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物を捨てられない自分とのはじめての出会い

私は物を捨てるのが好きである。
定期的に大掃除をして部屋の中をすっきりさせたい。
いらない物をゴミ袋いっぱいに詰めてゴミ捨て場まで運ぶと、心の中の垢や汚れまでもがすっかりなくなったような気がする。

洋服も油断をするとたまりにたまってしまう。もともと洋服を買うことは昔からかなり好きなので、気がつくと服を収納するための部屋が一杯になってしまう。

そこで以前はよくフリーマーケットで着なくなった服を売っていた。
車いっぱいに服を載せて、会場まで持って行きお客さんとやりとりをしながら売るのは楽しかった。
アパレル店員に憧れていた時期もあったので、そんな気持ちも満たすこともできた。

しかし何よりも、車にぎゅうぎゅうに積まれた服をほぼ売り切り家路につく頃には、物がなくなったという快感に浸ることができた。

私はたくさんある物がなくなるという現象が好きなので、物を捨てたり、服を売ったりすることを好んでしたがるのだと自己分析をしている。

他にも私の好きなことで、そこから起因することがある。

例えば、私はテレビの大食い番組が子どもの頃から好んでよく観るのであるが、ふと自分はなぜこのような種類の番組が好きか考えてみた。
そうすると「たくさんあった料理がなくなる」という現象を欲しているためだということに気が付いた。

またあまりきれいなことではないが、私はYouTubeの耳垢を取る動画や歯石除去の動画を視聴するのが好きである。耳の中にびっしり詰まった耳垢を、医師がきれいに取ったり、歯にこびりついた歯石を歯科医が丁寧に剥がしていく動画を眺めるのがたまらない。

これらもやはり耳垢や歯石がなくなるという、物がどんどんなくなっていく現象をみたいというのが好きな理由である。

さらに私は親が転勤族だったり、大人になってからは引っ越し好きになったりしたこともあり10数回の転居をしている。

引っ越しは物を捨てるという大きなきっかけであるので、その度にいらない物をたくさん捨てていい気分になっていた。
新しい家とすっきりした持ち物、私にとって最高の状況である。

このように私は長年、物を減らすことを喜びとして生きてきた。
そしてそのことは変わりようがないと信じて疑わなかった。

しかし2021年になり絶対に捨てられない物があることに気が付いた。
私は積極的に物を捨てたいサイドの人間だと思っていたのだが、そうでないサイドに立つ場合がある自分に出会ったのだ。

その捨てられない物とは、娘が保育園から持ってくる折り紙や塗り絵などの作品である。

娘は今年から保育園で3歳児クラス(幼稚園でいうと年少組)になった。

そしてそのクラスでは、折り紙や塗り絵を盛んにやっているようなのである。去年までは全くなかったことなのだが、作品を毎日のようにかばんに入れて持ち帰ってくるようになった。

作品といっても子どもの作る物なので、大した物ではない。
親でなければ作品だとは思わないような代物である。

しかし私にとってはかけがえのないものであり、娘が「折り紙作ったよ!」とか「今日は塗り絵をしたよ!かばんの中にあるから見て!」などと嬉しそうに報告されると捨てようなどという気持ちにはまずならない。

毎日のように作品を持って帰ってくるのでたまる一方である。
本来の私であればどうしても捨てたくなるくらいの量にかなり前からなっている。

折り紙をぐちゃぐちゃに丸めただけの物や、塗り絵のプリントの一部に少しだけピンク色を塗ってあるだけの物など、作品としての出来が良くないものも相当数ある。

しかし私にはそれらを捨てることは決してできない。
どれも娘が作り、そしてそれを私に見せようと思ってくれたという事実がその作品の価値をものすごく高めてしまうのである。

毎日持ってくる作品をファイルに収納しているのであるが、ファイルを買っても買っても追いつかないというような状況である。

しかしファイルがたまることは、娘の精神的な成長が目に見えるような気がして嬉しいのである。

物がたまることが嬉しいなんてこれまでの人生で考えもしなかった。
これまでは物がたまってきたら捨てるか売るか、すかさずにしていた私である。しかも喜びを感じつつ。

しかし娘が作品を持って帰って来るようになり、物が捨てられないどころか、物がたまっていくことに幸せを感じられる自分に出会った。

これは自分史上でかなり大きな出会いである。

他人には価値がないものでも、自分にだけはかけがえのないものであり、それをいつまでも持っておきたい私。
そんな自分に出会うなんて想像もしなかった。

子どもが大きくなっていけば、これからも大小さまざまな作品を持って帰ってくるだろう。
私はきっとそれを捨てないだろう。

そしていつしか子どもは成長して家から離れて暮らしはじめる。
今からでもそれを想像するとさみしいのだが。

その時は、押し入れに保存している子どもの作品を部屋中に並べて、成長を懐かしがりつつしんみりしたいなと思っている。

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