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たそがれに寄せて(26)「はつ恋」

 父を拝み倒して買ってもらった小さなカメラが中学時代の私の宝物だった。同じ中学に通っていた一学年下のSと一緒に押し入れの中に入っては現像や焼きつけに熱中した。

 Sには一才上の、つまり私と同い年のY子という姉がいて郊外の私立の学校に通っていた。なんの拍子か分からないが、この子が突然好きになってしまった。毎日悶々として過ごし、もともと好きでなかった勉強がますます手につかなくなってしまった。

 彼女は毎日わが家の前を通って駅に向かい、時折買いもの籠をさげてはお使いに行った。当時の中学生は本当に純情なものだ。話しかけて友達になってもらうなど、考えもつかない。時折見かけるY子の姿を眺めては、ため息をついたり、胸をおどらせるのが精いっぱいだった。

 やがて私はこの子の写真が欲しくてたまらなくなった。なんとかして手に入れたい。さんざん考えたあげく、ついに一計を考えついた。私はさりげなくSに言った。「俺、今、引き伸ばしの機械を作っているんだ。お前の写したネガでも実験したいから、ちょっと貸してくれないか」

 当時引き伸ばしの機械はものすごく高価なもので、中学生の小遣いで手の届く代物ではなかった。どうしても機械の欲しかった私はレンズを組み合わせて、それらしきものを作った。

 本物に比べたらお話にならないようなものだったが、それでも何とか使えた。Sからネガを借り出し、Y子が写っていそうなコマを懸命に探した。一六ミリのネガだから容易なことでは見つからない。しかし、どうやらそれらしい一枚を見つけ出して引き伸ばして見た。

 彼女の姿がゆらゆらと現像液の中から浮かび出て来た時の胸のときめきは今でもはっきり覚えている。

 問題は写真の隠し場所である。私は祖父の形見にウオルサムの懐中時計を貰っていた。時計は一五センチ角位の立派なケースのビロードの台座に収まっていたが、なにせ五十年も昔の時代ものだったので、台座は簡単にケースからはがれた。私は台座とケースの間に写真を隠し、その上に時計を元通りに置いてカモフラージュした。そして毎日のようにこの写真を取り出しては眺め入った、と言うよりは拝んでいた。

 高校に入ってから暫くして弟のSと偶然会った。彼は問わず語りにY子が千駄ヶ谷にある英語塾に通っていると言い、彼女が塾に行く曜日をさりげなく聞き出した私は両親にねだって塾に入った。ただ、この塾では同じ曜日の同じ時間帯で、いくつものクラスが平行して授業をしていて、Y子のいるクラスに入れなかったのは実にうかつであった。それでも休み時間や下校の折りにその姿を見かけられるのは嬉しかった。

 しかし、半年位するとY子の姿は塾から消えてしまった。失望感も大きかったが、この塾の先生の教え方がたくみだったせいか、今まで五里霧中だった英語がなんとなく分かり始め、これがきっかけとなって、ほかの課目も好きになり、受験勉強に熱中するようになったのはまことに皮肉な結果であった。

 後日談がある。ある冬の寒い日、妻は当時一才か二才だった息子を連れて実家に用たしに行った。留守番役の私はこたっにもぐりこんでウイスキーをちびちびやりながらレコードを聴いていた。酔いが大分まわって来た頃、私は急にY子のことを思い出し、例の写真を見たくなった。キャビネットから時計のケースを取り出し、台座をはがすと写真がない。代わりに妻の
若い時のニッコリ笑った見合い用のスナップが収まっていた。

 かなり酔ってはいたが、顔色がさっと変わっ行くのがはっきり分かった。次の瞬間、私は笑って笑って笑いころげた。

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