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BUMPのライブに24時間365日いつでも行けるようになったー「be there」

「66号線」

BUMP OF CHICKENの7枚目のアルバム「COSMONAUT」の9曲目。
「HAPPY」の次の曲。

「窓辺に飾られた一輪挿し」のような曲だと思っていた。

小ぶりでシンプルだけど、見れば見るほど花器の造形とか、生けられた花の角度や長さが気になってくる。仄暗い部屋にじんわりと浮かぶ花びらの色に目を奪われる。そんな魅力がある曲だと思っていた。

一見すると、シンプルな楽曲に聴こえる。淡々とした歌い方。楽器の音の一つ一つがはっきり聞こえる音作り。やわらかくて易しい言葉遣い。テンポも人の心拍数に近く、複雑なリズムでもなく、落ち着いた印象を感じさせる。

なのに確実に心をえぐってくる。怠ける心をしゃんとさせてくれる。アルバムがリリースされる前日、学校帰りにCDショップに駆け込んでフラゲして聴いたあの日から、何回も何回も泣かされている。何回聴いても飽きの来ない曲ってあるけれど、その中でもトップクラスに飽きない。

聴けば聴くほど新しい魅力に気づかされる曲だ。
アンサンブルが綿密に編み込まれていたり、押しつけがましくないドラマティックさがあったり、淡々とした歌声の中に、さざ波のような熱があるのを感じたり。

そんな魅力いっぱいな曲なのに、存在感を主張しすぎないのがこの曲のさらにヤバいところだと思っている。

「66号線が聴きたい」と思って選んで聴くときはもちろんいっぱいある。ただ、アルバムを一曲目からBGMとして流していて、いつの間にか聴き終わっていることがあったり、「この曲いい曲だな~、ってそりゃそうか66号線だわ」という不思議な感覚にびっくりすることがある。

そういう意味でも「一輪挿し」という表現が自分の中でもしっくりきていた。派手ではないからこそ日常になじんでいて、忘れたころにふっと視界に入り込んで、心に色を与えてくれる。

必要としたときにだけふっと現れて、やわらかく寄り添ってくれる、ってなんか都合のいい恋人みたいな言い方だな。

BUMP OF CHICKEN TOUR  2022 Silver Jubilee 最終公演

ひっそりと、上品に奥ゆかしく私の心を支えてくれていた「66号線」が、ついに化けた。去年の12月に行われた「BUMP OF CHICKEN TOUR  2022 Silver Jubilee」最終公演でのこと。私にとっては、コロナ禍を挟んで3年ぶりに参戦できたBUMPのライブだ。

中盤に差し掛かったころ、次の曲を待つオーディエンスの熱いまなざしの真ん中で、ボーカルギターの藤原さんが一人、手癖のようなフレーズをギターでつまびきだす。

全然聞いたことないようで、聴いたことがあるような気もする、そんなフレーズだった。ライブでは曲の始まりに、即興的なフレーズとか、曲の一部をアレンジしたフレーズを弾くことも多い。初めて耳にするメロディーなはずだが、どこか聴きなじみがある。なんの曲だっけ。

記憶を必死にたどりながら、神経を耳に集中させていたら、「ジャーン ジャーン」という聴きなじみのあるギターの音が飛び込んできた。

声にならない叫びが出た。
声出しオッケーだったら叫んでいただろう。だけどあいにく、この日は声出し解禁前。全身にぎゅっと力を入れて、叫びたいのを必死にこらえた。

普段レコーディング音源で聴いているのとは、全く違う曲のようだった。楽器の音作りや使用する機材も、演奏する譜面も、音源とライブでは多少違うだろう。そういう音楽的なことなのかもしれないし、臨場感とかライブ感とか、そういうものでもあるかもしれない。

でも、そんな短い言葉では言い切りたくないと思った。だからこそ半年たってやっと言葉にできたことがうれしくて、今日こうして書いている。

例えるなら、真っ白くて大きな器がステージに現れて、「なにが起こるのかな」と思っていたら、自分の家に飾ってあったはずの、あの花が運ばれてきて、その白い器の真ん中にすっと生けられた、みたいな感じ。

私の家で、私の心だけを癒してくれていたあの子が……どうしてここに……?みたいな気持ちさえあった。

いや、どうしてもなにもBUMPの曲だからなんだけれど。そういう話をはるかに飛び越えて、「私のためだけの曲」と錯覚させてくれるくらい、心の深いところを誰よりも近い目線で歌ってくれているのが、BUMPの音楽だからだろう。

ドラムが一つビートを刻むたび、ギターがジャーンと鳴るたび、ギターのアルペジオが紡がれるたび、ベースがフレーズを奏でるたび、巨大な花器に一本、また一本と花が生けられていく。

藤原さんの歌い方は、音源のような優しい歌声から、だんだんと掠れ声やシャウト混じりの声に変わっていく。そうして、いきなりラスサビでアカペラになる。CD音源にはないアレンジだ。

圧巻だった。そのとき、三ツ星ホテルのエントランスに飾られているようなドでかい生け花が出来上がった。両手を広げても足りないくらいの大きさだ。

その中でも、私の一輪挿しの花は堂々としていて、ひときわ輝いて見えた。

それを、会場いっぱいに詰めかけたたくさんの仲間と一緒に見るということ。

私の一輪挿しの花はあなたの花でもあって、こっちのあなたの花でもある。メンバー4人の花でもあるかもしれないし、今日このライブを裏で支えてくれているスタッフ一人一人の花でもあるかもしれない。

その花が煌々とステージで照らされているのを、一緒にたたえ合っているような、そんな気持ちになった。

同じ時間、同じ空間に、同じ音に共感して、リズムに乗ったり一緒に拳を振り上げたり、拍手を送ったりする人たちがいる。コロナの前だったら、歓声が上がったり、一緒に合唱したり。

かつて、あるライブで、隣にいたお兄さんが私と同じ曲で涙を流していたことがあった。全くの赤の他人だし、私と彼の涙の内訳は違うものだろう。終演後に「あの曲いい曲ですよね」とか話しかけたとて、分かり合えるものではないかもしれない。でも、きっと私と同じように、この音楽を大切に聴いてきた人なんだろうなあと思った。

前の席に母娘らしき二人組がいて、二人ともノリノリで楽しんでいて、見ている私まで微笑ましい気持ちにさせてもらったことがある。次の日から、どこでなにをしているのか、果たして本当に母娘だったのかどうかも、私は知らない。でも、私と同じようにBUMPの音楽に支えられて、背中を押されて、あの時の楽しそうな姿を忘れずに生きていて欲しいなあ、なんてことを思う。

同じ音楽を求めて集まった人たち。それ以上でも以下でもない。昨日までどこでなにをしていたか、明日からどんな毎日をすごしていくのか、全く知らない。今日が終わったら、再び会えるかどうかも分からない。

でも、同じ音楽を求めて集まった人たちが、地球上のどこかにきっといるんだ。BUMPの音楽と、なにか一つでも響き合うことがあった、その心を抱えて、私たちは今日も同じ世界に生きている。

その感覚からもらえる勇気や安心感は、私にとって大切なものだ。

BUMP OF CHICKENアプリ「be there」

先月、BUMPは「be there」というスマホアプリをリリースした。簡単に言えば、ファン向けの会員サービス。過去のライブ映像やライブ音源を楽しめたり、グッズの通販サイトにアクセスできたりする。BUMPのマスコットキャラクターの猫「二コル」のお世話ができるゲームもあったりする(かわいい)。

その中でも特筆したいのが「LIVE MUSIC」というコンテンツだ。
24時間365日、BUMPのライブ音源が流れていて、匿名でコメントを投稿することもできる。何を隠そう、私はリリースされてから毎日のように入り浸っている。それくらい心地がいい場所なのだ。

BUMPの音楽を真ん中にして集まり、曲の感想を言い合ったり、ライブでのノリを文字で再現して楽しんだり、バンドへの愛を語り合ったり。「どんなマンガが好き?」「今日のごはん何食べるの?」みたいな他愛もない話で盛り上がったり。

それぞれの日常についての愚痴に、共感したり励ましてくれることもあれば、「今日誕生日なんです!」というコメントに「おめでとう!」というコメントが集まったり、「仕事終わった~」みたいなコメントがあればすぐさま「お疲れさま」とか「おかえり」と言葉を掛け合ったり。

完全に匿名で、どこで何をしている人なのか、どんな顔や声をしているのかもわからない。チャット画面は10行程度しか表示されず、どんどん発言が流れて、遡って見ることもできない。

別々の発言を紐づけることも困難だから、一人ひとりがどんな性格や言葉遣いをする人なのかというのも、定かではない。本当にゆるくて、はかない繋がりだ。

でも、BUMPの音楽と、なにか一つでも響き合うことがあった、その心を抱えて生きている人たちということだけは、信じられる。

その心を抱えて、日々いろんなことと向き合いながら精一杯生きている人たちと、励まし合い、称え合い、慰め合っている感覚。ゆるくて、はかない繋がりだからこそ、心で繋がっている感覚だけ、じんわりと感じることができる。

まさに、私が「66号線」で感じた「みんなの花を一緒に見て、一緒にたたえ合っている感覚」と同じなのだ。

24時間365日いつでも、心が必要としたときに、BUMPのライブで感じる安心感を味わうことができる。そのことが本当にうれしい。

最後に。be thereのアプリ開設について公開されたインタビュー記事の中で藤原さんは、私がここに書いたことと似たようなことを話している。(アプリ内で読むことができます)

バンドがリスナーに対して感じていることを、リスナーからバンドに対して、また、リスナーとリスナーの間に、感じている人間もいるんだということを、伝えたいと思った。インターネットの海に放り投げてみようかなと思った。

すてきな場所を、ありがとう。

コンビニでクエン酸の飲み物を買って飲みます