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たそがれに寄せて(20)「蜂追い」

 蜂の子の外観は正にウジ虫そのものである。私が蜂の子を賞味すると、妻や息子はあからさまに嫌な顔をする。しかし、信州人にとって、これ程の珍味はない。蜂追いの話をしよう。

 夏も盛りをすこし過ぎた頃が蜂追いの季節である。それも入り陽が西駒ヶ岳に薄れて行く時刻が良い。もちろん、白昼にやっても構わないのだが、色々の事情がある。当時、農家の子供達は小学校に上がる年齢になると、まずは弟や妹の子守をしなければならない。私も妹を背負ったものだ。それから、草刈り、家畜の世話など、子供だって結構忙しかったのだ。

 こうした農作業が一段落するのが薄暮の頃。この時刻に蜂追いをする理由はほかにもある。白昼だと太陽の光の中に蜂が入るとまぶしくてその姿を見失ってしまう。だから、たそがれ時が一番良い。

 このスリル満点のスポーツに取りかかるには多少の準備が要る。先ず煙幕花火を用意する。この花火作りも楽しい。町の薬局で硝石と硫黄を買い、木炭をひとかけら用意する。乳鉢があれば申し分ないが、たいていはすり鉢で代用する。

 家の中で作業をすると、どやされるから河原に出てすり鉢を使って材料を丹念にすり合わせる。あまり力を入れ過ぎると摩擦熱で火薬が発火して大変なことになる。慎重にやらねばならない。この時の材料の調合や工夫の仕方で色々の花火が作れる。私たちは打ち上げ花火こそ作れなかったが、ロケットまがいのものや、爆竹のようなものも作って遊んだ。一歩道を踏み誤っていたら、私だって今頃は過激派の一味に加わって爆弾作りにはげんでいたかも知れない。

 蜂追い用の煙幕花火を作るのは簡単だ。硫黄と木炭を多めに、明石は少しだけ加えて火染を調合する。直径三センチ、長さ十センチあまりの竹筒の節に小さな穴を開け線香花火状の導火線を取り付け、もう一方の端から火薬を詰めてしっかりと栓をする。これで出来上がりだ。

 花火用の竹筒を調達するついでに、釣竿くらいの太さで一メートルほどの竹も切り出して来る。田んぼか小川で赤蛙を一匹捕まえ、こいっには気の毒だが皮をペロリと剥いて竹竿の先端の串ざしにする。次に蛙の股のあたりの肉をむしり取ってマッチの先くらいの大きさの団子に丸め、これに親指の先ほどの真綿を取り付ける。失敗した時の用心にこの団子はいくつか用意する。これで準備完了だ。

 蛙をさした竿を田んぼの畔に立てて待つことしばし。やがてスガレと呼ばれる地蜂が餌集めにやって来る。蝿くらいの大きさで色は黒い。蜂は蛙にとまると肉を噛み切り始める。その
時すかさず肉団子を蜂の口のところに差し出してやる。蜂は肉を食い切る手間がはぶけたとばかりに、団子を抱えて飛び立つ。高く舞い上がる蜂の巣は遠いと言い伝えられているので、追跡をあきらめる。

 三メートルから五メートル位に飛び上がった蜂を追いかけるのだ。目じるしは団子にとりつけた綿の玉である。普通なら矢のように飛ぶ蜂も綿の空気抵抗でそんなに速くは飛べない。しかし、蜂は人間の思惑など気にしないから、田や畑の上を突っ切って行く。田んぼの中に落ち込んだり、畑に踏み込んでどやさりするのはしょっちゅうである。運が悪いと土手からころげ落ちて手足をくじいたりする。

 やがて蜂は着陸態勢に入り、ゆっくりと土手の茂みに降り立ち、直径一センチにも満たない穴の中に入って行く。こうなればしめたものだ。ほかの連中には分からないような目印をつ
けて一旦引き揚げて来る。
 蜂が農家の庭に着地することがある。既に囲いものなのだ。こんな時は、いまいましい思いで引き揚げて来た。

 日がどっぷりと暮れてから竹で編んだ背負い篭と鍬やシャベル、先に用意した煙幕花火を持って巣穴の所に引き返す。花火に点火して巣穴に差し込むとしばらくプンプンというざわめ
きが聞こえるが、やがて静かになる。蜂は全員気絶してしまったのだ。巣を傷つけないように慎重に掘り起こして篭の中に入れて持ち帰り、あらかじめ掘っておいた庭の穴にそっと置いて
土をかぶせる。このあたりの要領は植木の移植と一緒である。
 翌朝、正気に返った蜂は新しい巣穴から餌集めに飛び立って行く。

 十月も半ばを過ぎ、秋祭りの太鼓の音も途絶える頃、蜂が寝静まるのを待って、もう一度煙幕花火を巣穴に突っ込む。手早く巣を掘り起こし、親蜂を地面に叩き落として巣だけを家の中に持ち込みピンセットで蜂の子をつまみ出す。巣の中に潜んでいた親蜂が息を吹き返して逆襲して来ることもあるから油断は禁物である。

 蜂の子はほうろくで軽く煎ってから砂糖と醤油でつくだ煮にする。こんな珍味はめったにあるものではない。こう書いていても口の中に唾がたまって来る。

 信州に戻ると幼な馴染みのT君を訪ねることにしている。今どき珍しい専業農家である。この前行ったのは夕暮れ時で、畑から上がってきたT君は丁度よい相手が現れたとばかりに縁側に一升瓶を持ち出して茶わんに酒を注いだ。自家製の蜂の子のつくだ煮や漬物を着に、遠慮抜きの晩酌である。

 几帳面なT君の性格を反映して、この家の庭はいつ来てもきちんと手入れされていて、まことに好ましい。それに、庭の木立ごしに南アルプスの赤石連峰の雄大な姿が望める。正に借景庭園の妙である。こんな景色を眺めながら、T君と酒を酌み交わし、他愛ない話題に興じていると心がなごむ。

 T君宅を辞し、ほろ酔い気分で田の道を歩いて本家に戻る途中、立ち止まって、今一度周囲の景色を見渡しながら幸せな思いにひたった。そして、その時、私は蜂が夕映えの空に舞うのを見たような気がした。

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