消費することは寄付になり得るという価値観を知った。

2011年3月11日より過去の私たちの生活と、その日以降の私たちの生活は大きく異なるものとなった。

3月11日に起きたことと、それに起因して発生したことは多くの人の考え方や価値観や生き方を変えるぐらい大変な事実であった。

多くの人がそれまで当たり前だと思っていたことがもろく崩れ落ちたり、新たな価値観が生まれたりしていった。

3月11日の後は日本人の行動や考え方を変えた。

たくさんの被害が出たので支援すること、人を助けることについて、私たち日本人はこれまでになかったくらい深く考える必要性に迫られた。

被災地の役に立つにはどうしたらいいか。どこに寄付をするのが一番効果的か。被災地の方たちが求めているのはどんな支援か。被災地でもっとも不足していて送って助かる物は何か。

支援についての議論がたくさんあり、その議論の中で新たな価値観が生み出された。

その中で多くの人が「消費をするということは寄付になり得る」という新しい価値観を手に入れたのではないかと思っている。

端的に言えば「食べて応援しよう」の価値観である。
福島の農産物は風評被害で売れなくなってしまった。それを購入して食べることは、困っている農業従事者を助けることになるという考え方である。

もともと物を消費することはそれを生産する人の支援となるという考えはあったと思う。

ただ特に日本においては消費は悪という価値観もあり、消費が「良いこと」とされることはそれほどなかった。
大量消費社会などと言って、消費ということにマイナスなイメージがあった。

しかし被災地を助ける意味においての消費が美徳であるという価値観が大っぴらに出てきたのである。

消費が良いということが、多くの人の意識にのぼることはこれまであまりなかったのではないかと私は思っている。


「福島」という言葉はそれまでは南東北の一つの県だという意味合いしかなかったが、あの事故の後は「福島」という言葉は、あの事故で起きたことを想起すること抜きに考えることが出来なくなってしまった。

そのために福島の農産物が売れない、福島の観光地に人が戻らない。

私はこのような状況をみて、積極的に福島の物を食べて、できる限り福島に行こうと思った。(福島の物を食べたり、福島に行ったりすることを避ける人もいる。私はそのような人を決して非難するつもりは毛頭ないし、その人たちの考えも尊重する。この文章で私の正義を振りかざしたいわけではないことを記しておく。)

「食べて応援」という考えを知り、「消費することが寄付になり得る」という価値観に触れる中でそのように決めた。

もちろん直接、現金を寄付する形の支援も大切なことだとは思う。
しかし、私は福島の人が丹精をこめて生産した物を食べて欲しい、美しい故郷を観光してもらいたいという福島の観光業の人たちの気持ちに応えたいと思ったのである。

そう思って以来、できるだけ福島産の農産物を購入するようになった。
それまでは産地など気にすることはなかったが、スーパーなどで福島の文字を積極的に探すようになった。

そして福島に出かけることを増やした。私はロックフェス好きなのであるが、福島で開催されるロックフェスに積極的に行くことにした。

南相馬では騎馬武者ロックフェスというイベントが開催されている。
南相馬についたマイナスイメージを払拭しようとして始まったロックフェスである。

私はこれに2018年と2019年に参加した。
このフェスに行ってたくさんのことを考えた。

まず驚いたのは南相馬まで行く道のりの風景である。
カーナビを頼りに南相馬まで向かったのであるが、南相馬の近くになると通行止めになっている道があり、ナビ通りに進めない。

線量が多い場所があったり、除染作業をしている場所があったりする影響で通行止めが多いのだ。

そして空き地の至るところに大きな黒い袋に入った汚染物質が仮置きされている。
除染作業員の待機場所も所々に見られた。

そして大きな国道を通っている時にも驚いたことがある。地方の国道沿いにはよくある風景なのだが、レストラン、ファストフード、電化製品店、スキー用品店、ゴルフ用品店、パチンコ屋などが立ち並んでいる。

日本全国どこにでもある風景であろう。
しかし一つ違うのは、どこの店も営業していなくて店舗だけが取り残されて存在している点である。

客はもちろん従業員は誰もいない。
それもそのはずで、その当時はそこのあたりは車で通行するのは可能であったが、居住はまだ不可能な地域だったからである。

2018年や2019年には私の住む関東地方は、2011年の出来事の影響はほとんどなく、終わったものとして考えていた。
各種報道でも2011年の出来事を取り上げることが減っていたので、思いを巡らすことも少なくなっていた。

しかしそれは大きな間違いであった。
南相馬ではまだ復興半ばで多くの人が、努力を続けているのである。

もしお金だけ寄付して支援をするかたちをとっていたら、南相馬のこの現状に気がつくことはなかった。

そう思うと福島に行ってみようと考えたことは間違いではなかった。
南相馬の現状がリアルに体感できたからである。
体験して得られることは何よりも大きい。

騎馬武者ロックフェスは地元の人の愛が溢れたものすごく居心地のよいフェスで、大好きなバンドの音楽を聴き地元の食べ物やお酒をたくさん飲み食いして大満足であった。

出演者と参加者との距離も近く、出演者が楽屋やバックヤードにこもることなく会場に出てきてくれる。
泉谷しげるさんと少しお話できたことが印象に残っている。優しい方であった。

騎馬武者ロックフェス以外にも、石巻で行われた時のap bank fesや白河の風とロックと芋煮会や猪苗代湖のオハラブレイクというフェスに参加した。

石巻のap bank fesは石巻港埠頭での開催であった。2016年だったので被害を直接的に想像させる痕跡はもうなかった。
しかし海沿いは広大な更地が広がってた。
この今更地になっている土地で、2011年以前には多くの人が生活を営んでいたのだと思うと震撼した。

ただ同じ福島といっても場所によって、復興の程度や意識がだいぶ異なることも分かった。

私たち福島県民以外の人間は「福島」と一括りにしてしまうが、福島県は広い。
当然、2011年の出来事によって受けた影響は、場所によって異なる。

こんな当たり前のことすら私は福島に行くまで気が付かなかった。
同じ福島といっても場所によって必要な支援が異なっていることが理解できはじめてきた。

これも体験して得られた良かったことであると思う。
現場に行かずにいたら、「福島」としてイメージされた画一的な支援しか考えることができなかった。

「消費することが寄付になり得る」という価値観を知ったことで福島に積極的に行こうという気持ちが芽生えた。
そして福島に行くことで、現地の現状をこの目で確かめることができた。
だからこそ自分がどのようなことができるか深く考えることができたのである。

このご時世では気軽に出かけることもできないし、そもそもフェス自体も中止されている。
しかし、旅行ができるような世の中になったら福島に行って消費をしてきたいと考えている。

自己満足なところも大いにあるが、それが誰かの役に立つと嬉しい。

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