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圧倒的な才能、それを発見できる才能

私は特にこれといった才能もなく平凡に細々と日々を過ごしている。人々を魅了する才能をもつプロスポーツ選手、芸術家、お笑い芸人、小説家などという人たちに、ただただ羨望の眼差しを送っている。

しかし私にたった一つだけささやかな才能があるとすれば、才能を見抜く才能があるのかもしれないと勝手に思っている。

その例を示すとすれば、ロックバンドのKing Gnuについて誰も知らないような頃から、このバンドは近い将来紅白に出るくらい売れると周りに言い続けていた。

周りの人たちは「ほんとに?」というような懐疑的な反応だったが、King Gnuはあっという間に有名になり、実際に紅白に出た。

こういうことが結構あって、SEKAINOOWARIやゲスの極み乙女などもフェスの小さいステージで演奏していた頃から観ていて、将来絶対に売れると確信していた。

そしてその確信は現実になった。

ゲスの極み乙女は違う理由で有名になりすぎてしまったが。

私はまたその才能を発揮してしまったのである。

それもここnoteの世界で。


私はとんでもなくすごい文章を書く人を見つけてしまった。

それは猿荻レオンという人である。文章を読んで驚愕した。圧倒的な文才という光を感じた。私の文章がろうそくの光だとしたら、この人の文章は金曜日の歌舞伎町一番街のネオンの光である。

絶対的な光量が違う。

この文章は猿荻レオンさんが精神的に追い詰められた時のことを回想している話である。


共感できるのがいい文章というのはわりと一般的な考え方である。

しかし猿荻レオンさんの文章は共感はできない。

この人の文章は共感とは逆で、凡人でない人はこんなことを考えるのだと、知らない世界を垣間見せてくれるのである。

コーヒー断ちをするくだりなど、コーヒー断ちをして苦境を打開しようとしていることを詳しく述べる。
それが原因?と読者を困惑させるが、驚異的な文章力で納得させられてしまう。

そしてラストは読者にそれ以上の困惑と混乱をもたらす。
この人なんでミトコンドリアであいうえお作文をしているんだろう?と思わない人は絶対にいない。

中盤のあいうえお作文のくだりをここで拾ってオチにしているのだろうが、そんなことを思い付く神経はどうかしている(いい意味で)。

そもそも中盤の、精神的にやられている時期に自作のあいうえお作文の詩で、自らの心を慰めるという部分に驚かされる。
本当にすごい人って、こうして自分の心を保つのかと普通に勉強になった。
凡人の私には決して辿りつけない思考である。

これを読んでとんでもない才能がnoteに現れたと確信した。

猿荻レオンさんは先月からnoteで文章を書き始めたようであり、まだフォロー、フォロワー数とも少なく、あまり知られていないはずである。

noteの世界で有名になるには文才以外のことが多分に影響する。だから猿荻レオンさんのフォロワーの数がこれからどんどん多くなるかといえばそれは分からない。

しかし確信できることがある。

一年以内に複数のnote公式コンテストに投稿すれば、少なくとも一つは入賞すると思う。

圧倒的な才能を持つ人がnote公式コンテストのために文章を書くということをするかどうかは私には分からない。

ただ猿荻レオンさんはいくつかの記事に創作大賞のタグは付けているので、note公式コンテストに否定的ではないと考えられる。

だとすれば創作大賞以外のコンテストにも興味をもってくれる可能性がある。

note公式コンテストでどんな文章を書いてくるのか非常に興味があり、純粋に読んでみたい。

とにかく、この才能を発見したことを多くの人に知ってもらいたくこの記事を書いた。
ぜひ猿荻レオンさんの記事を読んでみて欲しい。

最後に猿荻レオンさんには本当に申し訳ないのですが、勝手に記事を紹介させていただきました。もしご迷惑ならすぐにこの記事を消しますのでコメント欄などでご連絡いただけたらと思います。よろしくお願いいたします。

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