私が歌手を目指す理由
たぶん、私の想いを公に全て書き出すのは初めてだと思う。
長くなるとは思いますが、よかったら見てください。
* * *
私は小学1年生からずっとバレーボールをしてきました。
小学5,6年生では全国大会に出場できるほど、チームメイトには恵まれていました。
それでも、もっと強くなりたいと思ったので、中学からは親元を離れて、3つほど離れた市で寮生活をしながら強豪校に進学。
毎日がバレー漬けでした。
当時シングルマザーだった母は仕事を3つ掛け持ちして、私の寮費や学費、食費、遠征費、部費などを稼いでくれていました。
だから私は、お母さんに負担を掛けてしまった分、バレーボールで恩返しをするしかないと思っていました。
ですが、中学は四国大会止まりで全国大会には進めず、中学2,3年のときの県選抜でしか全国大会には出場できなくて、悔しい思いを抱えたまま高校に上がりました。
中高一貫校だったためエスカレーター式で上がれたものの、春高に出場するレベルの学校だったため同級生は別の中学から進学してきた子を合わせて全部で14人。
レギュラー争いは逃れられないものでした。
そんなとき、小学6年生から痛めていた膝が悪化してしまい高校1年の5月に左膝を手術しなければいけなくなりました。
でも、
と思えば平気なもので、手術から7ヶ月間のリハビリを経てプレイヤーに復帰しました。
7ヶ月ぶりのコートは新鮮で、紅白戦は楽しくて仕方がなくて、バレーが出来ることが本当に本当に幸せでたまりませんでした。
でも、そんな幸せも束の間で、復帰から1ヶ月後。
今度は反対の膝に違和感が出始めました。
術後の定期検診で、右膝の違和感を伝えるとMRIで念のため両膝の検査をすることになりました。
すると、右膝も同じ症状が現れていました。
それに加えて、左膝も症状が再発。
また手術をしなければいけなくなりました。
そう思い、2度目の手術を決心しました。
両膝を一気に手術するというのは、想像以上に大変でした。
術後はどちらの膝にも体重がかけられないし、夜は両脚が痛むし、本当に辛くてたまりませんでした。
それでも、
大好きなバレーをするためには、憧れのオレンジコートに立つためには、耐えるしかないと思いました。
6ヶ月後、待ちに待った復帰。
そんな私を襲ったのが自転車との衝突事故でした。
坂道を猛スピードで降ってきた自転車にぶつかられてしまい、右膝の靭帯を損傷してしまいました。
本格的な復帰は1ヶ月先延ばし。
さすがに、
何で私ばっかり…って思いました。
1ヶ月後、やっと復帰。
嬉しくてたまらなくて、放課後練の後も自主練をしてブランクを埋めていました。
復帰後、練習試合に使ってもらえること。
コートに立てる嬉しさ、トスを上げられる嬉しさ。
仲間と点を取っていける嬉しさ。
全てが幸せでたまりませんでした。
そんな中、日に日に曲がらなくなっていく両膝。
思い通りに動かない脚。
私はまた、両膝を手術しなければいけなくなりました。
担当医に言われた
もう、終わりだと思いました。
私はバレーボールをしてはいけないんだと、思いました。
悔しくて、自分が嫌いでたまらなくて、
こんな膝いらないって…
私が何度手術をしても、
「待ってるからね」
って言ってくれたチームメイトにも、
「お前に期待してるからな」
って言ってくれた顧問の先生にも、
合わせる顔が無いと思いました。
「あんたはよう頑張った。もう無理せんでえぇんよ。」
お母さんが涙を堪えながら、私に言ってくれました。
私はバレーボールを諦めました。
車椅子になってでも続けるバレーよりも、
普通に歩ける未来を選んでしまいました。
退部してからも学校で普通に接してくれるチームメイトに合わせる顔がなくて、学校に行ったフリをして休む日もありました。
苦労をかけてしまったお母さんに恩返しをするどころか、3回の手術でもっと苦労をかけてしまった。
バレー部の寮を出て、実家から電車通学の毎日。
今までよりもかかるお金。
お母さんはいつまで経ってもしんどいままで…
私って、生きてる意味あるのかな。
なんて考えてしまう自分がいました。
毎朝、通学電車に乗ろうとするたびに
あと一歩この足を踏み出せば
バレー部のみんなと顔を合わせる毎日が終わる
あと一歩この足を踏み出せば
お母さんが私のために仕事を掛け持ちしなくて済む
あと一歩、あと一歩…
そんな風に考えてしまう日々が辛くて苦しくて。
そんな私を救ってくれたのが、音楽でした。
YUIさんのfight
この曲が、この歌詞が、私の背中を押してくれました。
私がいつまで引きずっても、過去には戻れない。
どれだけ悔やんでも、引き返せない。
もう前を向くしか無いんだと思いました。
それと同時に、
今度は私が誰かのために歌おう。
誰かの背中を押せる人になろう。
そう思いました。
それが私の、"歌手を目指す理由"です。
誰かの心を救うために、誰かの心に寄り添うために。
そのために私は歌いたいんです。
背中を押せるように、休む場所になれるように。
だから、今日も私は、歌を歌い続けます。
誰かの心に届くように…
長々と書かせていただきましたが、ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
これからも応援よろしくお願いします。
saki.
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