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虚構日記「転んで、ゲレンデ」

倒れる、と思う。
その予感は大抵当たる。身体が空中に投げ出される。加速から解き放たれ浮遊する一瞬の快感。だがそれもすぐに痛みへと変わる。視界が白くなる。腕の痺れを感じる。また倒れるときに手が先に出てしまったのか。

友人たちと群馬県のゲレンデに来ている。
人生初のスノーボードをやるために。
可もなく不可もなくどちらかといえば可な運動神経をもつわたしは、ここに到着してから1時間程度でリフトに乗って滑って帰って来れる程度には上達した。とはいえスノーボードは転倒が前提ともいえるスポーツである。何度倒れたかわからない。

友人たちの姿は見えない。
もうとうに先を滑っているのだろう。
もはや周りには誰もいない。営業終了時間が近いのだろうか。今が何時か確認したかったが寒さでスマートフォンのバッテリーは切れてしまっている。レンタルボードの返却時刻もきっと近い。急がなくてはならない。だが、立ち上がって滑り出しては倒れる、これを繰り返したせいで体力はそこそこ消耗していた。

また倒れた。
転び方が下手である。尻もちをつく分にはまだましなのであるが、前にそのまま倒れ込んでしまうからその度の衝撃が大きい。
中学生のころのセーフティー教室で来校したスタントマンの姿が唐突に思い出される。そんな回想をしている暇などないのに。
あお向けの状態になるためによいしょ、と声を出す。
太宰だったらこんなわたしを「下卑ている」と書くだろうか。
そんなことまで考える。そんなことを考えている暇など本当にないというのに。

あお向けになって空を見る。空は灰色で、雪山と吹雪と空の境目があいまいだ。
あいまいの素晴らしさを教えてくれた友人のことを思い出す。
きのこの山とたけのこの里のどちらが好きかと問う議論、友愛の情と恋愛の情の境目、わたしとあなたとあのひとの関係性。どれもあいまいでいいんだよ。
それでもわたしたちの住むこのあいまいな世界には絶えず雪が降っている。
ひとつの事実として。

早くふもとに戻らなければならない。
友人たちが待っているから。ゲレンデに迷惑がかかるから。危ないから。
色々と理由はあるけれど、雪が降っているからという理由を選びたくなる。
雪山ってそういう選択をさせる場なんだと思う。
立ち上がる。滑り始めるために重心を低くする。板がゆっくりと動き始める。

#虚構日記
#創作

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