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華麗にキャリアチェンジ!のはずが、実際は地べたを這うような地味でどんな自分とも向き合わなければいけない地道な作業の連続だった件

【ぼんやりこのままここで歳をとっていく】

10年前の私の働き方は、ほぼ毎日が残業の日々だった。仕事終わりの午後8時過ぎ、家に帰るために車が停めてある駐車場へ向かって歩いていた。上司である店の店長と仕事の話が始まるといつも長くなる。ぼんやり街頭が照らす道を歩きながら思った ”あぁ私はこのままずっとこうやって生きていくんだな、家族をかかえるサラリーマンお父さんのように” 
自分が家族を持つ想像すらできないのに、私の仕事に対する姿勢は結婚するだろう未来や家族を養っていく責務を負っているくらい全力だった。

月の締め作業、サービス業としてのマナー研修、半期に一度の決算業務
加えて同僚たちとのコミュニケーション
毎日がめまぐるしく過ぎていく。私が社会人として初めて、同僚とたくさん話をした中で印象深く残るのは、働く人はみんな悩みながら一日一日過ごしているんだということ。
働き方に矛盾を感じながら真摯に自分たちの仕事をこなす。彼らと熱く仕事について話し込む度に、抜けられない結束感を強く感じていた。

【around30で動き出す友達】

私が30歳になった夏の終わり頃、早生まれである友達が10年以上続けた仕事を辞めて留学をすると言い出した。早生まれと敢えて書いたのは、彼女にとってはまだ29歳を迎えるまで半年ほど時間のある時期で、理想通り進学ができれば使わなくて済むワーキングホリデー制度を最悪の事態での最終手段として考えていた為だ。当然とめるつもりもなく送り出した後、よく彼女から連絡をもらっていた。様々な壁にぶつかりながら、たくさん悩み、使いたくないと言いながらもやむおえず最終手段を使って滞在を延長した。そして最後の弱音を吐いた次の電話では、とてもしっかりした口調で海外での大学生活をスタートさせると話してくれた。

県をまたぐ距離にいながら何年も友達でいてくれた彼女。鬱になりながら、正しくないことを曲げられなくて上司にかみつく事もあったと聞いた。泣きながら相談してくる彼女に何度仕事を辞めてと懇願したか分からない。それでも自分が納得するまで、色々な目標の為にどこまでも自分を犠牲にして勤め続けていた。
その彼女がさらっと方向転換をした。
高校卒業時夢物語の様に語っていた未来を実現するべく動いた。

私の内心は激しく嫉妬していた。

【彼氏を捨てた後悔で茫然自失の2年間】

友達が海外へ飛び出した同じ頃、私の環境も大きく変わっていた。
付き合って5年ほどの彼氏からプロポーズを受け、同棲を始めていた。
実家から離れたことのない二人の慣れない同棲生活。自分の全力を注ぐ仕事に家事が加わり発狂しそうになる私、それを寛大に包んでくれる彼。
有難いなぁと思うのにいつまでたってもどこかリアルではなかった。

仕事が好きで仕方ない。そして同僚に仕事以上の感情を抱いてしまった事で私は彼に別れを切り出した。受け入れられない彼と何度も話し合いを重ね、私が実家に戻る形で関係は終わった。
それなのに、数か月もしない内に私の仕事熱も同僚への感情も全てが冷めてしまい、私は自分勝手に彼への復縁を迫った。
そして当然そんな勝手は通じず、お互いの心の傷をえぐり返して今度こそ本当に終わった。

仕事には身が入らず、大切な人には二度と会えない。
表向きは一人暮らしを始めて有意義な時間を過ごしているようだったけど、制限のない暮らしはいつも泣いているか、当てもなく車を走らせているかでそこには私すら存在していない世界が広がっていた。

ただ一つだけその世界から抜け出せる手段が女友達や一人で行く海外旅行だった。その中にはもちろん海外での大学生活を送る彼女の国も含まれていた。

【若い後輩が増える会社にはもういられない】

気づけば彼と最後の別れをしてから2年近くが経とうとしていた。

私のいた職場には同じくらいの年齢の派遣の女性がいて、新しい女性社員を迎えることは何年かに一度。しかし、他の店舗、特に車で一時間ほどの大きな都市にある複数の系列店舗には毎年のように次々若い女性社員が入社する。もちろん皆、同じ会社なので会社全体のミーティングでは顔を合わせることになる。私よりも年配の女性だっていることにはいるが、そういった人たちは既に肩書をもっている。
若さもなく、会社の中でのこれといった役割もなく日々同じ業務をこなしている。
急にハッとして、背中を冷たい汗が流れたように身震いがした。

私このままここにいるの? 評価されることもなく一平社員としてここに居続けられるの?
毎日を同じように繰り返すけれど、毎日は同じ時間じゃない。これからの私の1分1秒をこの仕事に費やすことができるの?

ここまで考えたらもう答えは出ていた。

”店長私辞めます!!!”

【ある程度の貯金額を見て手っ取り早く環境を変える】

同僚たちや、店長を困らせたいわけではなかったので、仕事の引継ぎ等の時間を十分にとるように3か月後の年末を目途に退職をした。

実を言うと、仕事を辞めることは彼と別れたあたりから考えていた。しかしこれといって次にどうしたいかが明確ではなかった為に先送りしていた。そして仕事を頑張る自分へのご褒美旅行をしていた時に、あの彼女へ抱いた嫉妬心に再び火が付いたことを感じた。
早速彼女に留学エージェントを紹介してもらい、退職を伝える5ヶ月も前から動き出していた。

語学学校の手配に、ビザの手配、エージェントの人から留学の目的について深堀されると言葉に詰まってしまっていた。英語の勉強すら社会人になってからまともにしてこなかった私が急に留学、もう一人の私が冗談交じりに”ただの逃げだよね?”と笑う。
逃げて何が悪いの?

今一番したいことが明確になって、資金もあるんだから手っ取り早く行動したいんだよ!

それでその後はどうするの?

色々と難癖をつけたがるもう一人の私を消し去るように、付け焼刃だとわかっている英語教材を暗誦する。

そうして私が留学先に選んだ街はあの彼女が住む都市の隣。
英語圏とフランス語圏が混じっているその街を即決で選ぶことは難しかったけれど、どうしても彼女のいる街には行きたくなかった。

【英語はlike と bookしか知らない】

有休消化で年末まで会社に席のある身でありながら、クリスマス前には留学先の生活をスタートしていた。
最初のシェアハウスは、日常会話もままならない私にとっては幸運にも優しい日本人女性がいる所だった。
家に帰れば、日本語でその女性に色々な事が聞ける、ただ語学学校は私にはとても厳しい環境で、自分のとってる授業のカリキュラムがどうなっているのかとか、移動クラスの変更など細かなことを聞こうにも私の英語力では何一つ伝わらずにうな垂れて帰ることが毎日だった。

そして一ヶ月で進級の為のテストが行われる時には毎度、声を殺して大粒の涙を流しながらバスに揺られて家に帰る。
どれだけ英語ができないと思い知らされる学校でも、私は行きたくないからとズル休みはしなかった。そんなカッコ悪いこと死んでもしたくなかった。

こうして私の1年間の留学の半年くらいは精神がボロボロになりながらもどうにか異国で生活する為にダメな自分と向き合い、闘ってきた。

【私の留学の本当の意味ってこれ?】

人間慣れていくものなのねと独り言を呟きながら街を歩く。
半年近く同じようなルーティンで生活していると、買い物や、外食
学校の試験にさえ対応できるようになっている私に気が付く。
そんな少し余裕すら出てきた時に出会った3つ上の姉と同じ年の日本人女性。彼女とは私の残りの留学生活と、彼女の今も続く海外生活の中で唯一キャリアチャンジという険しい道のりの苦楽を共にしているんじゃないかと思う。

10ヶ月間の語学学校を終える秋には私は3度目の引っ越しを終えていた。住む場所を変える度に大きなボストンバックと中身が重すぎてうまく車輪が動かないスーツケースを引きづって最低2往復はしていた。引っ越しはこれで最後と言い聞かせながら新しい部屋を見まわして思う
”これからどうしよう、どうしたいんだろう”

毎日のように図書館で英語の勉強をする、そしていやでも目に入る学生たちの姿。彼らはこれから勉強してきた知識で仕事に就くんだ、社会の一員となって働くんだな。ぼんやりそう考えていいなぁと口にした瞬間、死ぬほど羨ましいと思った。それは隣の都市で学生をしている彼女にも向けられているそれと同じだった。

一人もやもやと先のことを考える、考えているのに何も浮かばない私に3つ上の日本人女性から連絡が入る。
まるで私の状況を見計らったかのような一報で膠着していた私の心が少しづつ動いていく。
私にとって希望の光だったその吉報は、学生生活を送る彼女が住む都市へ移動し、3ヶ月しか開校しない学校へ入ることだった。その学校は語学学校と紹介するには疑問が残るような勇気のいる授業内容ばかりで構成され、コーチはとても強烈だった。そこで一貫して叩き込まれたことは積極的コミュニケーションの重要さ(もちろん英語で)、今の自分を分析した上で最高の未来を思い描く力。
日本人はシャイだとよく耳にするけれど、その代表格が私ですと言えるほど私が自分から発言をすることはまずない。さらに自分分析、自分自身と30年以上付き合ってきたのに自分と向き合うことは大の苦手。

でもここにきて直感的に感じたことがあった。この苦手作業の先には違う人生が待っている。

【日本に戻っても続く私の新しい道のり】

日本に帰国するリミットギリギリの日が学校の終了日だった。
バタバタと卒業証書を受け取って飛行機に飛び乗った。

1年ぶりの実家へ帰ってきても私の気持ちはずっと自分と向き合う作業の延長線上にいた。
自分てどんな人だろう、何にワクワクするんだろう
嫌な事ってどんなこと
一つ浮かんだ答えに進んでは、やっぱり違うと思考をとめる。

頭の中だけで答えを導き出そうとする私に
もう一人の私がそっと耳打ちをする ”ねぇ動いたら?やってみないと好きも嫌いも得手不得手もワクワクすらも分からないよ”
自分と向き合うのも苦しくなる中にいて、億劫だと感じていた行動も起こさなければいけない。ため息をつきたい代わりに大きな深呼吸をして、そうだよねと言った。

【華麗じゃないキャリアチェンジだったけど】

留学当時はそこまで好きになれなかった英語は、少しづつ理解ができるようになるにつれ私をワクワクさせる素材だと気付いた。
そしてそれを軸に留学先へ再び戻る事を目標に立てて、日本以外で働いて生活を構築する為の必要要素こそキャリアチェンジの根本だという一つの結論にたどり着いた。

これからの人生、”嫌いじゃない”程度の仕事は絶対に続かない。
今より、もっと言えば若い時よりも人生に”わがまま”になるはずだから、きちんと”好き” ”愛してる”くらいの熱が持てる仕事をするべきだ。
思いつく限りをノートに書きだし、周りの人からの客観的な意見をできる限り思い出す。そして得意のネットサーフィンをしてそれらに関する情報を片っ端から読む。

バイトをしながらそんなことを何ヶ月も繰り返した。生理周期の感情の揺れ動きに加えて、自分との終わりが見えない対話に疲弊して泣きじゃくった夜中や、ベットから起き上がらなかった日なんか数えきれない。

今もキャリアチェンジは道半ば。
やっとこれかな?と思うオンラインスクールに通いだしたばかりで、初心に戻ってというか小さなころ好きだった事を一から学んでみようとスクールの講座を見て思えたことがきっかけ。

前職の頃から”いつか華麗にキャリアチェンジ!!!”とは思っていたものの
その過程は耳を澄ましてじっと自分の声を聴く作業だったり、自分の心が動くものに飛びついてみる事。中でも大切だなと感じたのは、若さと勢いで苦手を苦手じゃないと心や脳に刷り込んできたものを探し当てる事。
私自身長くサービス業に従事してきましたが、実際そこまで接客は好きじゃない、接客楽しいなんて言っていたのは刷り込まれた感覚だったのです。

私の私らしい人生の始まりは近いよとここで私にお知らせする
必要条件を揃えてしまえば後は”華麗に”進んでいくだけだ:)


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