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音楽と私、それからライブのこと。

音楽を聴くのはやはり何より好きだし楽しいんだけど。
何というか音楽が脳内で音だけで処理されないな って思う。

よくライブでやってた曲には体感が伴うし、演劇や映画の曲は映像や感情が伴ってくる。
プログレとかジャズの複雑な曲にも映像、それから質感(ある種のピアノの音はベルベットの質感がある)が特に付いてきて、たまにメロディと一緒に遊んでるような感覚になってくる。

HSPなのか、共感覚みたいなものなのかは分からないけど、何なら昔よりこの感じは強くなっていると思う。
状況的にストレスがかかってて脳のリミッターが弱まっている、という可能性もあるけれど。

ちなみに共感覚ではなく、共感覚みたいなものだと思う。
一定の音階や音色に色や形が視えるというのとはもう少し違い、確かにある一定の音(例えばグロッケンの音はやっぱり星の小さな光みたいに見えたりする)に決まった像はあるかも知れないけど、イメージの領域な気がする。

むしろ、流れる音楽自体が一つの絵・映像…いやそれよりも、その音楽が一つの空間のような感じがある。
音楽その一曲が、一つの世界を持っているような感覚。


実を言うと、最近はそれ故に 何か作業をする時にBGMか邪魔になるようになった。
音楽があると、まるでそこに人がいて語りかけてくるような感じなのだ。
脳処理的に音楽一曲が完全に音以上の処理をしている。

だから最近は何か作業するなら自然音・環境音みたいな音しか流せない…それでもある程度気が散る時もあるし、鳥の声なんかが入ってると結構気が散る(笑)

完全にリラックスして脳を休める、という意味では無音が1番良いように思う。


個人的な感覚なので、どんな人がどんな風に音楽を聴いて感じているのかは分からない。
分からないけど、私の感覚はこんな感じだ。

ちなみにライブで自由に動けていたときは、曲に身体を貸していたような感覚だった。曲と一体になって踊るような感じで、最高に気分が良かったし、その時の自分は何より好きだったし何より格好良くて美しくなれた。

正直、コロナで奪われたものの中でこれが1番痛かったのだと、最近思っている。

また声を上げて、歌って、思う儘踊ったり跳んだり走り回れるライブが帰ってくるのがいつになるのか思うと胸が痛い。
でもずっと待っている。


ライブが恋しいから、音楽の脳内処理もこんなに激しいのかもしれない。
分からないけど、ずっと音楽が好きだし、私は出来るなら音楽と結婚しても良いくらいなのだと思う。音楽が鳴るあの場所と結婚したい、のかも知れない。

愛し音楽よ、その響きと熱が帰ってくる日を願わない日はない。

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