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「え!入院!?」私が切迫早産で入院した話

こんにちは。えべひとみです。

すっかり季節がかわって秋の気候ですね。

空も少しずつ高くなり、朝晩の気温が下がると
冬が近づいているのを感じます。

多分、秋になると
「もう冬が来るな~」
と思ってしまうのは雪国あるある。


さて、本日は私の数年前の体験ですが、
切迫早産で入院していたお話を。

1人目の妊娠はわからないことだらけ

ありがたいことに、
私たち夫婦は結婚して1年目に
子どもを授かりました。

なんとなく妊娠と言えばつわり。
つわりと言えば吐く。
くらいな知識で、同じ女性でも
知らなかったことがたくさんありました。

つわりも人によってつらさが違うこと。

マイナートラブルと言われる
病気ではないけど、
ずっと不快であったり調子が悪いこと。

お腹の子が成長していくに伴って
自分の体がどんどん変化していくこと。

妊娠した時は嬉しさだけだったけど
徐々にお腹の子は大丈夫だろうかと
不安になったりもしました。

妊婦健診が来るまでは
なんとなくそわそわして
ネットで情報を探したり・・。

ゼクシィと同じく、
たまごクラブもバイブルとなっていました(笑)


お腹がよく張っている気がする?

初めての妊娠で不安はあったものの
健診でも特に問題がなかった日々。

季節は秋から冬に変わっていました。

当時住んでいたのは雪深い地域だったため
職場も冷えるし家も寒い。

寒さのせいだったのか、
始業時間あたりで
お腹がぱつーんとなる
感覚がありました。

その他の時間にはそれほど感じなかったのですが、
ほぼ毎日張っていたように思えたため、
健診で相談してみることに。

それでも常に張っているわけではなく
子宮頚管の長さも十分あるということで
特に問題はないということでした。

なんだかお腹が痛い…

その後もお腹の張りはあったものの、
少し休むと回復できたので
仕事も問題なく続けていました。

そんなある日、友達の結婚式に出席するため
東京へ行くことに。

お腹も大きくなっており、
1人では心もとなかったため、
夫に付いてきてもらい1泊しました。

地方と違い結構歩くことが多かったためか
お腹の張りが頻回に。

また、冬だったこともあり
なんだか風邪っぽさを感じました。

東京にいる間は
気のせいかな?くらいだったのが
帰ってきてからは寒気がひどく、
これはもしや・・と思ったらインフルでした。
(ちょうど職場でも流行っていたので予想はできた)

(予防接種しているときに限って・・。)

熱はわりとすぐに下がりましたが、咳がつらい。

自宅療養の期間は
家でゆっくりできたので
体調は落ち着いてきたけれども、
なぜかお腹の痛みが出てきました。

腹筋が痛いのとも違うし、
お腹も張っている気がするし
なんだろうこれ・・。

一晩寝ればおさまるかな・・。

どうしよう・・・。


夫に頼れなかったあの日

お腹の痛みがピークだった日、
夫は出かける予定が入っていました。

友人との楽しみを奪いたくないというのと
私のインフルエンザの症状は治まっていたので
少しの不安がありつつも、送り出すことに。

日中はよくなっていると思えたり
また痛みと張りが出てきての繰り返し。

でもそんな様子だったと伝えれば
夫も不安になるだろうと思い、
「張りはあったけど大丈夫だよ」とごまかしていました。

その日の夜は結局、痛みと張りで
あまり眠れないくらいのひどさ。

その時点で
夜中でも産院に電話すればよかったのですが
当時はそんなの頭にもなく。

休めば状況は変わるはずと思い込んでいました。

そして、そんな状態であることを
夫に伝えることもできなかった。

「察してほしい」という
考えもあったと思います。

でもそれ以上に
迷惑をかけてはいけないと思っていました。

結局、
朝になっても状況が変わらなかったので
産院に連絡を入れ、夫に送ってもらうことに。

その時は私も夫も
数時間で帰宅できるだろうと思っていました。
(だから夫はそのまま仕事に向かった)

それが、まさかの入院宣告。

切迫早産のため、
病院のベッドで寝たきりの生活が始まりました。


不安な入院初日

産院についてから
検査をし、即入院!を告げられ
あれよあれよと
点滴をつなぎ部屋に通され・・。

何がなんだかよくわからないまま
ベッドに横になり、夫に連絡しました。

帰宅するつもりだったので
入院用の荷物も持ってきてもらわないととか
勤務先にも連絡してとか
一応実家にも伝えておくかとか
思いついたことを一通り済ませました。

助産師さんに
「出産並みの張りだったよー」と言われ
そんなに張ってたんだと驚き

「痛みは筋腫が悪さをしているのかもね」と
理由を聞くことができました。

とにかく自分の体に起こっていることが
なんなのか、なぜなのか
わからなくて不安でした。

それをずっと一人で我慢していたから
診断がついて本当にほっとしたことを
覚えています。

専門職が見守っていてくれる安心感。

でもお腹の子はいつ出てくるとも限らない。

今はまだお産が始まる兆候はないけれども
急に破水したらどうしよう・・とか
一人きりになると不安に襲われることがありました。

それでも産院にいれば
すぐに対応してもらえるし
夫も近くにいる。

そう思えたので
なんとか乗り越えることができました。


2か月って・・・長い!

結局、途中での退院は叶わず
2か月の入院となりました。

入院すると思っていなかった上に
こんなに長くなるとは驚きでしたが

診断書にも記載があったので
早々に諦めることができました(笑)

また、夫も2か月間
毎日お見舞いに来てくれました。

仕事帰りに寄ってもらって一緒にご飯を食べたり、
休みの日も日中は来て話をすることが多かったです。

コロナ禍の前だったので
これは本当にありがたかった。

(この時間がなかったら多分すぐ離婚してたと思う)

入院した時は個室でしたが
長期になりそうだとわかったので
大部屋に移動することにしました。

カーテンを閉め切っていたので
同室の方と話す機会はほぼなかったのですが
声は聞こえるのでどんな状況なのかは伝わってきます。

同じ切迫早産で入院している人もいれば
悪阻で入院している人もいましたし、
お産で入院している方もいました。

2人目、3人目の妊娠で
入院されていた方もいたので
上の子と離れ離れになるのは
つらいんだなということも伝わってきました。

また、新しい人が入院してきたようだけど
救急車で違う病院へ行ったようだ・・ということもありました。

私が入院していたのは個人院だったので
37週未満で生まれそうなら総合病院へ転院しますと
聞いていました。

だから毎日週数と日付を数えていました。

37週まではあと何日・・。

張りがこれ以上強くなりませんように・・

子宮頚管が短くなりませんように・・

毎日、毎日、
お腹を蹴ってくる力強さに安心しながらも
「37週までは出てこないでね~」と
祈りながら過ごしていました。


季節が変わる頃思い出すこと

そして、やっと退院日。

冬だった季節は春になり、
外では桜が咲いていました。

入院した時は
真っ白な冬景色だったのに、
ぽかぽかと暖かく
色どりが豊かな風景を
目にした時の衝撃は今でも忘れません。

違う世界に移動してしまったような
不思議な感覚でした。

(で、その数時間後にまた産院へ戻ってくるのは別の話に・・)

今でも春が来るとこの日を思い出します。

入院していた日々は
つらかったけど
自分と向き合う大切な時間でもありました。

この時間がなければ
こんなにお腹の子のことを考えていなかったし
自分の行動を振り返ることもなかった。

それに、私と夫の関係を深める機会にもなりました。

結婚して、2人の生活だけだとわからなかった部分が
子どもの誕生を通して浮き彫りになってくるというか。

2人の違いを受け入れながら関係を作っていくには
とにかく話すしかないんですよね。
その時間を持てたことは大きかったです。

産休に入ったら
赤ちゃん用品を買いに行って、とか
友達とランチしてということは叶わなかったけど
本当にゆっくり、のんびりする時間を持てました。

24時間の点滴と差し替えは
もう経験したくないけどね!

これは完全な私の記録日記ですが
7年たってもまだ覚えていたので記しておきました。
(人の名前は忘れるのに、こういう記憶は忘れない)



最後まで読んでくれてありがとう。
あなたのこころがほっとする時間でありますように。


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