人だったけれど、同時にとても頑固で一途な人でもあったらしい。蕗子さんの父親の葬式の後、舘林にある父親の実家を継いでいた伯父が、勤務中に死んだ父親には恩給があるのだしこの家もある、母親の方はそれで何とか暮らしていけるのだから蕗子は父親の喪が明けたら適当な家との縁談をまとめてやるから結婚しなさいと蕗子さんに強く勧めたらしい「間違っても働くなんてみっともない真似はしてはいかん」と。でも蕗子さんは伯父の忠告を聞かず在籍していた学校の恩師に相談して紹介状を貰い、仕事を自力で見つけてきてしまった。父を亡くしたばかりの母をひとりにできないというのが、伯父の反対を押し切って就職をした理由だった。

「みっともない真似?何で?何で働くのがあかんの?自分はもう大人やから自立して働きます、病弱なお母さんと一緒に暮らしますって、フツーにええ子やん?」

ニコさんが目を丸くして洋一さんに聞いた、しかも伯父さんて人な、ひとんちの事情にいちいち口挟みすぎちゃうと。ニコさんはその日の仕事終わりに洋一さんの話の続きが聞きたいと言ってまた『グリルしらとり』にやって来ていた。普段からニコさんはわりと閉店後の店に来る、タケさんとおんなじだ。

「じいさんの実家は舘林の地主さんでね、そういう家の長男っていうのは、土地も財産もまるごと全部親から引き継ぐ代わりに、成人して所帯を持った弟妹の誰かが早くに死んで、その連れ合いとか子どもが残されて困ってる時は色々と面倒をみてやるもんだったんだ。それに戦前は今みたいに女の人が外で働くとか誰がどんな仕事をしてもそれは個人の自由って時代じゃなかったしね、特におふくろみたいな家の女の子は外で働いたりしなかったんだよ、その辺は俺が若い頃も割とそうだったけどね」

色白の細面、黒目がちの大きな瞳のとても綺麗な顔立ちで、すらりと背の高い蕗子さんの姿は、当時のフランク・ロイド・ライトの設計した石造りの重厚で豪奢なホテルの裏側でとても目立ったのだそうだ。『タイプ室に聖心を出た別嬪が入った』という噂は厨房の奥で毎日鍋を振っている若いコック達の耳にも届くほどで、僕とそう変わらない年齢だった当時の清三さんとその同僚達がどんな風に色めき立ったかは、店に飾られた写真の中の蕗子さんの姿を毎日眺めながら仕事をしている僕には想像に難くない。

「奥むきの事務仕事をしてたおふくろと、現場で朝から晩まで鍋振ってた親父が出会うなんてことは仕事の領分的にも建物の構造的にもまずないことだったんだけどね、それがたまたま海軍省だったかな、それの宴会が入った時に宴会部からちょっと急ぎの英文タイプを頼まれて書類を宴会場に直接届けに来てたおふくろの姿を、たまたま料理を厨房から宴会場のバックヤードに運んでた親父が見ちゃったんだよ」

「それで一目惚れ?分かるわぁ、だって蕗ちゃん超美人やん、ちょっとしたアイドルか女優さんやであれは」

「そこまでのモンかなァ、まあニコちゃんが言うならそうなのかもな。それでまあ、親父はちょっと会釈して親父の前を通り過ぎていったらしいおふくろに、ニコちゃんの言う通り一目惚れしたんだろうね、無い知恵絞ってあの手この手でおふくろを口説き落としたんだそうだよ。昭和十六年…いや十七年頃だったかな、お菓子とかちょっと贅沢な食い物が手に入りにくくなった時代で、宴会の口取りの残りとか、クーベルチュールチョコレートとか、砂糖なんかを倉庫からちょろまかしては『これ、おふくろさんに食わしてやって』って半紙に包んでプレゼントしたんだって俺が子どもの頃、酔った親父がよく話してたよ。まあ軽い犯罪だね、緩い時代で良かったよ」

とにかく次第に二人は互いに想い合う仲になった、そうして本州のずっと北からやってきた朴訥な青年と英文科出身の純真すぎるお嬢様が互いの体に触れることもないまま『いずれ自分が一人前になったら結婚しよう』『そういたしましょうね』と約束するに至ったところで、昭和十八年に洋一さんの父親、清三さんが日夜厨房で鍛えた頑健な体で徴兵検査を甲種合格、早々に招集されることになった。

「戦地にお行きになったら爆弾に当たって死んでしまうかもしれないじゃありませんか、そうしたら結婚できません、結婚していなかったら子どもだってもてませんし、未亡人にもなれません」

別に結婚していなくても子どもはできる、そのあたりをよく分かっていなかったらしい蕗子さんが泣きながら随分と縁起でもない上に支離滅裂なことを言うし、伝えられていた配属先は大陸の最前線で、心中にどんな感情が渦巻こうと建前上は「お国のために喜んで死んでまいります」と言わなくてはならない時代のことだ、それならせめて一番大切な人と結婚してから出征したいと、清三さんは八戸の両親に結婚したい相手がいる旨を電報で知らせ、蕗子さんの母親には蕗子さんの家の玄関の三和土の上に土下座して結婚の許しを請い、そうして清三さんが二十二歳で蕗子さんが二十歳の時に二人は結婚した、昭和十八年の暮れことだ。

高等小学校しか出ていない、今で言うところの中卒の料理人である清三さんと、超がつくお嬢様学校を大学まで出た蕗子さんの結婚は、八戸の清三さんの両親には釣り合いが取れない縁組みは不幸のもとではないかと心配されはしたものの「ほんでもこういうご時勢だ、人間いつ死んじまうかわからねのだえし、嫁さんになる人がおまえでかまわねえと言うんなら」と了承され、蕗子さんの母親にも意外とあっさり認められたらしい。

「俺は元麻布のばあちゃんて呼んでたけど、おふくろの母親っていうのがまあおふくろに輪をかけて育ちの良いおっとりした人でね、ホテルから失敬して来たチョコレートとヌガーを持参して『蕗子のために必ず生きて帰ります』って三和土に正座して頭を下げた親父のことを誠実で真摯な青年だって妙に気に入って、それで親父が出征する直前に青森から親父の両親を呼んで、ささやかに席を設けて二人を結婚させてくれたんだってさ。そこまでは良かったんだけど、親父はそのまま大陸に渡ってエート…戦中戦後と合計で九年か、帰ってこなかったんだよ」

「エッ?何で?清ちゃんはあれか?戦後いろいろイヤんなってどっかに失踪とかしてたん?」

「違うよニコさん、清三さんは戦争が終わってすぐに中国の北の方でソ連軍に捕まって、ずっとシベリアにいたんだ。シベリア抑留って、シベリアの収容所に留め置かれた捕虜の人達が森林の伐採なんかをやらされて長い人は十年近く帰国できなかったって、そういうの、日本史でやらなかった?」

「知らん。うち高校には部活のために行ってて授業中は八割方寝てたから。そしたら清ちゃんは戦争が終わってもシベリアからずっと帰って来られへんかったってこと?八年も?蕗ちゃんはその間一体どうしてたん?」

「おふくろは戦争中例の舘林の親戚を頼ってしばらくばあさんと群馬の方に一年ほど疎開してたんだけど、終戦の年の秋には二人して東京に戻ってきてたそうだよ。おふくろはホラ英語ができたお影で戦後GHQ…っていうのは覚えてるだろニコちゃん?」

「何やったっけ?お魚の栄養素?」

「それはDHA。GHQは連合国軍最高司令官総司令部のこと、進駐軍だよ」

「そうそう、津田君の言うそれな、なんだか社会の授業みたいになってきちゃったなァ。まあそのGHQの高官の宿舎として接収されていた帝国ホテルにスタッフとして戻れることになったんだ、それで母親とふたり何とか食べていけるだろうって東京に戻った。一年ぶりに戻った東京はどこもかしこも焼け野原だし、日本は占領されてるし、誰もかれもがその日食べるだけで精一杯って、とにかく大変な時代だったらしいけど、元麻布の家の離れが焼け残っていたから、おふくろ達はひとまずそこで暮らして、東京で親父の帰国を待つことにしたんだ。でも何年待っても、親父は生きてんだか死んでんだか、消息がひとつもわからなくてね、それでもおふくろは待ち続けてたんだけど、三年待った頃に八戸の親父の両親が訪ねて来たんだってさ」

清三さんの両親は蕗子さんに「清三はもう死んだものと諦めて、アンタは新しい人生を歩むのがいいんじゃないか、子どもを持つにも年を取りすぎていいことはないのだし、時代は変わった、清三もそれをきっと望んでる。俺達も一度は縁あって娘と呼んだアンタには、幸せになってほしいんだ」と言って、清三さんは戦死したものとして死亡届を出すので嫁である蕗子さんにもそれを了承してほしいと伝えたらしい。でも蕗子さんは夜行列車に乗ってはるばる青森から自分を訪ねて来てくれた舅と姑を手厚くもてなしはしたものの、二人の提案に絶対にうんとは言わなかったのだそうだ。

「向こうは田舎の生真面目な人達だからね、まだ年若い嫁さんがいつまでも帰らない夫を待って都会でいたずらに年を取っていくのは申し訳ないと思ったんだろうね。でもおふくろも頑固だからさ、仮に国から夫の死亡通知が自分の手元に舞い込んできたとしても私はそんなこと絶対に信じません、いつまでもここで清三さんをお待ちしていますなんて言って、勤め先のホテルが接収を解除されて自由営業を再開した後、『タイプ室の別嬪』だったのが『タイプ室の後家さん』ってアダ名に変わってもずっとそこで働いて、親父の帰国を待ち続けたんだよ」

「一途で乙女なのよお義母さんは。おばあちゃんになっても、ホントに可愛い人だったもの」

「そうやんなぁ、蕗ちゃんてほんまに健気でカワイイ、うちが惚れてまうわ、で何?ゴケって」

「旦那さんを亡くした女の人のこと」

レジ締めをしていた文乃さんが洋一さんの話をすこしだけ訂正して、カウンター席で頬杖をついていたニコさんはほうとため息をつき、僕はニコさんの小さな疑問に答えた。

「まあ、じゃあ一途ってことにしておこうか。で、とうとう戦争が終わって七年目にシベリアから親父の手紙が届いたんだ、往復郵便でね。それまでシベリアに抑留されている日本人捕虜が本土と連絡することは一切認められてなかったんだけど、ユネスコとか日本の政治家とか色んな所からの働きかけで、俘虜郵便ってのが終戦から七年経ってやっと認められたんだってさ」

「すごいやん、七年目にやっと蕗ちゃんに舞い込んだ手紙って一体何が書いてあったん、おじちゃんそれは聞いた?知ってんの?」

「それがさ、親父は親父で真面目っていうか、八戸のじいさん達と考え方がそっくりでさ、『お影様で自分はこうして生きているけれど、帰国がいつになるのか皆目わからないし、あんなに子どもの好きだったおまえが東京で子どもを持たずにひとり年を取ってゆく姿を想うと忍びない、俺とは離縁することにして誰か頼りになる男と再婚してほしい、蕗子が幸福になってくれることだけが俺の望みだ』って書いてあったらしくてね。それは親父の一世一代の優しさだったんだろうけど、まあおふくろは怒ったらしいよ、色々と伝えるべきこともあっただろうに葉書一杯に『二夫に見えるつもりはございません』って書いて叩き返したらしい、お陰様なのか何なのか、親父は次の年に無事帰国したよ、戦争が終ってから八年もかかったけどね」

そうして桜の季節、ハバロスフクの港から舞鶴港に降り、舞鶴港駅から汽車を乗り継いで、昭和十九年に大陸に渡って以来九年ぶりに東京の蕗子さんのもとに戻った清三さんは、食糧事情と衛生状態の悪いシベリアで長い間暮らしていたことですっかり痩せた枯れ枝のような姿になっていた。清三さんは帰国してすぐに調理場に戻りたいと、料理人への復帰を切望したけれど、蕗子さんが

「せめてそのくっきりと浮いたあばら骨がお肉に隠れるまでは元麻布のこの家で療養なさって、それだとまるで磔にされたイエス様ですよ」

そう言って心配するので半年ほど蕗子さんが働き、清三さんは蕗子さんの母親の相手をしながら、元麻布の小さな家で食事を作ったり庭木の手入れをしたりと主夫のようなことをして暮らして、帰国した春から季節がまた秋に代わる頃に、昔の同僚の紹介で浅草の洋食屋の厨房の仕事を見つけて働きに出た。

清三さんは戦後復興と高度成長期の前夜、時代のうねりの只中にある東京の小さな洋食屋で九年ぶりに調理場に立ち、戦争中は特別金属回収運動と言って、銃や弾丸を作るために回収されて厨房から跡形もなく消えていた赤銅のソースパンを握った。

「久しぶりに赤鍋でバターと牛乳を潤沢に使ってベシャメルソースを作った時にさ、ああ俺の戦争が終わったんだって初めて思えて、涙がぼたぼた出てきて止まらなくて困ったよ。舞鶴の港で九年ぶりに日本の土を踏んだ瞬間だって、東京に戻った日にそれまで何千回も夢に見てきた蕗子の顔を見た時だってそんなことはなかったのにな。あの時にやっと俺の戦争は終わったんだよ。大連の最前線でも、シベリアの凍土でも、もう一度厨房に戻るんだって気持ちだけは捨てなかった、そのお影で俺は生きて帰国できたんだ」

晩年、清三さんが厨房で倒れて右手に麻痺が残り、流石にもう鍋は握れないと医者に言われた時、清三さんはこの話をして静かに泣いたらしい。

もともと海辺の町の生まれで魚介の皿が得意だった清三さんが、まず最初に『グリルしらとり』のメニューブックに入れたのは、清三さんの戦争を終わらせてくれたベシャメルソースをたっぷり使ったエビグラタンだったそうだ、それは今でもメニューブックの一番上にある。。

「親父もおふくろも、子どもとか家族とか店とか、若い頃に夢見てたことが、戦争のせいで一ぺん全部ご破算になっただろ、それを戦後、時間をかけてひとつずつ手に入れていったんだ。でも仮に店が無くても子どもがいなくても二人でいられること自体が嬉しかったんじゃないかな。夫婦喧嘩してる姿は見たこと無いね、本当に仲のいい夫婦だったと思うよ。親父は戦前生まれの料理人だったから子どもの俺達にもそれなりに厳しいところもあったけど、おふくろはお嬢さん育ちだったせいか年取ってから産んだ子だからなのかとにかく俺達に甘くてね、弟なんか喘息があって体がすこし弱かったから、夏はおふくろが日傘を弟の後ろからさして歩いてたし、冬は風邪ひくといけないからって湯たんぽを三つも布団に放り込んでさ、とにかくお姫様みたいに育てられてたよ」

「弟さんはなんて名前なん、どんな人?」

「啓二って言うんだ。啓蒙の『啓』に漢数字の『二』。俺は北斗くらいの年から親父と厨房に入るのが好きで勉強は全然って子どもだったから高校出たあと直ぐに親父のいたホテルの厨房に修行に出してもらって、そこから夜学の調理師学校に通ったけど、啓二は俺と違って勉強がよくできたもんだから、すぐそこの大学に行って、卒業してからは商社勤めしてたよ。途中から独立して、外国の食品とか珍しいワインとか入手の難しいウイスキーとかを俺達みたいな飲食店相手に商って、逆に外国の…主にヨーロッパと北米の飲食店に日本酒や日本の食材を卸すっていう小さい会社を始めてね、それとアイリッシュバーって、飲み屋みたいな店を友達と共同経営してるよ」

僕はその時、今年で六十五周年を迎える『グリルしらとり』の創業のさらに前に先代の清三さんが歩んできた壮大すぎるほど壮大な物語を洋一さんから聞いたあと、自分の父親のことを少し考えていた。

父にとってあの創業二百年を超える実家の蔵は一体どれほどの重さだったのだろう、もしあれが父一代で築いただけの商いだったら、父はあそこまで蔵の存続に拘らずに商いのほころびと負債の傷の浅いうちに蔵を畳んで、僕は大学を辞めて地元に戻って、僕と父と二人で借金を返しながら何とか暮しを立て直して、そうしたら父は自ら死を選んだりはしなかったのかもしれない。それか、母が生きていてくれていたなら。

「啓二さんて東京に住んではるんやろ、この店に来ることある?会ってみたいな」

洋一さんが父親である清三さんによく似た面差しであるのに対して弟の啓二さんは母親の蕗子さんによく似た目鼻立ちだということを聞いてニコさんは啓二さんの顔をとても見たがった。蕗ちゃん似ってことは絶対男前ってことやんかと。

「住んでるのはスグそこなんだけどアイツは今、商用で外国なんだ。スペイン?フランス?文乃、あいつどこ行くって言ってた?」

「スコットランドじゃなかったの?ホラ、シングル・モルトの買い付けに」

「そうだっけ?まあとにかくその辺だよ。ここんとこの急な円安でクリスマスから正月はホントに大変だったみたいでね。でももうじき戻るらしいし、そしたらここにお土産だってワインとかチーズとか、色々持ってくるだろうからタイミングが合えばニコちゃんも会えるよ。ちょっとだけ変わったとこのあるヤツでね、本人に会ってあんまりびっくりしないでやってほしいんだけど、でも俺と違って頭もいいし愛嬌もある、いいヤツだよ」

洋一さんは、この日は閉店後の店で随分長話しをしてしまったニコさんに

「さあ昔話はこれでもうおしまいだ、あんまり夜ふかししてると明日起きられないぞ、洋菓子屋は朝が早いんだから」

と優しく言って、僕には

「津田君、あと頼むよ」

と言いホールの灯りをぱちんと落としてニコさんと文乃さんの三人で店を後にした。僕以外に誰もいなくなった『グリルしらとり』にはしんとして親密な闇がやってきて、僕は清三さんが九年ぶりにベシャメルソースを作った日のことを暗闇の中で暫く、考えていた。

🦢

「ベシャメルソースはうかうかしてると焦げるからな、あと薄力粉がダマになりやすい、量を目で確認しながら慎重にいけよ」

休みの日にずっと青虫のようにレタスとベビーリーフ、それからセロリなんかをもしゃもしゃと食み続けた代わりに店のメニューにあるサラダをすべて、洋一さんの手書きのルセットを盗み見なくても一通り作れるようになり、平日は深夜の厨房でおしぼりをオムレツに見立ててひたすらフライパンを振り続けていたお影で小さなラグビーボール形のオムレツを焼けるようになっていた僕は一月の末、厨房の洋一さんに突然「津田君、ちょっとここ、火の前に立ってみな」と言われて酷く焦った。

「僕、まだ何もできません」

「でも休みの日と、仕事の終わった後、深夜まで店の調理場でいろいろ練習してるだろ、立ち方見てたらわかるよ」

洋一さんは先代も使っていたらしい赤銅色のソースパンを『ホラ』と僕に差し出してにやっと笑った。

「ちゃんと努力してる子は厨房で段々背筋がぴんと伸びてくるからすぐ分かる。努力ってのは無駄になることがいくらもでもある分、それを黙って続けられる人間は強い、それだけで力だよ。去年の春にウチに面接に来てくれた時、言い方は悪いかもしんないんだけど『手近なとこでとりあえず就職しとこう』って気持ちで来た子なのかなって思ってたんだ、でも津田君にやる気があるなら、俺はいくらでも教えてやるよ、少なくとも俺は弟子として雇ったんだからさ」

この店の二階に住まわせてもらって以降、僕が少しずつ少しずつやってきたことを洋一さんはすべてお見通しだったという事実を、僕は嬉しいような恥ずかしいようくすぐったいような気持ちで受け止めた。でもそれは適当に手を抜けばそれだってこの人にはすぐにわかってしまうということだ、そしてそれをすることは僕を『弟子だと思って雇った』と言った洋一さんを裏切ることなんだと、僕は背筋を伸ばしてから

「頑張ります」

僕にしてはかなり大きな声でそう答えた。

その日から僕は洋一さんに『津田君』ではなく『航』と下の名前で呼ばれるようになり、洋一さんからこれまでまず言われなかった言葉を結構な頻度で使われるようになった。

「やりなおせ」

最初に教わったベシャメルソースだった、その時も、鍋の扱いから木べらの持ち方に始まって、それぞれの材料の分量、それを火にかけるタイミング、火の前での立ち方からずべて一体何回洋一さんからリテイクを貰ったか、途中から数えるのを止めたのでよくわからないけれど相当回数ただ静かに「やりなおせ」を言われ続けた。洋一さんは声を荒げることがまずない、怒鳴らないから逆に怖い。それをずっとそばで見ていた文乃さんは

「ヨウさん、ここは帝国ホテルの厨房じゃないんだから、そんなに厳しくしてどうすんのよ」

せっかく来てくれた弟子が逃げるわよと言って洋一さんをちょっと本気で注意していた

『厳しいのなんか今時はやらないわよ』

けれど洋一さんは別にこれは流行り廃りの問題じゃないんだと言って、文乃さんというより僕に「やりなおせ」の理由と意図をちゃんと説明してくれた。

「基本のソースを十五、基本の出汁を六、他にもいろいろあるけどね、まずは基本を若いうちに手が枯れるまで分量手順すべてたたき込んどけば、どこに行っても困らないしどんな土壇場でも味がブレない。俺ももう歳だからね、俺が教えられることは航に全部、教えてやりたいんだ」

「どこに行ってもって…津田君はうちの子よ、他所になんかやんないわよ」

「そりゃあダメだよ文乃、本気で料理人を目指すつもりなら、あちこちの厨房を渡り歩いて、そこの先輩だとか親方の技術を盗んで学ばないと。センスとか才能も勿論必要だけど、何より経験がモノを言う世界なんだから」

それなら、洋一さんの教えてくれるものも厨房で起こることも全てひとつ残らず覚えよう。そう思った僕は朝から晩まで洋一さんの手元と目線と背中、それから言葉ひとつひとつを聞いて見つめてそれを自分にコピーアンドペーストする作業に夢中になった。それはついトイレまでついて行こうとして「流石にここはやめてくれよ航」と洋一さんに笑われてしまう程で、そうなると一日、二十四時間という時間は本当に一瞬だった。朝陽が昇ってふと気が付くと藍色の空の高い場所に月が白く光り、月曜がやって来たなと思うとあっという間に土曜が来る、定休日の日曜日はソースのルセットを読み解いてそれを作って試してニコさんに貰ったお下がりのテキストでフランス語を少し勉強して、気が付くと夕方で夜がきてまた月曜日が来た。

何かに夢中になると自分は世界の外側に放り出されている存在なんだとか、そのせいで果てしなく心もとないとか、そういうことを一切考えなくなるんだということを僕は発見した。というよりそんなことすっかり忘れていた。実家が倒産したことで大学を辞めて以来僕の周りにずっと霧のようにふわふわと憑りついていた『虚無』というものから完全に手を離すことができたのは父が死んでから初めてのことだと思う。夢中というのは、とても心の安定している状態のことなんだ。

それで土曜日のラストオーダーの時間、洋一さんが僕に

「三番テーブルのエビグラタン、航が全部ひとりで作って出してみな」

そう言った時、僕は反射的に「ハイ!」と返事をすると同時に鍋を握ってレンジに向っていた。予告なく一皿全ての調理を突然任されることになるなんて僕は全然思っていなかったので驚いたし緊張したし焦りもしたけれど、ベシャメルソースの調理手順を手が覚え切るまで、一ミリ何かが違うたびに静かに「やりなおせ」を言い続けた洋一さんは多分正しかった。僕の手は無意識にルセット通りベシャメルソースを作り、分量通りのエビと玉ねぎとマッシュルームとアスパラとマカロニを用意しグラタン皿に流し込んだそれにチーズをふりかけて二五〇度のオーブンに放り込んで、見た目だけは洋一さんの作るものと全く違わないエビグラタンを作ることができた。

「三番さんのエビグラタン出ます」

「あら、津田君の最初の皿ね」

そう言って微笑んだ文乃さんの手で三番テーブルに運ばれた皿が戻るのを、僕は洗い物をしながら待った。皿が戻ればお客さんの食べ方や表情を見なくてもそれがお客さんにとって旨かったのか不味かったのかはすぐに分かる。適当に食べて雑に残されているか、それともパンできれいにソースをぬぐって食べて貰えているか。でもこの時は皿が戻る前に僕はフロアに呼ばれた。

「航、ちょっといいか」

洋一さんがそう言って僕を手招きした三番テーブルには、多分文乃さんと同じ位の年頃の女の人が座っていた。上品で上等そうなブルーのノーカラージャケットと大粒の真珠のネックレス、綺麗に巻かれてセットされた肩くらいの明るい色の髪の毛は、細面で目鼻立ちの整ったその人を若々しく明るい印象に見せていた。普通の『奥さん』て感じの人じゃない、どこかのお店のママとかちょっとした会社の社長さんとか、そういう感じの人だ。僕が洗い物の手を止めて三番テーブルにむかうと、その人のテーブルにはワイングラスとほぼ空になった白ワインのボトル、それから綺麗に空になったグラタン皿が残されていて、それが僕にはひどく嬉しかった。

「今日のエビグラタンは俺はひとつも手を出してないんだ、この子が全部作ったんだぞ」

「そうなの?全然分かんなかった、いつもとおんなじ味だったわよ。なに?兄さん弟子でも取ったの、晩年になっていよいよこの店の味を次の世代に託そうとか思ったわけ?あたしこの子がどこの誰だか全然わかんないけど」

「『晩年』って、普通死んだあと言わないか?」

「アラ、そう?で何?とうとう若いのに厨房を明け渡して楽隠居する気になった?」

「別にそういうつもりじゃないけど…まあ弟子ではあるよ、俺のたぶん最後の弟子だよ。津田航君って言うんだ。いま二十歳でね、去年店にきたばかりなんだけど、勘が良いし真面目だし、いいもの持ってると俺は思ってるよ。これから店に来たら会うことが多いと思うし、ここの二階に住んでるからお前にも紹介しとこうと思ってさ、航、これ弟の啓二だよ」

「弟?」

「よろしくね。で、この子どこから来た子なの?どこ出身?随分色が白いわねえ、あと痩せてるわぁ…厨房で兄さんに毎日いじめられてんでしょう、かわいそうに」

「弟?」

「この子はもともと痩せてんだよ。出身は北陸、金沢だよ。実家は酒造の会社だったそうだよ、ちょっと色々あって今は蔵自体が無いそうなんだけどね、蔵元の息子だったってことと関係あるのか分かんないけど舌がいいよ、ちゃんと出汁とかソースの微妙な味の違いのわかる子でね」

「あの、弟って…」

「金沢の津田っていうと…津田酒造さん?そこの息子さん?あらぁ…」

「知ってんのか」

「あの、洋一さん、この人、弟…」

「何年か前にそこの吟醸と大吟醸をリヨンのホテルに卸したことがあるのよ、実直ですごく丁寧な仕事の蔵でね、津田さんもあの業界じゃあ随分若くて、でも熱心ないい社長さんだったわよ。ねえ兄さんこの子さっきから兄さんになんか言ってるけど」

「エッそうか?なに、どうした航?」

「あの、洋一さん、今この人が弟の啓二さんだって…でも僕にはこの人は完全に女の人に見えるんですけど…」

僕がすこし上ずった声でそう聞いたら、洋一さんはああそうかそうだよなと言って笑った。

「そっか、そうだよな、俺は見慣れ過ぎてつい忘れてたけど、航、こいつこんな格好だけど弟なんだ。その…これ女装っていうのか?こんなんで外見はかなり女だけど中身は完全に男だし、百子ちゃんて娘もいるし、結婚もしてるんだよ」

「妻は随分前に死んじゃったんだけどね」

啓二さんが艶やかに笑い、それから教えてくれた話は、まるで少し前に洋一さんから聞いた蕗子さんの物語の第二章のような話だった。啓二さんは昭和三十四年、グリルしらとり開業の翌年に産まれた時には間違いなく男の子で今も戸籍上は男性だ、それは啓二さん本人も十分自覚していることなのだそうだ。

「別にあたしは今でも自分を男だと思って暮らしてるわよ、これには色々理由があるの。だって男が化粧しちゃダメとか女言葉で話すなって法律はないじゃない?それとね、女装した生物学上男って生き物が全て若い男の尻の穴を狙って生きてると思ったら大間違いなのよ、どんな姿でも人間てのはそれぞれなの、わかる?」

「啓二、店で尻の穴とか言うな」

「アラ失礼」

啓二さんは別に自分を女だと思っているわけでも、男が性愛の対象と言うわけでもない、むしろもう二十年近く前に亡くなった妻だけが自分の伴侶、半身なんだと想い続けている人だった。僕は別に自分の尻を狙われているとかそんな風に考えているつもりはないのだけれどとりあえず「すいません」と謝った。一途な人なんだ、母親の蕗子さんと同じだ。

「あたしの妻は生涯、珠子だけなの。あ、珠子っていうのはあたしの初恋の人ね、そして最愛の妻。お母さんと毎週日曜日に通ってた教会の教会学校で一緒だった色白でぽっちゃりとした可愛い女の子でね、珠子が小学生四年生であたしが六年生の時に教会のミモザアカシアの下で約束をしたの、ずっと互いを大切に想い合って生涯一緒にいましょうって、結婚の約束よ」

啓二さんはフフフと笑って、ワイングラスの底にほんの少し残っていたワインを飲み干した。

「でもね、珠子の実家っていうのがこれがまたウチみたいな八戸からカラダ一つででてきたお父さんがイチから始めた洋食屋ですっていう家とは全然違って、江戸時代に海運業で財を成した御大家でございます、現在は倉庫業で年商はウン億円、一族には政治家もおります、お庭の錦鯉は一匹三百万円でございますってそれはそれは面倒くさい家だったの、珠子はそこの一人娘。だからお前みたいな二流の商社勤めの男に娘はやれんて言われ続けたのよ、そうよねー文乃ちゃん」

閉店時間を過ぎて、お客さんが啓二さんだけになったフロアで、テーブルをひとつひとつ丁寧に拭き清めていた文乃さんが啓二さんに呼ばれて振り返り、そしておかしそうに笑った。

「この前、ここのおとうさんとおかあさんの大河ドラマみたいな話したばっかりなのに何?今日は啓二ちゃんの話なの?この子さっきワインボトル一本あけてたしかなり酔っぱらってんのよ津田君、酔うといっつもその話するの。『だったら丸紅だったらよかったんですか三井物産ですか、僕入り直しますから』って啓二ちゃんが珠子ちゃんのご両親に食い下がったら、そもそも実家が洋食屋じゃ話にならんって言われたんだけどね、そうしたら、あのおっとりしたお義母さんがお義父さんより先にサッと立ち上がって、烈火のごとく怒ったのよねえー」

「そうよぉ、『夫の命であるお店になんてこと仰るの、洋食屋の一体何がいけないんですか、職業に貴賤は無いってご存知ないんですの』って、あの時のお母さん、本気で怖かったわー」

「あの時もう私はヨウさんと結婚してこの店の若女将だったからよーく覚えてるけど、おかあさんもホラ、夫に愛一筋だった上に、マイペースって言うのか、ああいうお家のああいうお席でも一切物怖じしない人だったから、まあ大変だったわよ。結局啓二ちゃんと珠子ちゃんが結婚の意思をあちらのご両親に初めて伝えに行ってから、それを渋々了承されるに至るまで何年かかったんだっけ?」

「八年よ、八年。それで珠子が三十になるってとこでね」

「百子ちゃんが珠子ちゃんのお腹にできたのよね、きっちり二十二週目でもうあとに引けなくなってから初めて妊娠を啓二ちゃんと親御さんに打ち明けた珠子ちゃんが一番の策士よ。それで向こうのお母様は、もう産むしかないのなら子どものことを第一に考えましょうって、子どもには父親が必要だからって渋々折れてくれたんだけど、まぁ…花嫁の父って言うのは大体そこそこ面白くないモンだって聞くけど、披露宴の金屏風の前にあんなに仏頂面で立ってた花嫁の父は後にも先にも見たことないわ。それでも挙式披露宴には父親として出てくれたんだからエライって思った方がいいのかしらね」

「世間体が何より大事な人達だもの」

文乃さんと啓二さんが話している間、僕は後片付けの続きをしなくてはいけない時間だったのでちらちらと僕の背後に掛けてある時計を見ていた。そうしたら裏口からタケさんが店に来ていたらしい、洋一さんと何かこそこそと話をしながら洗い物を片付けてくれていた。

「あ、すいません僕が」

「いいよいいよ、啓二のその話はとにかく長いし俺は何百回と聞かされてもう聞き飽きた。俺はここでヨウちゃんとハイボール飲みながら下働きの昔を思い出しつつ皿洗いしとくよ、津田君が全部聞いといて」

タケさんと洋一さん、同級生の二人がアハハと笑って啓二さんは「なによー」と少し膨れたけれど、僕を相手に話の続きをまた始めた。初恋の人で最愛の妻である珠子さんと一人娘の百子さんと啓二さん、三人は氷川神社の近くの中古のマンションをローンで購入してそこで暮らし始めた。でも三人が家族として共に暮していたのは十年間ほどのことだ。

「四季がね、すべて春だったわ、エブリディ桜色」

勤め先の商社で最初は鉱物資源取引、その後実家が洋食屋で味が分かるという点を見込まれて食品を扱う部署に回された啓二さんは、バブル景気以降、国内消費の定着したワインの取引のためにヨーロッパと北米、時々南米への海外出張をくるくるとこなし、音大のピアノ科を出ていた珠子さんは百子さんを産んだあともバレエピアニスト、バレエレッスンの時にピアノ演奏をする仕事を週に三日ほど続けていた。珠子さんが仕事をしている間、百子さんは『グリルしらとり』で祖母の蕗子さんが面倒を見ていた、だから文乃さんも洋一さんもよく赤ちゃんの頃の百子さんの相手をしていたそうだ。そのうち娘の百子さんは母親の弾くピアノではなくバレエの方に興味を持ち始めて、だったらと習わせてみたらとても筋が良かった。

「百子はあたしに似て背が高くて手足が長くて、珠子にも似て色が雪みたいに白くてね、舞台の上に立つと本当に妖精とかお姫様に見えるの。あたしはその頃北米とヨーロッパのワインとか酒類全般の輸入を任されていて平日は毎日午前様って死ぬほど忙しかったけど、お休みの日は全部、百子のレッスンの送迎とコンクールのサポートに捧げたわ。あのね、バレエって、ド本気でやると死ぬほどお金がかかんのよ、知ってる?」

「いえ…僕、子どものころの習いごとは水泳と公文くらいしか」

「そ?あのね、まずシューズは一足五~六千円くらいするし、練習熱心な子はそれをすぐに履きつぶしちゃうの、あの頃の百子は新宿まで毎日レッスンに行っていて、そのお月謝に、コンクール前の特別レッスン料でしょう、それから季節講習、あとはコンクールのお衣装代が十万越えとかそんなのザラだったのよ。でも楽しかったわ、珠子と氷川坂のマンションはいずれ人に貸して、それで国立か立川あたりに土地を買って小さなスタジオがある家を百子に建ててあげようって相談してたの、そこなら教室のある新宿まで一本で出られるし。それでスタジオには珠子のスタンウェイのグランドピアノを置いて、ピアニストつきのバレエスタジオとして誰かに貸してあげてもいいかもねって、そうしたら珠子も家で仕事ができるじゃない?あたしは二人のためなら世界中を駆け回っていくらでも働くわって、張り切ってたの」

でも、百子さんが十歳で啓二さんが四十二歳の夏の強い夕立のあった日、珠子さんはレッスンに行っていた百子さんを車で迎えに行く途中に雨でひどく見通しが悪くなっていた三差路でトラックと衝突、ハンドルと座席の間に体を挟まれて胸部を酷く圧迫され窒息し、搬送先の病院でそのまま帰らぬ人となった。その時啓二さんはアメリカの西海岸に出張中で、珠子さんを看取ったのは娘の百子さんと、連絡を受けて病院に駆け付けた文乃さんだったそうだ。啓二さんが連絡を受けて急いで帰国した時、珠子さんはもう白木の棺に納められて、その頃家族で暮らしていた氷川坂のマンションに戻って来ていた。『おかえりなさい』も『お土産はなあに?』も決して言わない、白くて冷たい遺骸として。

「あの時は、自分があの雨の日に『迎えに来て』って連絡なんかしなければって、百子が一番後悔して傷ついていて、あたしもそれはよく分かっていたの。それなのに百子ったら『パパ、私は大丈夫だからパパも元気だして』なんて泣いてるあたしの背中を何度も何度も撫でてくれたのよ、たった十歳の娘にそんなに気を使わせて、あたしはもうどうしたらいいのって思っていた時にね、白金台の珠子の両親がウチにやって来てそれで…ねえ、一体何て言ったと思う?」

「さあ…気を落とすな?とかですか…ね?」

僕は啓二さんが「もう一杯!」と言うので、啓二さんがお土産に持って来たオーパス・ワンを抜栓してワイングラスにとくとく注いだ、洋一さんは「あんな酔っ払いに飲ますワインじゃないんだけどなァ」と言ってちょっと惜しがったけれど、啓二さんが開けなさいというものだから。

「全っ…然!違うわよ、あのね『こうなった以上、百子を自分達の養子として梨本家に引き取りたい、うちは珠子が跡取り娘だったのに、百子ができてしまったから仕方なく君と珠子の結婚を認めたんだ。でも今こうして珠子は死んで、残された百子はまだ十歳だ、君には仕事があるし男親ひとりでは手が回らんだろう』って言ったのよ。信じられなくない?珠子のお葬式が終ってまだ一週間も経っていなかったのよ?むこうはね、いずれ百子に梨本姓を名乗らせた上で婿を取って梨本…ああ珠子の実家ね、そこを継がせるつもりでいたんだって」

啓二さんはグラスに注がれたワインを勢いよく一気飲みした。

「そんなことあたしは一切聞いてないし、大体百子はその時もう『将来はプロのダンサーになるんだ』って決めてたのよ。だから向こうの家の財産を相続させてやるからって百子の人生を丸ごと梨本家に寄越せなんて話、了承出来る訳ありません、勝手に決めないでくださいって突っぱねたの。百子はあたしの娘なんだからこのままあたしがあたしの手で育てますって、当然よね。でもそうしたらね、珠子の母親が言ったのよ『啓二さん、冷静になって考えてご覧なさい、百子もあと数年で段々と体が女性らしくなってきて初経も来るでしょう、そういう時はどうするの、女親がいないのに何とならないでしょ、大体あなたもまだ若いしいずれ再婚もするでしょう、その時に子どもがあると色々やっかいよ』って」

確かにそう言われてしまえばそうなんだけれど、でも妻を、母を亡くして絶望の深海の底にいる父娘に言う言葉だろうか『やっかいよ』って。当然啓二さんは

「百子はたったひとりしかいない僕の娘です、珠子が僕に遺してくれた子なんです。それを僕の人生から切り離すことなんか考えたこともありません、もう帰ってください」

その場の空気がびりびりと震えるほど怒鳴り、その話し合いは決裂した。また相談しましょう、そう言って席を立った珠子さんの両親がマンションの扉を閉めた瞬間、啓二さんは台所から塩を持ってきて調味料入れごとフルスイングで玄関扉に投げつけたそうだ。それから一ヶ月後、珠子さんの両親は

「ともかくもう一度今後のことを話し合いましょう」

そう言って今度は白金台の珠子さんの実家に啓二さんと百子さん、それから立ち合い人として洋一さんと文乃さんを呼びつけた。秋風が雲をきれいに吹き飛ばしたように澄んだ青空の日だったそうだ、黒板塀にぐるりと囲まれた大きな屋敷に足を踏み入れた啓二さんは、ドルチェアンドガッパーナの艶のあるビロードの黒いドレスに真赤なルブタンのハイヒールを履き、長いつけ睫毛につややかなボルドーの口紅、現在と同じ艶やかで鮮やかな女性のいで立ちをしていた。

「あたし男の中でも割と背丈がある方でしょ、そうすると女物で更に勝負服になりそうなお衣装って大体、海外のお高いハイブランドになっちゃうのよね。珠子は一五〇センチあるかないかってホント可愛い人だったもんだから珠子の服だと全然入らなくって。だから新宿伊勢丹だったかしら、日本橋三越?まあそういうとこに行ってひと揃え買ったのよ、百子と一緒にお店に乗り込んでね。と言ってもあたしは何をどう言ったらいいのかしらってお店の入り口で少しひるんだのよ、流石に。でも百子がね『この店にある中でパパに一番似合うドレスを頂戴!』って大きな声で叫んだの、百子は舞台度胸がいいってよく先生に褒められてた子でね、昔っからここ一番って場面にホントに強いの、自慢の娘よ」

「あの、なんでそんな…」

「珠子の両親が『男親じゃ娘は育てられない』なんてあたしに言うからよ。だったらあたしは母親になってやろうって思ったの。これはあたしの覚悟なのよ。誰が再婚なんかするもんですか、この姿はね、あたしにとっての剃髪なの。出家よ、出家。あたしは男でも女でもないの、だから再婚もしない、あたしは珠子を最初で最後の妻として、男を捨てて、この姿で終生百子の母親と父親の両方をやります、これが珠子へのあたしの愛ですって、白金台の家の座敷で堂々宣言してやったわ」

勤め先の商社が、娘を早く実家にでも預けて現場に戻ってくれと、啓二さんの復帰を再三急かしたこともあって啓二さんは会社を辞めた、そもそも女装で生涯を生きることに決めた啓二さんに普通の会社勤めは難しかった。それで啓二さんはこれまで培った海外貿易の知識と人脈を生かしてまずは個人で主に欧州のワインとスコットランドのシングル・モルトウィスキーの輸入の仕事を始めた。もともと気の利いた仕事をすると取引先からとても評判の良かった啓二さんには、啓二さんの独立を聞きつけてあちこちから「トスカナでボッリジアーノを手に入れて来てほしい」とか「アイラ島のウイスキーを、できたらアードベックをケースで頼めないかな」という注文が立て続けに入り、仕事はものの数年で軌道に乗った。その間ずっと啓二さんの手元で育った百子さんは、十六歳で挑戦した海外のコンクールで奨励賞を取って奨学金を貰い十七歳で渡英、今はロンドンでプロのバレエダンサーとして暮らしている。

「プリンシパルってわけじゃあないけど、それでもソリストって準主役みたいな役を踊るポジションにいるのよ、それで食べてるの。いずれは日本に戻って子ども達に教えるんだって言ってるけど、どうかしらね。でもこの前もスコットランドへの買い付けのついでに会いに行って年越しはロンドンで一緒に過ごしたの。娘はいいわよー、いつまでも可愛くてなんでも話せて。まあ仮にあの子が息子でもきっと可愛かったんだろうとは思うけど」

「あの…でもその百子さんは、お父さんが急にお母さんになって、戸惑ったり、やっぱりやめてって言わなかったんですか?」

僕は聞いた。啓二さんの決意とか愛は極論ではあるものの二十歳の僕には何とか理解できる。けれど当時まだ十歳だった百子さんは理解できたのだろうか。

「そりゃあね、最初はパパ何言ってるのーって驚いてたわよ。ずーっと後になって大人になった百子に聞いたら、パパはママのことが好きすぎて、そのママが急死してアタマがおかしくなったんだって思ったんだって。まあそうよね」

「まあそうですよね」

「うるさいわね。でもねあたしは言ったの、百子、これはとてもおかしな話に聞こえるかもしれないけど、パパにとって今一番大切なものを守るためのパパの決意なんだよって。例えば嵐に遭って難破した船が沈むって時、よく映画なんかであるじゃない?積み荷を捨てろーって。ああいう時、一瞬でも躊躇したり迷ったりすると駄目なのよ、自分にとって一番何が大切か秒で判断して要らないものは即捨てる。そうしないと一番大切なモノもそうでもないモノも全部一緒に深海に沈むことになるの。そしてあの時のあたしにとってはその捨てるべき積み荷はアレよ、みんながあたしに押し付けてくる社会的な『男』とか『男親』だったってそれだけなの。百子は分かってくれたわよ、だってまだどれが下地でどれがファンデーションでどれがチークでハイライトなんだかちっともわかんなかった頃のあたしにお化粧を教えてくれたのは百子だもの。お舞台に立つ子って十歳でも自分でちゃんとお化粧ができるのよね、あたし感心しちゃったわ」

そうすることで今日まで、この世界で誰より大切に想っていた妻を欠いた世界で娘と二人、懸命に生きてきたんだと啓二さんは言った。

この日、啓二さんは酷く酔っ払っていたのと結構な量の荷物を持っていたので、僕はタクシーの拾える大通りまで啓二さんを送っていくことにした。それで啓二さんの荷物を持って啓二さんを先導する形で店の外の細い路地を歩いている時、ついさっきまで酔っぱらって調子はずれの鼻歌を歌っていた啓二さんが、突然はっきりとした口調でこんなことを話し始めた。

「ねえ、さっきの、いざという時に一番大切なモノのために不要なモノを一切捨てるってハナシだけどね、たとえば守りたい一番大切な誰かのために自分の命を捨ててしまう人もあるの、それで守られたことになる人間は辛いしいたたまれないわよね、きっと一生の心の傷よ。だからって自分を責めてはダメなの、分かるわね、津田真治さんの御長男の津田航君」

丈の長いチェスターコートをマントのように夜風になびかせた啓二さんが明瞭な発音と発声で父と僕の両方の名前を呼んだので僕は驚いて立ち止まり、振り返って啓二さんを見た。暗い夜道、啓二さんの表情はよくわからなかったけれど、僕が立ち止まったので啓二さんもその場に立ち止まった。

「兄さんが、津田君のことを金沢の蔵元の子だって言った時にすぐわかったわ。あたし、さっき兄さんと少し話してたでしょう、うちの会社と津田酒造さんとは少しの間取引があったんだって。きっと兄さんは何も知らないのよね、津田酒造の社長さんがどういう形で亡くなったのか、知っていたら絶対にあんな風に普通に口に出したりはしないもの、あの人は昔から優しい人だから」

数年前に僕の実家の津田酒造と取引をしたことのある啓二さんは、僕の父親とその後もずっと連絡を取り合っていたらしい。だから僕の父親が設備投資後の経営の失敗から、雪だるま式に増えた負債を帳消しにするために蔵で首を吊って死んだことも当然、知っていた。

「その頃は丁度、うちの会社も色々と大変な時期で、あたしは長い間南ヨーロッパをひとりで回っていたの。でも津田さんが亡くなったって聞いて、それで一度帰国しようと思ったんだけど、あの時丁度日本への入国がすごく面倒で煩雑になっていたのよね、それでお悔やみにもうかがえないままやっと帰国してみたらもう会社は消えていて…あの時は本当に不義理なことをしてしまってごめんなさいね、お父様のこと、改めてお悔やみ申し上げます」

通りを一本入った裏道の暗闇で啓二さんが突然僕に最敬礼をしたので僕も慌てて頭を下げた。でも僕はこういう時脊髄反射で良い返しの出来る人間じゃない、妙に上ずった声で、そして当たり前の言葉しか出てこなかった。

「あの…えっとどういたしまして…というか、その、父をよくご存知なんですね」

「津田酒造さんと取引があったのは丁度津田君が高校生になった頃で、高校は県立のトップ校なんだって、息子は自分に似ずに頭がいいんですよって随分自慢されたわ。自分だって神戸大を大学院まで出てるくせにね。真面目な良い人だったわね、きっと真面目過ぎたんだと思うわ。それで負債を子には残すまいって、沈みゆく船の上で自らを海に棄てて代わりにひとり息子の君を守ったのよ、あのやり方が正解だったとは思わないけど、でも決して弱い人じゃない、本当に立派な社長さんで、いいお父さんだった、私は今もそう思ってるわよ」

父の葬式で父は、文政四年から二百年続いた蔵を自分もろともこの世から消し去った大罪人として、親戚中から叩かれた。あの時、喪主として葬儀の最前列にいた僕は、背後のあちこちから聞こえる「倒産なんて人聞きの悪い事してくれて」「大学院だかを出たところで蔵の経営のことは習わねえんだよなあ」という言葉を聞いて、死体蹴りっていうのを現実にやる人が本当にいるんだと驚いた記憶がある。それはきっと今もそう変わらないだろう、僕は父の死後一度も地元に戻っていない。だから僕は目の前の艶やかな人が僕の父を『真面目な良い人だった』『決して弱い人じゃない』と言って心から肯定してくれていることに驚いて、それから泣きそうになって慌てて夜空を見上げた。

星は、出ていなかった。

「それにね、人生って捨てたり、欠けたり、無くしてばっかりってこともないのよ、だって兄さんは今回ひとつすごいものを取り戻したんだもの。津田君は、兄さんと文乃ちゃんの間に息子がひとりいたことは知ってる?」

「病気で亡くなった息子さんがいるっていうのは、少し前に聞きました」

「そう、四歳の頃から二年も闘病して、最後まで頑張ったんだけれど六歳で死んでしまったの、あたしもうんと可愛がっていたからホントに哀しかった。その子ね、航っていうのよ」

「航?」

「そう、漢字も同じ航海の『航』。だから今日兄さんが厨房に向って『航、ちょっといいか』って津田君を呼んだ時、あの世から航が成長して戻って来てんのかと思ったわ。まああたしの甥の航は今生きてれば、エートあの子は昭和六三年生まれだから…もう三〇半ばか、でも津田君と何となく似てるのよ、六歳で死んだ航も色白で細身のひょろっとした子で、これがまたすごくシャイでねえ、いつも厨房の兄さんの後ろに隠れるみたいにしてずーっと後ろをついて歩いてたわ、トイレにまでよ?まあ津田君は津田君なんだし、兄さんが航の代わりに津田君を弟子にとったつもりじゃあないんだろうけど、でも兄さんが嬉しそうなのがあたし嬉しくて」

そうやってあたしたちの人生って、その時々に大体は欠けたり消えたり無くしたりしながら、それでも時折何かを取り戻して、そうして誰かの人生と環のようにつながってゆくのね

そう言いながら啓二さんが夜道をスキップして僕を追い越していったので、僕は慌ててその後ろを追いかけた。

僕がもし今、難破する船に乗っているとしたら僕は船から何を捨てて、一体何を残すだろう。

「『グリルしらとり』の調理場の、鍋…かな」

僕はそう呟いてもう一度夜空を見上げた。そうしたらさっきはひとつも見つけられなかった星を雲間にひとつだけ、見つけることができた。



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