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2020/9/13 裁判はサイエンスなのか?

今回のテーマは全くの不勉強なので、
勉強途中の私の感想です。
コメントや訂正など頂けると大変嬉しいです。


さて、何か揉め事があると裁判になることはどこの国でも同じですが、
そのルールには2つあります。

1.ドイツ、フランス、日本など : 制定法主義
2.イギリス、アメリカなど   : 判例法主義

制定法主義においては、あらかじめ定められた法律によって、裁判官が結論を出すこと
判例法主義においては、過去の判例をもとに、裁判官が結論を出すこと
を指します。

ここで疑問に思ったのが、これまで産業保健分野においても「我が国の判例」というものを参考にしていましたが、日本においては、中野次雄先生という方の学説では、「「判例」という語は「最高裁判所のそれだけを意味」して用いると言う」とあります。

また、日本とアメリカにおける判例の捉え方も違っているようです。

アメリカ(判例法主義)においては、判決を下す際、

・ 結論に影響を与えた前提
・ 結論に影響を与えなかった前提

に切り分けて、それぞれを「準則」と「傍論」と呼び、すなわち

準則 → 結論

という次の事件に参考にしやすいように判例ができあがっているとのことです。
これは、いわゆるサイエンスに似た形を取っているように思います。
すなわち、

公理系 → 結論

と全く同じです。

前提とするものが同じであれば、再現性がある結果が得られるのは、科学的な考え方そのものです。

一方で、日本における判例では、それほど準則と傍論が明確には分けられていないようで(この点については議論が分かれているようです)、また驚いたのが、そもそも憲法、法律をそのまま読むと、

日本法における判決理由は、法的拘束力を有さない

とのこと。
しかし一方で、

・実際、裁判所が類似事件について過去の裁判例を全く無視することはおよそあり得ず、少なくとも事実上の判例拘束力はあると言ってよい

という記載もあります。

根拠はないけれども、事実上そのように運用されている、ということなのでしょうか。

このあたりはまた勉強していきたいと思います。

【参考文献】
君塚正臣先生の『判例の拘束力──判例変更、特に不遡及的判例変更も含めて──』や奥野泰久先生の『判例による法の形成-日本 』などを参考にしましたが、やはり非専門家にはハードルが高い議論でした。

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