見出し画像

ちゃんと書いていこうと誓った夜

noteで文章を書き始めて一年以上たった。いつしか文章を書くことが習慣になり、noteで書く文章の型みたいなのが決まりそれをなぞればいいみたいに思ってしまっているところが、私にはあるのではないかとふと気付いた。
これくらいな感じでいいのではないかと思い始めている気がしてきたのだ。

私はnoteを書く時、経験談がありそこに失敗があり、それに基づく反省があり今後どうしていったらいいかという構造で文章を書いていけばいいのだと思っている節がある。

例えばこう。

私はこの前の朝、人生で恥ずかしい経験をした。その経験をした時にはもう立ち直れないかと思った。
もう生きていけない。
もう私がこの世に存在することは許されないと天から明らかにされた。


それはなぜかということはどうしても言いたくない。しかしここだけの話として皆さんが口をつぐんでくれるならこっそりつまびらかにする。

私は電車で通勤している。埼玉県から東京都に通勤するというベッドタウンスタイルを取らせてもらっている。俗に言う善良な社畜である。
「ほら明子ちゃん、あの社畜は噛まないから大丈夫よ」「ママ、でも社畜って会社の言うことしか聞かないんでしょ?怖いよ」「大丈夫よ、明子ちゃん。あの社畜は牙を抜かれていて、会社の言うことだけじゃなく、家族や社会にも従順だからこっちに向かってくることはないわ。せいぜいネットの世界でイキリ散らすのが関の山よ」「そっか!それなら私、社畜の頭をナデナデしてくるね」というくらいの存在である。

そんな当たり前の日常を送っていても絶望はある日突然訪れる。ラブストーリーが突然訪れる間隔よりは短い。101回目目のプロポーズほど頻繁ではないが確実に私にそれはやってくる。
俺じゃだめかと後ろから抱きしめてみてもやっぱり筒井なくらいの絶望、堂本剛と光一と黒田勇樹が出てたあのドラマくらいの絶望である。

なんかもうここまで書いてオチまで辿り着けなくていいくらい満足してしまっているのだが、そうはいかない。私にはこの文章を書き上げる使命がある。使命感こそ命である。歌舞伎町のホストクラブは永久指名制度なので担当を変えようとすると大変なことになると聞いている。そんな許されないことは決してできない。

そう、私は埼玉県民であるのに酔っ払って逆方向の電車に乗った上に終着駅の大船まで行ってしまったのである。気づいたら大船駅の植え込みの中に私は刺さっていた。

人って植え込みに刺さるものなのですねー。どうですかこの記事は参考になりましたか?引き続き分かったことがあれば更新していきますね。もしこの記事が参考になったのであればいいねとフォローをぜひお願いします。関連の記事は下記にありますのでそちらもよろしくお願いします。という気持ちである。

話を戻すと酔っ払いながらも植え込みを傷つけてはいけないと、スーツの上着を植え込みに敷布団のようにかけていたのはファインプレーであった。

埼玉県民が神奈川県の植栽を汚すことなどまず許されない。私は植え込みが傷ついていないか詳細に確認した上で上着を羽織った。幸い植え込みは傷ついていない。良かった。これでただでさえ肩身が狭い埼玉県民が、神奈川県民から責められる理由が一つ減った。

酔っ払って大船駅まで来てしまった。
これは客観的に見て大失敗である。
まず埼玉県民である私が神奈川県に足を踏み入れ、しかも横浜市をほぼ縦断してしまった。横浜といえばレインボーブリッジや名前が急に思い出せなくなったがあの高いビルに代表されるあのおしゃれタウンである。
私のような卑しい人間が立ち入っていい場所であるはずがない。


そんな私が大船にいる。


こんなことでもなければ大船に来ることはなかった。つくづく思うが人生って予期せぬことが起こる。出会いは偶然であり必然でもある。
出会いはふとした瞬間、帰り道の交差点以外の場所でも起こりうるのだ。
そしてきっと10年後の8月にまた出会えると信じている。

そんな出会いがあった。


お酒を飲み過ぎてはいけない。
それは今回よく分かった。

しかしながらお酒を飲むことによって望外の出会いもあった。

植え込みと大船と私である。

スーツで植栽を守ったことから、愛するあなたのためにきれいでいさせてという気持ちになった。そして大船で友達の誘うパーティーがあったらおしゃれに行かせて欲しい。

だから三日酔いまでなら許すけど四日酔いはだめよという寛大な気持ちで皆さんがいてくれたらこんなに嬉しいことはない。

これが私の型である。これまでの記事はいろんなテーマで書いているが構造はだいたいこんな感じである。

ひさびさにふざけたが毒入りスープを飲ませるのはやめてほしいです。

この記事が参加している募集

ほろ酔い文学

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?