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不運とは?「ないものはない」〜その2

だいぶあいだがあいてしまいましたが、前回のつづきです。

「誰にでも欠けがある」って申し上げると、最初はギョッとされますが、ひとつひとつひもといてお話ししていくとそんなにめちゃくちゃな話ではありません。

でもねー、ひとはなぜか「自分が持っていないものをわざわざ欲しがる」のかもしれません。そういうひとは多いのかもしれません。



与えられていないものを抱えすぎているとき

大昔のノートを開いてみました。
殴り書き用の余白欄に、こんなメモを発見っ!

「不運」← 与えられていないものを抱えすぎているとき

おおお。これはなかなか大人な、ビターなご意見ですね。

こんなメモがあるってことは、おそらくこのときのテーマはあれ、あれ以外に考えられないよね、と思いながらページをめくります。

そうです。そのとおり。次のページからは「六種類の天中殺」の授業ノートが続いていました。

与えられていないものをもらってしまうと

東洋系占いは基本的に「どんな道でも、あきらめずに努力すれば夢が叶う」ではないし、ましてや「ポジティブに願えば、チャンスは必ずやってくる」みたいなゆるふわの話ではぜんぜんないんですよね。

なんというか「宇宙(天使?神様?ハイヤーなんとか?)にお願いしたら、なんでも夢を叶えてくれる」的なファンタジー(といっていいかな)とは全く相入れない世界観でありましょう。

「与えられていないものは、追いかけないほうが良い」と、次のページには赤ペンで目立つように書かれています。

さらにページをめくると「本来は自分がやるべき分を周りからもらってしまうと、あとで精算しなくてはならない」ともあります。

ないものはない、というのなら

次のページにはこうメモしてあります。

ないものをぶつぶつ恨み言を言い続ける→陰転
ないものはない、とスカッと生きていく→陽転

本来の陰陽論では、陰も陽も裏表であってどちらがいいとか悪いとかありません。それはそれとして、一般的な日本語では「陰気」はなんとなくよろしくない意味で用いられることが多いですね。それに対して「陽気」は明るい褒め言葉であることが多いのでは?もちろん「陽気=能天気」という嫌味もありましょう。そうそう。風水では「陰宅」はお墓のことで、「陽宅」はわれわれ生きてる人が住んでるお家のことですね。

どの星にも、どの干支や、どの運気にもいいところと悪いところが必ず両方ありますから、その特性の波に乗って良いところを生かしていれば陽転で、不服を言って乗りこなせていなければ陰転でしょう。ながい人生の中では、どちらも体験するのがふつうの人でしょう。

六種類の天中殺

誰にでも必ず「欠け」がある、というのが天中殺の話です。

北方欠落=子丑天中殺
南方欠落=午未天中殺

東方欠落=寅卯天中殺
西方欠落=申酉天中殺

天上欠落=辰巳天中殺
中央欠落=戌亥天中殺

何かが欠けているということは、その反対側の何かが得意分野になります。
これがなかなか曲者なんですね。多くの人は自分がすでに持っていてできることはあたりまえすぎてありがたみがわかりません。そして、もともと与えられていない「ないものはない」なにかをどうしても欲しくて追求しがちです。

基本中の基本なので、各論をぱぱっとおさらいしてみましょう。

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