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20代のわたしへ

2022年4月。人混みの駅前を歩きながらふと考えたことがあります。いまでこそ自分のために生きてると実感するけど、それまではどうだったんだろう?
考えだしてすぐに、これは時間をかけてすることだと思って持ち帰りました。そして、昔の自分に会いにいくことに躊躇していたので、今なら受け止める自信があるよと言い聞かせたのです。
いろんなことを思い出しながら泣いていたり、冷静に当時の心の未熟さを考えてみたり、それは歯痒くも愛しく思える作業でした。

なんでも話せる人はいますか?

小さなころからずっと仲がいいとか、家族よりもいろいろなことを話してきたとか。そういう人が、気軽になんでも話せる友達だったように思います。はっきり言うなら、信頼できる人、そして精神的に依存させてくれる人。良くも悪くも、精神的依存を受け入れてくれることは、未熟だった私にとって欠かせませんでした。

学生生活を早々に終えて社会にでた20代の私は、会社に勤めてお給料をいただくという、いわゆる普通の生活をしていました。特に短期大学を卒業後、急に始まった社会人としての生活に自覚も覚悟もないくせに、これまで以上に自由な時間とお金に大喜び。もちろんまわりには別の進路を選んだ友達がいて、それほど変わらないけれど、金銭的余裕によって自己責任の自由は広がっていきました。

それぞれの世界がひろがることで抱えた悩みは尽きず、複雑になったように感じた恋愛、勉強することとまったく違うようで実は似ていた仕事など、話し足りないね、なんて苦笑するくらいでした。数時間経てばまた、ねぇ聞いて、ととまらない会話がはじまる。日中はメッセージ、夜は電話。きっとずっとこんな感じで続いていくと思っていたし、変わらないと安心もしていた。
いつでも近く感じられることが心地よく、気が付いたときにはもう、なくてはならないものでした。

ひとりの時間に苦しくなる理由

おなじころ、夜ひとりの時間になんとも言えない苦しさに襲われるようになりました。当時原因はよくわからなかったけれど、今になっておもいつく原因といえば、つよい感受性に振り回されていたということ。

友達からの、こころを許している私へ口にしたひとこと。なかには直したほうがいい私の態度への指摘や、うっかり口にしただけのものもあったと思う。けれど無意識にプライドが高かったせいで、全部中傷を受けた痕として残った。

耳にのこる台詞を再生、再生、再生。勝手に傷ついた気でいるから悩みぶかくなってしまったんだろう。できることなら立ち止まり、友達からの言葉が成長への課題もしくは聞き流していいものと判別できてたなら、悩むことだけで夜を過ごさなくてよかったのにと思うのです。

周りの人と自分を一体化

ただみんなが大好きだったからたくさん悩んでしまった。おなじ気持ちを抱き、深く理解しあっているだろう相手。それは自分より大事な人だということでもありました。お互い似たような場面で感じた気持ちに共感する。たとえばふたつの影がかさなる濃い部分が共感とすれば、そこに安堵し、あふれる心強さを感じるのです。
こういった厄介な充足感を覚えてしまうともう、私の感受性はだれかと一緒じゃないと守られない。自分一人で受け止めるなんて考えはなかったのです。

でも当然ながら、時間とともに激変していった私たちの人生。恋愛の延長線にない結婚生活を始められたら、どんな社会生活とも比較できない出産、育児をされちゃったら、どれもわかり合えない。経験してなくて知らないことには相槌するほかない。返事が書けない手紙を読んでるみたいでした。

気がつくと、個々の道を進んでいく彼女たちをただ見送っていた。「私はあなたを一番よく分かっている」と感じていたのは思い上がりで、他者に理解を示した私の行動は、私が私であることを忘れさせていきました。いままで何してたんだろうか、何がしたいんだろうか、これからどうしたいんだろうか。ちょうど女にとって節目のように言われる歳に、記憶もぼんやりした、こま切れな2年間。

「私」という人間がどうしようもなく不十分に思えました。

もうどうやって生きていけばいいかすらよくわからなかったから、とりあえず日本を出ることにしました。

見失ってきたあなたの探し方

これまでよりはるかに大きく開かれた世界で、あらためて気づかされた私を知らない私。当たり前だけど、自分と向き合い続けるという根本からまるごと逃げてきたんです。ちょっと考えただけでわかるはずない。だから、「私」に興味をもってくれる出会いにうれしくなりながらも戸惑っていた。それはあまりにはっきり問題提起されたような留学だったと思う。

帰国後すがるように入会した、SHElikesというオンラインスクール。
どんな方法で生きるのか。どういった暮らしをするのか。どういうふうに人、もの、環境と関わるのか。私がいいかたちを決める、選び取ることに勇気を持てたきっかけ。

自分に鈍感で、だれかと同調してばかりではこれ以上前へ進めない。留学やSHElikesは、ゆっくり時間をかけて、私自身が目を背けていた現況を突きつけてくれました。

押しつぶされそうにもがんばった最初の一歩は、私の感受性をひとりきりで受け止めたこと。ケータイを手に取りたい気持ちを我慢して深呼吸。どうしても苦しくなっちゃうときは、なるべくすぐ眠る。余裕があるときにどうしてこんな気持ちになったのか、を考える。

この訓練はとてもふしぎで、自分の中にある住んだことも行ったこともない街を歩いているような感覚でした。決断に至るまでの過程は、角を曲がってみるかどうか明確な理由があったときをていねいに思い出しては歩きつづけるイメージ。

でも正直、日々いくつもの感情がわきあがり、全部にどうしてなんて考えていられないときもあります。そんなときは、もし一日の終わりまでのこった感情があれば、座ってゆっくり向き合って、何かがわかったら、お得だと考えています。こんな自分がいた、となることは、友達のあたらしい一面を知るよりも恥ずかしいし情けない、笑いながら泣いてしまうこともあるけれど、反面で「私」への知識が増えて安心するのです。

今の私が20代の、感受性のつよい「私」に会えるなら、手を握りまっすぐ見つめて言ってあげたい。

こわいことはないので、ケータイの電源オフで自分だけの感情を味わってください。

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