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田園風景が美しいと感じられる幸せについて

見渡す限りの田んぼの道の真ん中を、高校時代の私は自転車で疾走していた。
私の家と高校を最短距離で結ぶには、田んぼの道を行く必要があったからだ。

私の実家はとある平野のど真ん中に存在していて、家の周りは田園風景が広がっていた。
それほど米どころの県ではないのだが、周りは田んぼだらけであった。

私は自分の県が米がたくさん取れるところと信じていて、小学生の頃、米の生産料が多い県のベスト5にも入らないと知ってびっくりした。

それほど田んぼというのは私の身近なものだった。
高校時代は毎日田んぼの真ん中を通っていたので、田園風景と高校生活の思い出はセットになっている。

田んぼ道を自転車で通る時に私が一番好きだったのは7月である。
緑色の稲が背丈をましてくる。色も鮮やかになったように感じる。
そして風がある日は田んぼの水が飛んできて、身体に当たってひんやり気持ちいい。

辛いのは冬で、稲が刈り取られて水も抜かれた何もない田んぼを見つつ、すごい北風を受けながら自転車を漕ぐ。
平野で遮るものが何もないので山から吹き下ろす北風をもろに受けるのだ。
おかげで冬は普段より登下校に時間がかかった。

9月には黄金色の稲に囲まれながら自転車を漕ぐのがなんとも言えずよい。
よく育ったなぁという気持ちになる。毎日田んぼを見てその成長過程を知っているので、愛着があり嬉しいのである。

また、日本人が桜の花が咲いているのを喜ぶのと同様、苗が実っているさまはそれ自体がとても美しく感じるのである。
稲の実りは日本人のDNAに刻印されたように心躍るものである。

私たちの先祖は「加賀百万石」というように米の取れ高でその地域の国力をほど、米は特別なものとしてきた。
米はただの農産物以上の意味をもっていたことが、私たちにも脈々と受け継がれているのかもしれない。


感傷的な表現をするので、あれば私の青春時代は田んぼに見守られながら過ごしたと言えるだろう。


そんな私は18歳の歳に大学進学のために上京した。
そこで驚いたことは田んぼがないことである。
身近に田んぼがありすぎて当たり前に思っていた。
しかし違うのである。

東京と言っても多摩地区だったので畑は多かった。しかし田んぼはなかった。ぶどうやイチゴなどの畑があった。これが商品価値の高いものを作る近郊農業なのだなと社会科で学んだことを思い出しつつ寂しい気持ちになった。

もちろん畑も農産物を作る大事な場所で、農家の人が愛情をこめて育てている。

ただやはり私は田園風景が恋しい。初夏は青々とした稲をみて清涼感を得たいのである。
秋は黄金色の頭を垂れた稲穂が見たい。

私は都会に憧れて東京に出てきたが、思わぬところで喪失感を味わったのである。
田んぼのある風景は私にとって日常であるし、普通のことであった。

ただ、その日常や普通が実は一番美しかったのだと気が付いたのもこの時である。

あの故郷の田園風景が無くなったら悲しすぎる。
春から初夏にかけては稲の苗が成長する過程を眺めたい。
そして秋にはたわわに実った稲穂を愛でたい。

米を愛する日本人としては、稲の成長を実感して、秋には新米を食べるということが一年のサイクルに組み込まれているのだと思った。

東京にいて、稲の成長を感じることなく秋を迎え新米を食べることは、過程を知らずに結果だけ伝えられるようなものである。

例えるなら推理小説を読んでいて、オチだけの部分を読むようななんとも味気ないものであった。

稲穂が育っていく過程をしっかり確認しながら実りの秋を迎えたい。
秋には美しい稲穂を見ながら無事に収穫ができることを喜びたい。
そんな気持ちが東京に出てきてから生まれた。

私たち日本人とは切っても切り離せない米。
それを生産する特別な場所である田んぼ。

私がいつまでも残しておきたい風景は実りの喜びを私たちに教えてくれる田園風景である。

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