言葉が自分?気持ちが自分?
嫌だけどやってしまう、言ってしまう。
嫌だけど言ってしまうの、やってしまうの。
なぜ、自分でも言うのが嫌なことをいってしまうのだろう。
なぜ、抑えられないのだろう。
それができなくて苦しんでいる人がいる。
なぜ、やりたくないことをやってしまうの?
ときいても、「わからない。自分でコントロールできなくなってそうなる。」のだという。
そして、そのあと、やってしまったこと、言ってしまったことを後悔している。
そうして、また自己嫌悪に陥って、次にまた同じことを繰り返してしまっているようだ。
僕にはなかなかこれがどうしてそうなっているのか、理解ができない。
自分でコントロールできないところまで勝手に暴走して、思ってもないことを言ってしまう。
だけど言ったことは言ったこと。それは現実でその奥にはそれを強固に補強している何かがあるはずだ。
そこには目を向けずに、思わぬことを言ってしまった、となる。
ちがう。言ったということは思っていたんだよ。
そういう現実を少しずつ認めることから始まるような気がする。
自分をコントロールできなくて、誰が自分をコントロールできるのだろうか。
誰にもその資格も権利もない。それを有するのはあなただけ。
見つめるのが怖いのかもしれない。
間違ったことをしたことを認めるのが怖いのかもしれない。
それが難しいのであれば、間違ってなかったことをしっかり論証してみるといい。
どこかに矛盾を見つけられるはずだ。
どこで掛け違ったのかは自分でしかわからない。
間違ったことはわるくなくて、そのボタンの掛け違いを次は直してあげればいいだけだ。
ただ、どのボタンをどんな風に掛け違ったのか、それは自分しか分からない。
他の人は助けようとしても助けられないのだ。
間違ったらそれを責めるのではなくて、しんどいなら、「間違ってない」から始めればいい。
数学と一緒だ。例えば「正三角形でない」ことを証明したいと思ったら、直接角度を測りって証明してもいいけど、「正三角形である」ことの論証を始めてみたらいい。
正三角形だと思い込んで進めていけばどこかで齟齬が見つかると思います。
そんなもんだと思うんです。
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