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酸素ボンベとハルちゃんの話

息子の発達障害の定期健診のその日、診察は押しに押していた。

よく言えば豪放磊落、悪く言うと雑で適当で早口で巻きがウリの息子の主治医・小児神経科M先生の診察がその日は珍しく、16時からの予約が17時を過ぎても掲示板に息子の呼び出し番号が点灯する気配も無く、せっかちで待ちの苦手な患児の息子は猛烈に憮然として『やばい日本史 本郷和人著』を読んでいた。

やばいのは今の君の眉間の皺だが。

 そして、母親の私の行く先いつもいつでも帯同させられる、ウチの2歳の末っ子②は眉間の皺が額で固定してしまいそうな兄の傍らで退屈を極め、病院の待合室の端から端、そしてコーナーを曲がって総合受付、会計窓口までくまなく散歩をちまちょうね?ママと私を後ろに引き連れて歩き回っていた。

先天性の心臓疾患児である娘②は外出時、常に携帯用の小さな酸素ボンベを持って歩かなくてはいけない、小さいと言ってもその重量2,5㎏、母親の私が専用の携帯ケースに入れてそれをぶら下げ、そのボンベの差し込み口に透明な約1,5mのカニューラと呼ばれるチューブの先端を差し込み、チューブのもう片方の先端部分の吹き出し口を顔に装着して歩き回るその様は

「あーそっち行くの?まってまって!」
「足!足にホース絡まってる!」
「にぃにの所に戻ろうよ~」

娘②の「アタシ!今日初めて散歩に出ました!」という柴犬の仔犬が初めて散歩デビューに出たその日そのままみたいな勢いと、私の辺りかまわぬ叫びと相まって、結構人の目を引いてしまう。
 
大抵の周りの人たちは、

『あの不思議な医療機器と思しき何かを装着し、そして特に病児とも思えない堅強な足取りで歩き回る幼児は一体何だろう…』

という視線は投げかけてくるものの

この謎の『超不器用な飼い主と仔犬の散歩』状態の親子に

「その子どうしたんですか?」
「それ何ですか?」

ダイレクトに聞いてくる大人は少ない。

それが、この日

「この子は何をつけているのですか!」
「どうして紐でつながれているのですか!」

大きな声で叫びながら娘②の進路を塞いだ女の子が居た。

それがハルちゃんだった。

何しろその日は大変だった。

朝9時予約で、娘②のカテーテル検査入院の為の事前診察の予約が入っていたからだ。

子ども3人、上から10歳、8歳、2歳の子供達、その子供達を朝起こして着せて食わせて投薬して学童組を学校へ叩き出し、掃除して洗濯して、自分は裸じゃない程度に身支度して、各種医療証、お出かけセット、酸素ボンベと患児本人を抱えて病院9時現着。

鬼か。

しかし、この定期健診事前診察その他もろもろの予約を毎回入れてくれている主治医先生が

「お母さん、この日の予約9時でいい?」

そう電子カルテ、略して電カルに一度打ち込んでしまえば、そもそもご自身のほぼほぼ飽和状態の受け持ち患児の外来予約をテトリスⅬv99クラスにテクニカルに組み合わせているのであろう先生の予約に

「え~先生、その時間早すぎます無理です」

の「無」も口の端に乗せられるはずがあろうか、よく訓練された患児母は

「ハイ!喜んで!」

すしざんまいにパートに出ます!ハイ!明日からでも!位の威勢の良さで返事をするのみだ。

そして眉毛一本描く事なく、一切の化粧を廃した顔面を

「ええ、娘のために徹底して感染症の防止に努めていますの」

という大義名分のでっかいサージカルマスクで半分覆い、直す気もない寝ぐせを毛糸の帽子で隠し、とりあえず服は着ました裸ではありませんという体で予約時間ギリギリに病院に滑り込んだ私と娘②を待っていたのは

心電図検査
胸部レントゲン撮影
採血
主治医診察
からの
入院センターでの入院予約

という、出来たら入院予約以外全部入院してから病棟でやらせてくれ…くださいお願いします先生的各種検査項目が居並ぶ恐ろしいメニューで、何がどう恐ろしいのかと問われれば、この全項目の待ち時間が半端ないのだ。

特に心電図検査と胸部レントゲン撮影に関しては成人と同じ施設を使って検査するので、時代はソビエト・ペレストロイカ的な老若男女入り乱れた順番待ちの長蛇の列に患児娘②のお守として私が参戦することになる。

長蛇の列と言っても勿論皆が本気であの『パンを買うのに丸一日』とか、令和の昨今に即して言えば『真夏と真冬の有明の風物詩』みたいな行列を病院の中に再現している訳ではなくて、呼び出し番号が印刷されたA6用紙を受付で渡され番号を呼ばれるまでひたすら待機する。大人は何となく沈痛な面持ちで待合スペースに幾つも配置されているソファに体を沈めて静かにその番号が呼ばれるのを待つのだけれど

やんちゃで猪突猛進で暴れん坊、全盛期の松平健を彷彿とさせる2歳児である娘②が、静かにソファで沈思黙考を貫くような真似はできようはずも無い。

運動発達に若干の遅れがある娘②は、2歳にしてはよちよちした足取りで、しかしそれでも

「あたち今!相当歩けてるハズ!」

という謎の自信の元に構築されたセルフイメージがあるに違いない大股で病院の中を、用も無いのにCCUとかCT室とかカテーテル室とか、過去娘②が検査と処置で結構な目にあわされた筈の施設の周辺を散策し始める。

が、そもそも足元の覚束ない疾患児。

盛大に転び、挙句顔面から着地したりする。

その様子を見た心電図やレントゲン待ちのじぃじばぁばはソファから腰を浮かせて心配し

「あらら大丈夫?」
「元気でいいんやけどけどねぇ、フフフ。」
「怪我は?」

そう声をかけられつつ『お騒がせしてすみません』と私に抱き起こされた娘②は、疾患の為に肺血流不十分な癖にイキって大股の速足で歩き回った事が災いして唇と眉間、とにかく顔面の皮膚の薄い箇所が総じて真紫で、これから心電図を受けるはずのじぃちゃんとばあちゃんを大いにビビらせる。

あの日あの時あの場所にいた何人かのじぃじとばぁばの検査結果が著しく悪かったなら責任の一端は多分ウチの娘②にある。

なんかすんません。

とは言え、娘②が顔面からスッ転んで「だだだ大丈夫?」と腰を浮かして心からの心配とご厚意を贈ってくださるじぃじ、ばぁば達は、

「その子どうしたの?」

と聞いては来ない。

ここは病院・世は戦国。

巨大医療施設に居て、かつ医療機器と思しき装備をしていて検査の順番を待っているんだから病児に決まってますよねそうですよね、そしてワシらもまた病身なのだよ、小さき戦友よ。

そんなじぃじばぁばの視線はまさに、貴様と俺とは同期の桜。

そして何より、

「アタシとおそろいね」

そう言って『突撃!隣の成人酸素ボンベ・ユーザー』にお声がけいただく確率の高さよ。

実際待合室のソファの隣に同じメーカーのボンベケースが並ぶ事があると私個人もユーザーの親としては『同担ですね!』位の親近感と喜びはある。

ご自身と同じ酸素ボンベを装着した幼児が無駄な元気でちょこまかと動き回っているのが珍しいというのもあるのかもしれないし、その声をかけてくる成人ユーザーの年齢が大体、娘②の祖父母か曽祖父母位の年代の方々なので、2歳の娘②に孫味があるのかもしれない。この日は上品な80歳位のおばあちゃまが

「アタシは肺がね…3年位酸素使ってるんだけれど…この子も?」
「この子は心臓です~生まれつきで」
「いつか治るのかしら?小さいから大変でしょう?もっと自由に歩きたいわねぇ」
「治る…とは違うんですけど、次の手術がうまくいけばいずれは外せると先生は仰ってます。本人はこの通り結構元気なんですけど」

娘②が最近道行く人、会う人すべてに差し出す今一番のお気に入りのコアラのぬいぐるみをニコニコと受け取りながら、早く手術が出来てもっと元気になれるといいわね、かわいいわねぇと娘②に優しく言葉をかけてくれた。

おばあちゃまもお元気で長生きしてくださいね。と私も返すけれど、この会話

『この状態で出歩けるようになるまでの来し方はそこそこ苛烈だったわよね~私たち』
『まあ、どうあってもコレ治んないのよね~』

という共通概念がその根底を大河の如くざぶざぶ流れている。

ここでの『元気』は『低空飛行ながら死なない程度に元気』、で『治る』というのは、『死なない程度の身体機能維持』のことだ。

私は娘②を産むまで何しろ自分が頑丈な造りの人間なもので、知っているとか知らない以前に考えた事も無かったのだけれど、後天的なものでも先天的なものでも、重篤な疾患というものは、一度そのひとの身体に住み着いてしまうと、その症状を緩和したり、中長期的な生存に即した身体まで手術や投薬で作り変えたり回復させる事は出来ても、完全にもとに戻すという事は結構難しい。

娘②に関しては、彼女の奇形の心臓を完全に常人の心臓の形にするためには

「うん!移植しかないですね!」

という、これ私個人としては人生史上ドクターから告げられた衝撃発言ベスト3に入る一言なのだけれど、毎回娘②の心臓の手術の執刀医を担当する小児心臓外科医のドクターから言わせると現行の医療技術ではそういう事になるらしい。

そしてその心臓を中長期的に生かす為の治療過程の一つとして、今24時間の酸素吸引をしている。

病院で出会う、娘②と同じメーカーの酸素ボンベを専用カートに帯同したおじいちゃんおばあちゃんが、酸素運搬用のカート代わりの母親を市中引き回し状態で走り回る娘②を見て

「小さいのにねぇ」
「がんばんなさいよ」

と声をかけてくださるのは、疾患や病態、そして程度の差こそあれど、同じような疾患の世界に肩まで、下手すると三途の川にもちょっとだけ浸かった事のある仲間としての激励だ。

私にはそう思えるので私自身『基本的に人見知りLV99カンストレベルの人間』ではある、がしかし、同志の皆様からの雑談や世間話は相当の気合で気軽に応じる所存と決意でございますの心意気で若干前のめり気味に取り留めない話に興じたりして、そんな会話の最後はいつも

「元気で長生きしてくださいね」

そう締めくくる。この『元気』は娘②の目指すところの『元気』の事だ。低空飛行でもいいから死なない程度の『元気』。

それを、ここで声をかけてくるひとは皆何となくお互い解っている。

2017年。この年に日本では94万6060人の子どもが誕生しているらしい。

その中の一人が娘②なのだけれど、この中で娘②のように疾患や障害の為に外出に酸素ボンベや人工呼吸器、気管カニューレの痰の吸引の為の吸引器等とにかく医療機器を持ち歩く子、所謂医療的ケア児はどの程度いるものなのだろうか。

『医療的ケア児』はその状態がとても流動的なものだったりするので統計は取りにくいのかもしれない。これという数字を見つける事はできなかったが、大学病院や専門病院、そして療育施設以外の場所では、医療的ケア児達とのエンカウント率は極めて低い、レアだ、ポケモンか、わしらはミューツーか。

故に、娘②をその辺に連れて歩いていると結構人の目を引くことになる。

これまでの人生で『目立たない』事にかけては、自動扉にも気づいてもらえないレベル・隠密御庭番クラスの薄い存在感の人間である事を自負してきた私としては、この『娘②を連れて歩くと何かひと様の目を引く』というのは不測の事態だった。

息子や娘①の学校の参観日、スーパーでの買い物中、銀行でATMの順番待ちの最中、

『これ何?』
『酸素ボンベ』
『この子なんでこんなのつけてるの?』
「病気で、心臓に病気があるから、これつけてないとしんどくなるんよ」
『心臓?治る?』
『コラ!もう~すみません』

偶に勇気と元気と好奇心で突撃質問してくるちびっ子と繰り広げる問答と、最後にお子さんが『うちの子が不躾な質問を…すみません』で回収しに来る親御さんとの会話はいつもこんな感じで、中には『酸素って何?』という周期表について思いを馳せた後に『げ、元素番号8番…?』という謎の返答をする羽目になる非理科系人間には拷問みたいな返しをしてくるお子さんもいるがそれはさておいて。

同じような事を大人に聞かれても子どもに聞かれても、私はいつも言葉に詰まってしまう。

一体どう答えるのが正解なのか、大体、私は脊髄反射で気の利いた返しができる人間ではないのだ。

この聞いてくる人、聞きたい人、子どもが聞いてくる事を制する人と、当事者、この場合娘②はまだ自身の事を自身の言葉で説明できないので代弁者は私なのだけれど、その間にはいつも不可侵地帯と言うか真空地帯がある。

その真空地帯に転がっているものは

『死』のようなものだと思う。

医療機器をぶら下げてその辺を闊歩する子は、普通の子どもより、その真空地帯にあるものに近いところにいつも立っている。

それは皆があまり見たくないし聞きたくないものの筈だから、私は子どもがどんどん掘り下げてくる質問の答えを途中で言いよどんでしまう。

そしてそれを、明確な形や言葉では無くても、ぼんやりとした輪郭で掴んでいるはずの大人はそれにあまり触らないように促す。

大分以前に『貴方のお子さんのような子の医療機器や病状病態について質問する時、どう聞いてほしいですか、どう聞いてどう接するのが正解なのですか』という質問を受けた事があるけれど

私は、未だにその質問の最適解を見つけられないでいる。

逆に

その質問をしてきた貴方は、どうしてそのことを知りたいのですか。

そしてその質問の先には貴方のどんな感情があるのでしょう。

「この子は何をつけているのですか!」
「どうして紐でつながれているのですか!」

息子の外来待ち時間にひたすら散歩する娘②と、そして午前午後の病院ダブルヘッダーで若干疲弊気味だった私の進路を塞いだ女の子はハルちゃんと言って、小学校2年生だと言う。

私へのこの質問に続けて、ハルちゃんは自身の名前、小学校名、お誕生日まで名乗ってくれた。

ナイス礼儀正しい。

そしてもう一度同じ質問を繰り返した

「この子は何をつけているのですか!」
「どうして紐でつながれているのですか!」

これはお答えしなくてはならないだろう。この娘①と同じ学年だと言う女の子に私は

「えーと、これは酸素ボンベです」
「この子は心臓の病気で、治療のためにこれをつけています」

出来るだけ柔らかい表現で、心臓の位置をトントン叩きつつ説明したが、ハルちゃんは

「そこは右ですが!?」

鋭いご指摘をくれた、賢いなハルちゃん。

せやねん、ウチの子、実は心臓がどっちかと言うと右側にあんねん。

娘②の心臓は右胸心と言って本気で右に傾いていて、お陰で私は心臓について話すとき右胸をトントンする変な癖がついている。

そしてハルちゃんは

「この子はなんさいですか」
「歩いて大丈夫なの」
「いっしょに遊べるの?」
「心臓の病気治る?」
「インフルエンザにかかったことある?」

矢継ぎ早に質問してきて、近くに居たハルちゃんに面差しのよく似たお母さんは

「すみません」

と私に小さく会釈してきてくれたが、そのすみませんは『不躾な事を聞いてすみません』のすみませんでは無くて

『ウチの子の弾丸トークにお付き合い頂いてすみません』の『すみません』だった。

とは言え私はこの時、ハルちゃんの弾丸質問に回答していくことについては何の躊躇もなかった。それはハルちゃん自身がそんな質問を繰り出してくる事に何の躊躇も留保も無かった事と

何より奇異の視線が感じられなかった事。

ハルちゃんが、娘②の酸素ボンベが何なのか、それを聞きたくて娘②と私の前に立ちはだかった、あのはにかみも気負いも無くあまりにもまっすぐこちらを見て質問してきた時、ハルちゃんが何の用事で息子の主治医であるM先生の診察室の前にいたのかを直ぐ理解できたからだ。

息子の主治医・小児神経科M先生は、専門はてんかんらしいけれど、受け持ち患児の多くはウチの息子も含めて発達障害の子ども達だ。

ハルちゃんの、この人懐こさが過ぎるくらいの他者との距離感はちょっと息子のそれとは傾向が違うけれど、頭に浮かんだ事象を、丁度スマホに通知がポンポンとホップアップするかの如く思い立った事をそのまま口に出してしまう感じはとてもよく似ている。

彼女は思った事を思ったようにやっているだけで何の悪気も無いのだ。

かの息子も毎朝、枕から頭が上がったその瞬間に何か思い立った事を思い立ったまま話し続ける。それがいつもの日常で、この日の朝はずっとメキシコの山について話しをしていた。

やめてくれお母さんは今ポポカテペトル山には何の興味も無いんや。

そのハルちゃんは私の口から『心臓の病気』という言葉を聞き出してからずっと

「心臓治るといいねぇ」
「治るようにお祈りをします」
「死なない?」

隣でコアラのぬいぐるみを抱いてよちよちと歩く2歳児が急に心配になってしまったのか、ひたすらそんな事を口にしていた。

私は、たぶん素地としてはとても心の優しいハルちゃんが、その傾向故に多分学校やあちこちで傍らのママ共々苦労している事は多いんだろうな、お互いそうですよねと思いながら

世界の受け取り方や、見え方が少し人と少し違うこの女の子が、やすやすと『健康な普通の人』と、ウチの娘②のような『疾患』というか『障害』というかそういう子との間にある真空地帯をひらりと乗り越えて

「死なない?」

と明確な言葉で聞いてきた事に少し驚いた。

でも全然嫌な気持にならなかったのは、ハルちゃんがその時真剣に涙目になってこの質問を繰り出したからだと思う。

「今、この子の為に偉い先生が一生懸命頑張ってくれているから多分、大丈夫。」

小学校2年生の子に難しい手術や治療の事はわからないだろう、あまり難しい事を伝えて診察前に混乱させすぎても良くない

そう思って一言だけ答えておいた。

『多分、大丈夫』。

頼みますよ、偉い先生。

結局

『貴方のお子さんのような子の医療機器や病状病態について質問する時、どう聞いてほしいですか、どう聞いてどう接するのが正解なのですか』

この最適解は私にはまだ見つけられそうにない。

もうこれは、私の心構えの問題のような気もする。

ただ、この質問の意図というか、娘②を見て疑問を投げかけてきたそのひとの感情の底にあるものが、個人的興味とか障害者への理解とかそういうものの他に、明らかに病身のこの子どもへの配慮、というかもっとシンプルな心配の感情だったのだとしたら

私は少しうれしい。

ハルちゃんほど直接直球で伝わってくる事はなくても。

ハルちゃんは診察が押しに押して、外が真っ暗になって帰宅することになったこの日、総合受付を抜けて、中央玄関まで私たちに付いてきてくれてひたすら

「気をつけて帰ってね!」
「インフルエンザにかからないでね!」

そう叫んでいた。

なんでも1年前に罹患したインフルエンザが高熱でそれがとても辛かったらしく、私はこの優しい子に「ごめん実は今月もう一回かかったわ」とは言えなかった。

ハルちゃんには自動扉から外に出ちゃダメだよと言い渡し、そこでお別れをしたが、ハルちゃんはずっとバイバイと言って見送ってくれた。

ありがとう。

心配して手をずっと振ってくれていた事。

ありがとう。

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