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夏休み最後の日とライブハウス

「きみは、あと一歩の勇気を踏み出せたんだよ。」
これは、僕が中学3年生の時に受け取った言葉だ。

2016年8月28日、夏休み最後の日。

そのころの僕は、大好きなお母さんから毎日虐待を受けていた。
死ねと言われ、叩かれ、空腹に耐え続けるだけの日々。
どうしようもなく苦しくて、心も体も限界だった。

もう終わりでいいや。
死ぬほど嫌ではないけど、始業式を理由にすれば、お母さんを悪者にしないで済む。
夏休み最後の日に死のう。
8月中旬のある日、穏やかにそう思った。

終わりは好きなことで締めよう。そう思った僕は、その日に大好きな「それでも世界が続くなら(それせか)」のライブに行くことにした。
奇跡的だけど、夏休み最後の日である8月28日にワンマンライブがあったのだ。

初めての東京、初めてのライブハウス。
いつか家を出るために、どんなに空腹でも手を出さなかった幼少期のお年玉5千円を握りしめる。
緊張したまま最寄り駅に着いて電車に乗り、ドアの上に表示される駅名を祈るように見つめた。

一駅、一駅、路線図でしか見たことのない地名。
とにかく怖くて、停車するたびに引き返そうと思ったことを覚えている。中学生の僕にとっては大冒険だ。

初めて着いた東京は人が多過ぎて、困惑のあまり立ち尽くしそうになった。なんとか建物の入り口には着いたけれど、ここからが問題だった。
まず、ライブハウスは地下。僕は地下の建物なんて入ったことがない。階段を降りようものなら、地底まで吸い込まれるのではないかと思うほど怖かった。

泣き出しそうになりながら、一段一段、確かめるようにゆっくりと下る。やっぱり引き返そうか。でも、せっかくここまで来たんだ。心の中で葛藤した。

あまりにオドオドしているので、僕を見て疑問に思ったのだろう。
階段を上り下りしていたスタッフの人が「ライブ見に来たの?」「迷っているの?」と話しかけてくれた。

僕の緊張はマックスに達し、頭が真っ白になったまま頷いた。
気づけばスタッフの人に連れられて受付まで歩き、店長に「この子、中に入るか迷っているらしいです」と紹介されていた。怖い。本当に怖い。

でも、スタッフの人も店長も、目の前の中学生に真剣だった。

店長は「中を見てから決めていいよ」とライブハウスを案内してくれた。
「ここはドリンクカウンターっていうんだよ」
「ここがトイレだよ」
無言の僕に丁寧に説明してくれた。
そして最後に、「ここにはそれせかが好きな人がたくさんいるんだよ」と言った。

衝撃を受けた。ずっと一人ぼっちで聞いていたそれせかを、同じ音楽を好きな人が、こんなにいるということに。
そうか、僕は一人じゃなかったのか。当たり前のことだけど、その一言で心強くなった。

受付に戻り、店長は「今日ライブを見るかどうかは、きみが決めていいんだよ」と言ってくれた。
僕が黙って悩んでいても、急かさず、何も言わず、ただ決断を待っていてくれた。

最後の勇気を振り絞って、「入ります」と伝えた。

「あと一歩の勇気」は、そんな僕に店長がかけてくれた言葉だ。

「初めてって怖いよね。でも、きみはあと一歩の勇気を踏み出せたんだよ。
階段を一歩一歩降りるごとにすごく緊張して、受付前で悩んで悩んで悩んで、それでも、最後の一歩を自分の意思で踏み出せたきみを、僕はとても尊敬する。
救えないこと、やりきれないこともたくさんあるけれど、背中を押す側もあと一歩の勇気を持てるようになりたい。」

僕にとってそれは、初めて誰かに自分を認めてもらえた体験だった。
初めての、自分のために選択をするという体験だった。

大げさかもしれない。ごく普通のことかもしれない。
どこかの誰かにとっては、一人の中学生がライブを見に行った、ただそれだけの話だと思う。
でも、初めての東京で、初めてのライブハウスで、その小さな決断をしたのは僕自身だ。

ついにライブが始まった。
初めて聞く大音量の演奏に驚き、思わず出口を見る。
怖い。でも、いざとなったら受付に駆け込めばいい。そう思って音楽の振動に身を委ねる。

それせかのライブは全力だ。

僕は、生まれて初めて命を燃やしている人間を見た。衝撃だった。

曲が始まる度に息を呑み、この人たちは死ぬんじゃないかと本気で思った。
どうして誰も止めないの!?と怖くなって周りを見渡したけれど、誰もよそ見なんてしていない。

僕が知っていた「生きる」ということと、目の前の光景はまるでかけ離れていた。
僕にとって生きるとは、ただひたすら耐えることだった。暴力にも暴言にも空腹にも。

でも、それでも世界が続くならのライブは、あの日ライブを見に来た人たちは、生きることと戦っているようだった。

号泣しながらライブを見る人、全身を揺らす人、ただ静かに立っている人。それぞれがそれぞれに目の前の音楽と対峙していた。
ステージの上では、今にも倒れそうに見えるそれせかが、一度もMCを挟まず滝のように歌い続けている。もはや恐怖だ。
僕の心は強烈に惹きつけられていた。

最後の方に、何度も一緒に夜を超えた「チルの街」が流れる。
聴きながら、なんとなく明日の始業式のことを考えていた。

明日も学校で 一人で窓の外を見て
嫌なことも我慢して またこのベッドの中
君がまた死にたくなったら 僕がそれも歌にするから
いつか全部 話してくれよ

チルの街

中学生の僕は無力だった。

消えろと言われても行く当てがない。首を絞められても殺されない。助けなんて求められない。
それでもお母さんが大好きだった。幸せを願っていた。お母さんが「死ね」と言うなら、僕が死ぬことでお母さんが幸せになるならそれでよかった。
僕が死ぬのはただの必要な選択。
だから決めた。だから今日ここに来た。

なのに、なのに、もう一度来たいと思ってしまった。

寝れない時、学校へ行く前、暴力のあと、いつも隣にいてくれた音楽を、目の前で聴いているのが信じられなかった。
ステージが見えなくなるまで号泣して、気づけば僕まで体力を使い果たしていた。

ファンレターをそそくさと店長に渡し、一段一段下った階段を駆け上がる。
初めて見るネオン街には目もくれず、夜の東京を歩き、改札を通った。

こんなはずではなかったのに、と躊躇する気持ちを置き去りにして電車に乗る。

車窓を眺めていると、頭の中で「自殺志願者とプラットホーム」が流れた。

ほら見なよ 自殺志願者が駅のホームから
なにもない顔して電車に乗ったよ
僕はそれが すごくきれいだと思ったんだよ

自殺志願者とプラットホーム

まだ胸が熱いまま、虐待のある家に帰った。

べつに、ライブに行ったことで何かが解決したわけではない。
それでも翌日の始業式に行って、何事もなかったみたいに日常を再開した。

だって、一人じゃないと思えたから。

僕もあの日出会った人たちみたいに、生きることと戦おうと思ったから。
何も変わっていないけれど、それだけで充分強くなれた気がする。

始業式の後、店長に宛てて1枚のハガキに手紙を書いた。

ライブに行けて本当によかったこと。誰も信用していなかったけれど、名前も知らない店長を、信じられる大人だと思ったこと。もしも大人になれるなら、店長のような大人になりたいこと。
そして、いつか一緒にライブハウスで働いてみたいということ。

その時の思いをびっしり書いてポストに投函した。

あの日、すごく怖かったけれど、勇気を出して本当によかったと思う。

あれから8年。
いろいろあったけれど、15歳だった僕は23歳になった。

当時思っていた「大人」よりもうんと子どものまま、年だけ重ねてしまった今、考える。
僕は、あの日の店長みたいな大人になれるだろうか。

ずっと、高校を卒業したらあのライブハウスで働こうと思っていた。どこかのだれかの大切な一日を作る人になりたくて。
でも、最後の一年という時に、インターネットで店長が退職したと知った。

あと一歩。本当にあと一歩、あと一年のところだったのに。

僕は店長に届かなかった。

けれど、どんな場所にいても、あの日の店長のように、だれかを想って行動する人にはなれるのだと思う。
まだ子どもすぎる僕には、もう少し時間がかかるかもしれないけれど。

もう会えないかもしれない店長やあの日のスタッフの人、大好きなそれせかは、当時も今もずっと僕の憧れだ。

しあさっての8月31日、自殺者が1番多くなる夜に、それせかのライブがある。
毎年こんな日にライブをするなんて、それせからしいなと僕は思う。

こんなに長い文章を読んでくれたあなたへ。
もしもあの時の僕のように居場所がなかったり、迷っていたりするのなら、8月31日のライブに行こうよ。
怖かったら、僕がライブハウスを案内するよ。大丈夫、それでも世界が続くならが好きな人がたくさんいるから。きっと大切な一日になると思う。

“あと一歩の勇気”は、僕が一番大切にしている言葉だ。

「きみはあと一歩の勇気を踏み出せたんだよ」という言葉ひとつで、中学生の僕は自信が持てた。
無力だけど、無力じゃないと思えた。
現実に立ち向かう強さをもらった気がした。

お守りのように、自分を励ます相棒のように、8年経った今日も、この言葉は僕を支え続けてくれている。

自分と相手が、人と人が"あと一歩"を踏み出したとき、それは大きな力になると思っている。
それだけで、だれかの心が動いたり、人生が変わったりすることもあるのだと思う。

名前も知らない、今初めて出会ったばかりのたった一人が、たった一つの音楽が、自分の世界を変えることだってきっとある。
だから、ほんの少しだけこの世界を信じてみようと思う。

足を踏み出す側のときも、背中を押す側のときも、あと一歩、その勇気を胸に抱けるように。

僕は、あと一歩の勇気を持てる人になりたい。

2017年7月27日タワーレコードインストア、僕にとって2回目のライブでファンレターに書いた絵

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