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たそがれに寄せて(33)「シルバー・フォックス〜その2」

 その後もシルバーさんは年に一度か二度のペースで日本にやって来た。一年の三分の一は洋上で暮らしている、という感じだった。

 ある時、私たちは内緒でホノルル・横浜間の船室を予約した。ハワイでシルバーさんを不意打ちし「いつもは横浜で出迎えますが、今回はホノルルまで出迎えに来ました。」と言うと彼は狂喜し、早速なじみのパーサーに交渉して同じテーブルに席を作らせた上、私たちが払い込んだ料金の数段上の船室を取ってくれた。この旅も楽しかった。

 お気に入りのプレジデントラインが客船部門を廃止するとシルバーさんは太平洋航路の船を手当たり次第っかまえては日本にやって来た。おかげで私たちも横浜に寄港する外国船のかなりを見物し、その船上でご馳走になった。

 しかし、最晩年のシルバーさんがこよなく愛したのは、海の貴婦人、という形容詞が正にぴったりのバイキングラインのスター、シー、スカイの三姉妹船だった。私たちもこの姉妹船が大好きで、いつの日にかシルバーさんと共にこれで航海したいものだと憧れた。

 シルバーさんが横浜に着くと、その日の晩は私たちが船上でご馳走になり、翌日の昼は中華街でこちらがご馳走するというおきまりのコースがいつの間にか出来上がっていた。息子が食べざかりの頃になると、シルバーさんは毎回ローストビーフのディーナーを特別に注文し、ウエイターが大きな肉のかたまりを持って来ると「この子には特大のカットを」と普通の倍はありそうなビーフを切り分けさせた。
 息子がこれをもりもり平らげて行くのを、シルバーさんはいかにも愉快そうに眺めていた。

「いつも家ではろくなものをたべさせていないようで、いやだわ」妻は少しばつが悪そうだ
った。「この子は私の子供の頃に比べて二つだけ優れている点があるんですよ。ひとつはオネショをしないこと、もうひとつは強じんな胃袋を持っていること」と言うと、日頃もの静かなシルバーさんが声を立てて笑った。

 シルバーさんとの出会いが唐突だったように、別れも唐突な形でやってきた。この時、彼は八十才を少し過ぎていたが、かくしゃくとしていた。いつも、来日時のおみやげといえば、自家製の干し杏とか、レーズンとか食べ物が主だったが、この時は日本が南洋諸島を委任統治していた時代の軍票や日本の古い紙幣をくれた。私は一瞬いぶかったが、さほど気にも留めなかった。

 例によって中華街で昼食をした後、タクシーで大桟橋まで戻って来た。いつもだとシルバーさんを船室まで送り、大抵はそこでひとしきりおしゃべりをしてから帰って来るのだが、この時はちょっと様子が違っていた。タクシーが間もなく大桟橋に到着しようとした時、シルバーさんは「これが最後の船旅になるよ」とポツリともらした。私は耳を疑い、何かの聞き違いではないかと思った。妻も同じだったらしい。大桟橋に着くと彼は私たちをタクシーの中に押し留め「ここで別れよう。さよなら」と言ってすたすたと歩み去ってしまった。

 それから何回手紙を出しても音沙汰がない。三年余りしてシルバーさんの遺産の管理人と称する人から「ミスター・ジョセフ・シルバーは某月某日亡くなりました」という簡単な手紙が来た。私たちは再び狐につままれた思いをした。「お墓参りにでも行きたい気持だわ」と妻が言った。私とて同じ気持だった。

 今にして思う。この身寄りのない老人は、引退後すべての財産を船旅につぎ込んだに違いない。彼の唯一最大の誤算は自分の寿命が尽きる前に財産の方が尽きてしまったことではないだろうか。あるいは、あれは不治の病を知った上での最後の航海だったのであろうか。

 銀婚の年を迎えた夏、エニシング・ゴーズという大西洋航路の豪華客船を舞台にしたドタバタ・ミュージカルを見に行った。その公演プログラムにバイキングラインのホンコン・東京の足かけ五日間のショート・クルーズ の広告が出ていた。日数も費用も無理をすれば何とかなりそうだ。洋上で銀婚式を祝うことにして早速船室を申し込んだ。

 十一月のある日、私たちはホンコンに飛んだ。わが家にホームステイをしたことのあるベティが、新婚早々の旦那さんと得意満面で現われ、北京ダックとかのヒレで大歓迎してくれた。

 翌日の昼は大学時代の旧友、Tのおごりで鳩のローストなるものを初めて味わった。二四時間足らずのホンコン滞在だったが、それなりに十分楽しかった。

 午後四時出港。海の貴婦人にも、かすかに老いの影がさしかけていたが、そんなことはどうでも良かった。船旅は入港の時よりも出港の時の方がはるかに刺激に満ちている。デッキから岸壁を眺めていると、荷役人夫やトレーラーが忙しげに走り回っている。ギャングウェイが陸の方に引き揚げられ、船のバンドが陽気にデキシーランドジャズを始めた。シャンペンが配られ、 あちこちで乾杯の声があがる。 私はこんな瞬間が大好きだ。

 汽笛一声、船は少し揺れて岸を離れた。曲は「もう少しここにいてよ」 (JUST A LITTLE WHILE TO STAY HERE)に変り、ますます賑やかである。

「出港ですね」私はシルバーさんに語りかけた。そう、お遍路さんではないが、これは同行二人、いや、同行三人の航海なのだ。妻もきっと同じ思いだったに違いない。

 やがて船は、ホンコンの夕景を背に、次第にスピードを増しながら外洋の間に溶け込んで行った。

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