孤独と依存性

多くの人は違法であれ合法であれ依存性のある薬物があるということを知っているでしょう。メタンフェタミンやアンフェタミンのような覚せい剤、モルヒネやヘロイン、酒やタバコ、ブロンやパブロンなどの風邪薬などです。

これらの依存性薬物によって「人生を狂わされた」人間は数多くいます。私もその一人でしょう。反対に、薬物をやっていても早々に足を洗い、まっとうな仕事をし、子供を持つ人々もいます。

今の日本の教育では「ダメ・ゼッタイ」というスローガン(?)を掲げて薬物に対する教育を行っています。この教育は以下のような内容です。

一度薬物をやってしまうと、その味が脳に焼きついて離れられなくなる。その欲求は忘れられないので二度三度と手を出ししまいには廃人となってしまう。だから薬物に手は出してはならない。

そしてよくマウスでこの実験が行われ、実際に再現される映像を見せられます。依存性になり奇妙な行動ばかりするマウスはやがて中毒量を迎え死んでしまいます。しかし、この実験で人間の薬物依存問題を考えるには少しおかしなことがあります。もちろん覚せい剤や麻薬、それ以外にも酒でも同じ結果が得られることです。

なぜおかしいのかって?人間生活に置き換えてみてください。アル中になってしまうはごくわずかです。友人同士で楽しく酒を飲んだりすることはよくあることでしょう。さてその友人は皆アル中になりますか。

先の実験のマウスは酒での味が忘れられず何度も繰り返し中毒になりました。なぜ我々はそんなことがないのでしょう。

これは、先のマウスの実験の想定が、我々人間社会の中での想定とは異なっているからなのです。先ほどのマウスは「薬物の作用」だけ言及しているだけに過ぎなかったのです。

人間はマウスのように檻に飼われているものではありません。友人同士で遊んだり、恋人とデートしたりしながら酒を飲むものです。先のマウスの実験ではこの「環境」という重大な点を見逃していたのです。

これを受けて1970年代後半、サイモンフレーザー大学のカナダ人心理学者ブルース.K.アレクサンダー教授は薬物依存に至るには「環境」が大きな役割を果たすという仮説を立て、「ラットパーク実験」という有名な実験を行います。

ラットパーク実験とはマウスを二つのグループに分けます。ひとつは多数の仲間やメスがいたり巣がある楽園、ひとつはラットパークと名づけた「孤立した」檻にいれ、それぞれ、普通の水とモルヒネ入りの水を用意し、モルヒネを混ぜた水は苦いので砂糖を混ぜて甘くしました。

するとどうでしょう。ラットパークのマウスはずっとモルヒネ入りの水を飲んで酔ってばかりいたのです。楽園のマウスはというとどれだけ砂糖を入れて甘くしてもモルヒネ入りの水を嫌がったのです。仲間とじゃれあうのに邪魔な、あんなに依存性のあるモルヒネを避け仲間とじゃれあったり、交尾をしていたのです。

これはそのまま人間にも適応できると考えています。やはり、薬物はそれ自体の依存性よりも環境の要因のほうが大きいと考えられます。メンヘラ界隈でブロンのODなどを頻繁に見かけるのも納得がいきます。つまり生きる上で「孤独」であることが薬物への依存性を生むのではないでしょうか。

またこの実験には続きがあります。

先ほどラットパークにいたマウス、つまり薬物中毒状態のマウスを一匹だけ楽園に移してみたのです。そうするとこのマウスはオピオイドの離脱症状に苦しめられながらも、普通の水を飲むようになったのです。

これは薬物が脳をハイジャックするからやめられないという理論では説明できない現象です。つまり、この実験から薬物依存の治療のためには「薬物」でなく「環境」を考えることが重要であることを示唆しています。

この実験はマウスだけに成り立つもので人間には役に立たないものでしょうか。私はそうは思いません。

この実験から、孤独な環境に置かれている人は薬物に依存していくことが推察されます。薬物依存症患者の復活は、病院に行ったりカウンセリングに行ったりするよりもまずもっと根本的な「孤独」をどう解消するか、どう向き合うかを考えるべきなのではないでしょうか。

薬物を使用してもまっとうな生き方ができている人、そうでない人との差はこの「孤独」を乗り越えられるかそうでないかの違いかもしれません。



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