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noteの下書きにある思わせぶりなタイトルについての一考察

かなり酔っ払った時にnoteを開き、そしてその状態でとても公開するところまではいかないものの途中まで文章を書くことがよくある。文章を書くということは私にとって楽しみでもあるし、喜びでもあるのでアルコールによって心がほどけると、何か書くことで表現したくなる。
しかし泥酔している時の文章は、書きたい気持ちが先行し過ぎていて、文章が乱れていて何が言いたいのか分からないことが多い。

ただ酔っ払った状態の方がタイトルはキャッチーなものを考えられるのかもしれない。キャッチーと言うと死語っぽいが、なんかかっこつけたタイトルが下書きに残っているのだ。

例えば「俺に唯一できること」

私はnoteの一人称は私で通している。いきなりの「俺」である。俺に唯一できることって何?そもそも俺ってだれ?という感じではあるがこんなタイトルの文章が下書きに残っていた。

そして酔っ払ったある日の私はこのタイトルを考えただけでだいたい満足したようで、本文は「俺が唯一できることがある。人生の意味がやっと分かった。俺が産まれてきたのは、こへ」

ここで終わっている。「こへ」って何だろう?私は何を目的にこの文章を書いたのだろうか。「こへ」の後には何が書きたかったのか意味が不明である。しかしこの時には私は私の人生の目標、もっと言えば生きる意味を見つけていたのだ。ただ相当酔っていた時に書いていたので、まったくそれが何かは忘れてしまった。私はもう一度生きる意味を見つけることができるだろうか。


他にも私の下書きのタイトルには「あなたに伝えたいことは伝えてはいけない」というものがある。これもかなり酔っ払っていた時に書いていたようで、何を表現しようとしたかまったく覚えていない。そしてこれはタイトルのみ残っていて、本文はない。

このタイトルを読むとそれは伝えてはいけないんだろうなってすごく思う。大事なことだから2回言いましたってことだろうか。じゃあ伝えなきゃいいじゃんとしか思えない。伝えちゃいけないことは書いてはいけない。そう思ったからタイトルしか残っていなかったのだろうか?


他には「トーマスの映画から得た人生の教訓、または生き方の指針」という下書きも残されている。
そこの本文には


妻が先週末に突然、休日出勤をしたいと言ってきた。
そうなると私が二人の子どもと一日中過ごすことになる。ずっと家にいると子どもたちが飽きるので、どこかに連れて行くことにした。

安易なところで映画はどうかと思って子どもを誘ったら乗ってきた。
これは幸運。

調べるとトーマスの映画がやっている。近所のイオンシネマで観ることにした。
そこでちょと驚いたことがあった。

トーマスは2歳以上は有料なので私のチケットと子どものチケット2枚を買った。



ここで終わっている。
えっ!教訓または生き方の指針までまったく辿り着けていない。これもトーマスの映画を見終わって、酔っ払ってから書いた下書きだと思われる。酔っ払った私はトーマスから何を得て、今後どう生きていこうとしたのだろうか。まったくの謎である。


きっとどの下書きを書いた時も酔っ払っていつつ、発見があったのだろう。しかしそれを覚えていないのでとても悔しい。

そんなことを思いながら、毎晩お酒を飲み記憶をとばしていく日々を過ごしている。

お酒を控える努力をしたい。
γ-gtpの値を下げることが現在の私の人生の最大の目標である。

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