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言語化のできない苛立ち

苛立ちというのか、もやもやというのか、退屈というのか。ピッタリとした言葉が見つからない、けれど根底に漂うように存在するもの。存在を見つけ、掃除してしまおうとすると、箒の間をすり抜けるように逃げていく。また、時間が経つと、溜まったように漂っている。そういうものがある。

それは、なにか人生や自分に対する後悔からきているような気がしていて、多分それを掃除するには、過去や過去の選択、あるいはそれをした自分を受け入れるしかやりようは無いように思う。けれど、それをできない自分が長らく存在している。

そういう自分は自分のなかにあっても居心地の悪いもので、自分は自分を生きているのだが、何か借り物の体を操って生きているだけのように思える。そうすると、吸う空気、聞こえる音、感じる味、全てが一枚膜を挟んで味わっているようで、直接に自分に響いてこない。それは、より強い味、音、気持ちよさみたいなものを欲する煩悩とも呼べる欲望に変化し、自分から取りついて離れない。そういうものがなかったのが普通だったからすごくすごく気持ち悪い。靴の中に小さな石が入ったまま気持ち悪いなと思って歩き続けているような感じで、自分と自分の間に空間があってフィットせず、絶え間なくずれを感じる。

これはちいさなズレなのだけれど、自分の中で何かを決める時、心の声を聞く自分を邪魔してくる。

ぼくが怖いのは、そのズレに違和感を感じているうちはまだなんとかぎりぎり正しい自分を認識できていると思うけど、いつかこのズレとか決まりの悪さに気持ち悪さを感じなくなってしまうのではないか、ということだ。そうなってしまうと、たぶん、僕はこれから、あらゆる大事な選択の場面で、あらゆる選択を間違えてしまうような、そんな危機感がある。

だから、ぼくはこの気持ち悪さをどうにか払拭したい。過去の自分を受け入れたい。そこから前を向きたい。そこに戻って考えるのは本当に気の進まないことだけど、放っておいて良くなる見込みがないことは自分が一番よくわかっている。

そして、今はぎりぎり我慢できているが、いつかその矛先は他者に向くのでは無いか。自分が傷ついていると思い込み、人を傷つけてしまうのでは無いか。今も既に僅かな綻びが見え隠れしている。ある瞬間たがが外れ、人を殺してしまう(物理的な意味では無い)のではないかと感じる。そういう凶暴な自分が自分の中に巣食っている。

今までその魔物は上手く扱うことができていたのだが、いつしかそれが自分の扱えない領域にまで肥大化してしまうのではないか、と感じてしまう。ぼくはぼくが怖い。そして、人も怖い。人が怖いから殺したく(物理的な意味では無い)なってしまう。

まだ、自分の中に、そんなことで苛立つなよ、という自分がいる。もっと寛容だったじゃないか、という自分がいる。終始機嫌の良い自分がいる。笑顔の素敵な自分がいる。いる。いる。いる。そんな自分にいなくならないでほしい。そういう自分がぼくは好きだ。そんなふうに僕はいきたかったのだ。生き方を失って、自分のやってきた生き方が自分にとって心地の良いやり方を忠実に守ることができていたのだと気づいた。

だから、あの瞬間にもどりたい。戻らなくてもいい。取り戻したい。

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