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卒業式の日に国語の先生がくれた言葉

卒業シーズンである。
3月になるとなんだかソワソワするのは、別れの時期だからだと私は思っている。

娘は今、年中組の歳なのだが、一つ上の歳の子たちの卒園式がもうすぐある。
うちの娘は一つ上の歳のお姉さんたちが大好きで、よく遊んでもらっているようなのでさみしそうだ。

そして、娘はその卒園式の準備に余念がない。

卒園式ではキロロの「ベストフレンド」という曲をみんなで歌うらしい。家に帰っても練習をする。「とーきには見失うこともある、ありがとうありがとうベストフレンド」などと歌っている。
そして案の定、私もこれに付き合わされる。
「パパもベストフレンド知ってるんだよね、歌ってみて」と言われるので、仕方なく歌う。

そうすると娘は「そこは違う!歌詞が違う!やり直し!」などと厳しい。
いつのまにか娘の練習ではなく、私がベストフレンドを練習する羽目になっている。

娘がようやく納得できたところで私のベストフレンドの歌の練習は終了となる。

ベストフレンドを歌いながら考えたのだが、娘の卒園式もすぐそこに迫っている。早いものでもうちょうどあと一年後なのだ。娘は0歳児クラスから保育園に入っているので、そろそろ保育園に通って丸5年になる。
いろいろあったがあっという間であった。

来年の今頃は私は相当感傷的になっているだろう。娘の卒園式では絶対に涙を流すことになるだろう。
涙不可避である。「自分ちょっと涙いいっすか」という状況になるのが目に見えている。
あまり泣きすぎて周りから引かれないように気をつけたいものである。


それに対して自分の卒業式はどうだったかと考えると、それほど大した思い出はない。
小中高とどの卒業式も退屈で、早く終わらないかなと考えていた。
私は小中高と地味な生徒だったので、卒業式後の告白とか後輩から制服のボタンをねだられるとかいうイベントもなく、せいぜい友達とカラオケに行くくらいであり、派手な思い出はない。

それどころか高校では、つまらない授業はサボりまくっていて、出席日数の足りない授業があり、卒業後も学校に呼び出されて、先生と一対一で補習を受けなければいけなかった、というさえない事実さえあった。

自分自身の卒業については、感動したとか泣いたとか一生の思い出になったというものはない。

しかし、そうは思っていたものの、よくよく考えると中学校の卒業式の日に先生から言われたことで嬉しかったことがあったのを思い出した。

ささやかではあるがいい思い出もあった。

それはこんな出来事だった。

卒業式が終わって廊下をうろうろしていると、担任ではない国語の先生から声をかけられた。
「◯◯(私の名字)、これからもたくさん本を読めよ。本を読んでたらきっといいことあるからな。国語の授業よく頑張ってたな」と。

私はこの時、正直意外であった。私は国語の成績は比較的悪くなかったが、目立つ生徒ではない。
また、担任ではないこの国語の先生と個人的に話したことはなかった。

だから私が読書が好きだと知っているとは思ってもみなかったのである。
先生って生徒のことを見てないようで、見ているのだと思った。

そしてやはり、目立たない自分のことを見ていて、認めてくれる人もいるのだと嬉しい気持ちになった。

私は中学生の頃は特に自己肯定感が低かったので、この言葉は嬉しかった。
私が読書好きで、国語の授業を楽しみにしていたことを肯定してもらえて自信になった。

私は今でも読書が好きだし、毎日本を読んでいる。

きっと無意識の中にこの言葉があったことも、私が読書が好きでい続けられた理由のうちの一つなのかもしれないなんて思った。

国語の先生は、私にこんなことを言ったなんて忘れているだろう。
でも私の心の中には、今でもその言葉が宝物のように眠っている。

卒業の3月が終われば、出会いの多い4月が始まる。たくさんの人と出会い、私も国語の先生のように、人が心の中に大切にしまっておけるような言葉をかけられたら、と思う。

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