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100日後に国際協力をやめる日記(6)

結局、なにもしたくない

組織の動かし方がわからない、という話を耳にします。根回しが大事という話を耳にします。でも、これ、とても健全な悩みごとなのだと思うのです。なぜなら、動く/動かす方向での議論だから。

みんな何もしないために仕事をしているなんてことはないはず。仕事をしているということは何かをしているわけで、それは何かを動かすためのはず。しかし、このように考えて仕事をしていると、思わぬ壁にぶち当たります。

・・・

実は、何もしないため、何も起きないようにするために、必死に抵抗圧力となるために働いているのです。厄介なのは当の本人たちが、自分たちが押し返している方向が「前」だと思い一生懸命働いていることです。彼らにはなんの悪気もないのです。むしろ、全身全霊で純粋に任務を遂行しています。

それは必要なのか、なぜ必要なのか、できる保証はあるのか、等々もっともらしい理由を挙げつらい、議論はどんどんとやらない方へ進んでいきます。このちゃぶ台返し論法は、全く無駄なわけではありません。本当に無駄なこともあるわけで、意義のないことをやるのならやらないほうがマシ、ということも多々あるので、自浄作用としてよく機能しているとも言えます。しかしながら、この自浄作用は抗生物質と同じです。最初は悪いウイルスを殺すだけだったものが、良いウイルスも殺してしまうようになります。つまり、自浄作用は適度に働くことが必要ですが、思考力を失った組織では、何でもかんでも否定する、という形で機能してしまいます。これが、だれも悪くないのに良い方向に物事が進まない本質です。

なぜ、個々には正しく判断しているのに、総合して俯瞰してみると、何もやっていない、あるいは否定しあっている状態になるのでしょうか。理由は、①多様性とういう名の下に、全体としてキャンセルしあっている。
②その集団の外に出るには1人にならざるを得ないため、そんなリスクは冒さない。
ということだろうと思います。

①は単純で、組織としての統一観念がないために、それぞれがそれぞれの正義で動く、結果として、全ベクトルを足し合わせると、原点から動いていないということになります。組織としての生産性はゼロですが、個人が個人の努力で動いた部分で業績が評価されます。しかし、それも大きな視点で見ると、ゼロ。
②は、全体としてゼロということをわかっているのでしょう、あえて動かず省エネを貫きます。動いても動かなくても最終的な結果はゼロなのだから、自分は動かなくても良い、という発想です。こう言った人もおおくなってくると、個人間同士でも話し合いができなくなってきます。

つまり、結局のところ、意図してもしなくても、マクロ(組織)で見てもミクロ(個人間)で見てもゼロに向かって動いていることになります。本人の認識とも違っていようが、結果からみれば個人の頑張りも大きな意味をなしません。

誰にも決定権がない

もう一つ、誰にも何も決定権がない、ということも大きな問題です。たとえん何かの部署の部長になっても、組織決定に携わることができない。もう少し細かく言えば、人事で部長になったとしても、各部署のことがわからないので、戦略的に人を配置できない。各部署に相談して決めるので、戦略的配置とは程遠い結果となる。しかし、それが戦略的だったと自己納得せざるを得ない。 各ラインの部長だとしても同様です。人数が外部から管理されているので、いい人をとってきて育てながら配置できない。他のラインに相談して決めるが、どちらも決め手にかける同士なので、従前の事例を踏襲することしかできない。このような決定権のなさが、水平と垂直に張り巡らされており、誰も何も決められない、がんじがらめになっています。
このような組織では、えらくなったとしても、何もえらくないのです。なにも決められず、決める能力も育ちません。


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