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私に幸あれと唱え続けてまだ日は浅い

Twitterで好きな人からもらったお題、「◯◯を始めたきっかけはたまたまだった」を書きます。

カメラを始めたきっかけはたまたまそこにあったから

10歳くらいまでの私は、自分はこう思うと口にするたびに家族から変な顔をされたり、そんなこと言わないでと咎められていました。なので、中学生高校生20歳まで私の意見は近い誰かの受け売りがほとんどを占めたのです。
段々と自分の心も見失い始めたころに唯一ワクワクできたのはカメラでした。

出会いは……覚えてません。古いものならなんでもあった父方の祖父母が暮らす家でたまたま見つけてきました。コニカミノルタのコンパクトカメラ(フィルム)と社名は忘れた一眼レフカメラ(フィルム)。使い方を教わらずに持ち出したからコンパクトカメラばかりを使っていたと思います。ただ、一眼レフでレバーを引いてフィルムを巻きシャッターを押す一連の操作は大好きでした。

いつもなら立ち止まらない所でも、カメラを持ってるだけでじっと観察するように動けなくなってしまう。カメラは私の好奇心を刺激するただ一つの相棒でした。そして、自分がいいと思った瞬間を残せる、もっと言えば自分を表現できる手段でもあったのです。

カメラを選んで使い始めたのは本当にたまたま、記憶がないんだからピンときたとも言いづらいけど、やってみたらハマってしまいました。

たくさんのたまたまから始まったその根っこは好奇心

たまたまカメラを見つけて撮ってたら大好きになりました。昔は活字ばかりの本は投げ出してたのに、たまたま人からおすすめされて何冊か読むうちに本の時間が至福の今があります。20代、人との距離がうまく保てなくて関わるのを避けてたけど、たまたま心地良い場所に集まる人たちと出会えたおかげで元々人が好きだってことを思い出せました。

昔苦手に思ってたりトラウマだったりしたものが、たまたまのきっかけでひっくり返る。きっと今より昔の自分がめちゃくちゃ驚いてると思います。でもどうしてたまたまから始まっていったのか?確信を持って言えるのは、私の好奇心がざわめいたからに尽きるのです。

どうしてかな、なんでだろう?は私のエネルギーの源泉で、自分を幸せな方向へと導くコンパスのような役割も担います。
動き出した私の航路はついさっき陸を離れたばかりです。これからもっとたくさんのことを、たまたまのきっかけで始めると思います。私の世界が押し広げられていくのが楽しみで仕方ありません。

忘れられないきっかけはドラマチック、何気ないきっかけはファンタスティックなんだろうなと思っています。

おわり

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